第5回 「サステナビリティ」とCSR(1)
世界同時不況のあおりを受けて、CSRが完全に停滞してしまった企業も出てきている。だいたいの企業が「うちはある程度のCSR推進ができたから」と言い訳をするが、これらの企業の考えるCSRとは、コンプライアンスやリスクマネジメントなど、非常に内向きの守りの部分だけを指しているようだ。では、CSRはいったいどこまですればいいのか?
そもそもCSRは、何のためにするのだろうか?
CSRの発祥地である欧州の潮流を汲み取るなら、CSRが生まれた大きな背景には、経済活動のグローバル化に伴って地球規模の環境問題や社会問題が顕著になってきたことがある。いわゆる私たちの生きる世界が持続可能ではないという懸念が出てきた。特に多国籍企業は、政府ではコントロールできないため、それぞれの企業がその責任において、関連する問題の解決にあたるべきという考え方である。このキーワードが「サステナビリティ(持続可能性)」である。
そもそも、「サステナビリティ」という考え方が提唱されたのは、1987年。国連に設置されたブルントラント委員会が発表した「地球の未来を守るために(Our Common Future)」の中で使われたのが最初である。少しまわりくどい表現だが、「将来世代のニーズを損なうことなく、現在の世代のニーズを満たす開発」と訳されている。言い変えれば「サステナビリティ」では、世代間責任が問われている。だから、1世代交代として20〜25年先、2世代なら40〜50年先を見越さなければ、企業も十分な責任を果たしたとはいえないだろう。
例えば、2世代先の2050年を考えたとき、このままの延長線上ならば世界人口は90億人を突破すると国連世界人口推計で予測されている。今後の人口増加や食生活の変化を考えれば、現在の数倍の食料増産が必要となってくるが、穀物生産に必須の淡水資源はすでに深刻な状態で、2025年には40億人の人が水ストレス(年間の利用可能な水資源量が1700m3以下/1人当たり)に陥る可能性があるといわれている。
さらに、気候変動(地球温暖化)やオゾン層の破壊、有害化学物質による汚染、生態系の破壊などの様々な環境問題の影響も拡大しており、どれをとっても私たちの生存を脅かすには十分である。もちろん、これ以外にも、飢餓・貧困などの南北問題、紛争や戦争などの社会問題で世界は不安に包まれ、次世代の社会が安心できる要因はいっこうに増える気配はない。こうした社会・環境問題をそのまま負の遺産として次の世代に引き継ぐのか、それともある程度の解決の糸口をみつけてから手渡すのか、その境目となっているのが現代であり、この時代に生きている人類最大の責任なのかもしれない。(次回に続く)
- 薗田綾子
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兵庫県西宮市生まれ。
甲南大学文学部社会学科卒業。1988年、女性を中心にしたマーケティング会社クレアンを設立。1995年、日本初のインターネットウィークリーマガジン「ベンチャーマガジン」を立ち上げ、編集長となる。そのころから、環境ビジネスをスタート。1996年 「地球は今」10巻シリーズを創刊。
現在は伊藤忠商事、住友林業、富士ゼロックスなど延べ約240社のCSRコンサルティングやCSR報告書の企画制作を提供。
NPO法人サステナビリティ日本フォーラム事務局長、NPO法人社会的責任投資フォーラム理事、有限責任中間法人環境ビジネスウィメン理事などを務める。