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 コレラ菌がコレラの原因であることがわからなくても、コレラが水を介して感染することさえわかれば、汚染された井戸を封鎖したり、上水道を整備したりすることで流行を防ぐことができます。病気の原因は一つではありません。いわば、コレラ菌は小さな視点からみた原因で、汚染された井戸は大きな視点からみた原因です。医学史には同じような事例がたびたびあります。

 ジョン・スノウがイギリスでコレラの流行に相対したほぼ同時期に、ハンガリー出身の医師、ゼンメルワイスは産褥熱(さんじょくねつ)と戦っていました。出産後の女性が発熱する産褥熱は、悪いときは致死率が30%に達することもありました。ゼンメルワイスは、分娩(ぶんべん)に従事する人以外の条件はほぼ同じなのに、医学生を教育するための病棟と、助産師を教育するための病棟で致死率が異なることに注目しました。医学生は助産師と違って死体解剖をします。当時は、解剖の後に手を十分に洗わずにそのまま妊産婦の診察をしていたのだそうです。

 当時は細菌の存在は知られていませんでした、現在の知識で考えると、死体についている細菌が医学生の手を介して妊産婦に感染したせいで産褥熱が起こっていたとわかります。ポイントは、細菌の存在がわからなくても対策が可能であることです。ゼンメルワイスは、死体についている何かが産褥熱の原因であると正しく推理し、解剖後に診察するときには手を念入りに洗うよう指示しました。その結果、産婦の死亡は劇的に減ったのです。

 19世紀の末から20世紀のはじめにかけて細菌学が発展しましたが、原因が不明のままの病気はたくさんありました。その一つが脚気です。現在ではビタミンB1欠乏によって末梢(まっしょう)神経および心機能が障害される病気だとわかっています。白米を好んだせいで日本では脚気が多く、年間に数万人単位の死亡者が出ていました。

 国を揺るがす大問題であり、脚気の原因について熱心に研究されましたが、なまじ細菌学が成功つつある時期で、脚気も細菌が原因だと当初は考えられていました。「脚気菌」を発見したという報告もなされたぐらいです。そのさなか、海軍軍医の高木兼寛が脚気と食事の関係に注目し、洋食あるいは麦飯を中心とした食事で脚気が予防できることを1884年に示しました。

 ビタミンB1の発見はその20年以上もあと、1911年のことです。高木は脚気の原因を、ビタミンB1(微量栄養素)の欠乏ではなく、炭水化物が多くたんぱく質が少ない食事だと誤って考えていました。しかし、白米を避けたんぱく質を多く含む食事を取るようにすれば、結果的にビタミンB1も摂取することになるので、脚気を予防できるのです。

拡大する写真・図版病気と原因、対策の関係とは

 細菌の発見前にコレラや産褥熱を、ビタミンの発見前に脚気を予防することができたことを教訓としましょう。遠い昔に限った話ありません。たとえば、水俣病の原因物質がメチル水銀であることがわかるより前に、水俣湾の魚介の摂食を避けることで被害の拡大を抑えられたはずです。細菌・ビタミン・メチル水銀という小さい視野における原因だけではなく、大きな視点でも原因を考え、対策するという考え方が大事なのです。

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(アピタル・酒井健司)

アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。