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 本屋で医療関係の棚を眺めると、がんと食事についての本がたくさんあります。がんは日本人の死因の第1位で、食事は身近な生活習慣だからでしょう。中には医学的に不正確な本もあります。食でがんが治るとか、消えていくとかいう効果を掲げていますが、残念ながらがんが治ることが証明された食事法は現時点では存在しません。著者によって内容もまちまちで、玄米がよいと主張しているものもあれば、糖質は避けて肉を食べた方がいいというものもあります。おのおのが根拠に基づかずに主観で書いているからでしょう。

 薬やサプリメントだと、根拠なく効果効能を標榜して販売することは法律で禁止されています。これが食事に関する本だと許されています。食事そのものを商品として販売していないからでしょう。ただ、食事の内容についての「情報」を販売しているわけで、法律的にはともかく倫理的には、効果のない薬を販売するのと同じぐらい悪いことだと私は考えています。

 それでも患者さん自身が体験談をつづった本ならまだよいですが、医療の専門家たる医師が食事でがんが消えていくといった内容の本を書くのは無責任きわまりありません。「高価なサプリメントを売りつけているわけでなし、標準医療と併用するなら食事法にそれほど害はないだろう」とお思いの読者もいらっしゃるかもしれません。しかし、闘病記などを読むと、がんの食事療法はときにはひどい「副作用」をもたらすことがわかります。

 食事療法を厳格に守るのはきわめてたいへんです。パーティに参加しても口にできるものがない。旅行しても好きなものが食べられない。家でも同じようなメニューになりがちで飽きてきます。食事の楽しみが奪われるのはきわめて甚大な副作用です。しかも、苦痛に耐えた代償としてがんが治る確率が少しでも上がるというならまだしも、そうではないのです。副作用だけあって利益はありません。

 家族にも影響が及びます。たとえば、食事療法を指導する医師からレモンを毎日、それもできれば無農薬で国産のものを食べるように言われたとしましょう。時期によっては条件に合うレモンはなかなか手に入りません。家族は必死で条件に合うレモンを探し回ります。患者さんを死なせたくない深い愛情がゆえです。もしレモンを食べさせず病状が悪くなったら、自分がレモンを探す努力を行ったせいだと考え、どんなにか後悔するでしょう。でも、その医師は別に根拠に基づいてレモンを食べろと言ったわけではありません。レモンを食べた群と食べなかった群での比較試験などなされていません。

 治りにくいがんにかかった患者さんやその家族にとっては、「国産・無農薬のレモンを毎日食べるように。そうすればがんが治ります」と言ってくれる医師は神さま、仏さまのように思えるかもしれません。しかし、その言葉は「私の勧める食事法を守れなかったら死ぬ」という呪いの言葉だと、私は思います。臨床の現場で食事について指導するとき、私が気をつけていることがあります。根拠に基づいた、糖尿病や肝臓病などにおける食事療法であっても、呪いの言葉にならないよう、そして患者さんやご家族がつらい思いをしないよう、配慮を心がけています。食事療法は治療の一つですが、守れなくてもすぐに病気が悪くなるわけではなく、食事から得られる楽しみ、喜びもまた大事なことであることを伝えるようにしています

 そして、たとえ病気が悪くなったとしても食事療法を守れなかったことが原因とは限りません。病気の経過は個人個人で異なります。食事療法を守っても悪くなることもあれば、守れなくても意外に悪くならないこともあります。病気の複雑さ、不確実性を理解していれば、極端な食事療法に縛られることがなく、無理のない生活を送ることができるのではないでしょうか。

 がんを治す特定の食事法はありませんが、がん患者に勧められる食事はあります。がん情報サービスの「がん体験者の栄養と運動のガイドライン」(https://ganjoho.jp/public/support/dietarylife/survivor.html別ウインドウで開きます)が参考になります。「健康体重の維持」「定期的な運動」「野菜、果物、全粒穀物が多い食事」という当たり前のことですが、根拠のない健康本を買うよりもずっと信頼できます。

《酒井健司さんの連載が本になりました》

これまでの連載から80回分を収録「医心電信―よりよい医師患者関係のために」(医学と看護社、2138円)。https://goo.gl/WkBx2i別ウインドウで開きます

<アピタル:内科医・酒井健司の医心電信・その他>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/sakai/(アピタル・酒井健司)

アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。