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 前回まで取りあげてきたノロウイルスは、感染力が強く、人から人へと容易に感染します。また二枚貝に蓄積するという性質のため、毎年多くの感染者が出ます。これとは逆に、現在の日本ではほとんどみられない感染症もあります。たとえばコレラ菌によって起こるコレラがその一つです。

 みなさんはコレラにかかったことがありますか? 私はありません。水のような激しい下痢を特徴としますが、症例を診た経験すらありません。

 コレラは暑い地域の病気だというイメージがあります。日本のような温帯の国ではコレラなんて流行しないような気がしますが、過去には日本でもコレラが猛威を振るっていました。明治のはじめごろは、多い年では10万人以上がコレラによって亡くなっていました。一方、現在はコレラによる死亡はほほゼロです(過去数年分の統計を参照してみましたが、死亡例は2016年の1人だけです)。

 これは治療がよくなったからコレラで死ななくなっただけではなく、コレラにかかる人が減ったのです。発症数は年間に十数人かそれ以下で、ほぼ海外からの輸入症例です。いまの日本では、コレラはきわめて珍しい病気と言えます。

 コレラの制圧に日本(およびほかの先進諸国)が大成功した理由は、水です。コレラは水を介して感染する代表的な水系感染症です。コレラ菌は人の腸管で増殖し、下痢とともに排泄(はいせつ)されます。排泄物で水が汚染されると、その水を飲んだ人に感染してコレラ菌が腸管で増え、排泄されてまた水を汚します。コレラの流行を防ぐには、このサイクルを止めなければなりません。そのためには上下水道が大事です。

 とくに上水道の整備は重要です。汚染されていない川の上流から取水したり、濾過(ろか)や消毒によって病原体を取りのぞいたりすることできれいな水を提供すれば、コレラに感染する人は減ります。ノロウイルスと違って、コレラは水を介さずに人から人に感染する力が弱く、もちろん二枚貝に蓄積もしませんので、上水道が完備されているところでは流行しません。赤痢や腸チフスといったコレラ以外の水系感染症も予防できます。上水道は多くの命を救う偉大な発明です。

 日本ではコレラは珍しい病気になりましたが、上水道が整備されず安全な水が得られない地域ではいまでもコレラが流行しています。世界中では年間にコレラの発症は数百万人、死亡は数万人と推定されています。清潔な飲み水さえあればコレラや他の水系感染症の流行も防げるのに、残念なことです。医学がどんなに進歩してもそれだけでは命を救うことはできません。

 ただ、いい知らせもあります。世界保健機関(WHO)などの努力によってコレラは減りつつあります。WHOは2030年までにコレラによる死亡を90%減らすことを目標として活動しています。上水道や井戸は、単につくるだけでは不十分で、インフラとして維持できなければなりません。そのためには貧困や紛争をなくすことが必要です。世界中の人が清潔な水を得られるようになることを願っています。

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(アピタル・酒井健司)

アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。