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■ゴールまで努力をし続ける
私は1955年10月に愛知県一宮市で生まれました。一宮のある尾州(尾張国の別称)は品質の高い毛織物の産地として有名で、父親の一族も「小池毛織(けおり)」という毛織物の会社を経営していました。
両親は、さまざまな可能性に挑戦させたいと考えたようで、バイオリンを子どもたちに習わせました。
習っていた教室は、名古屋出身の偉大なバイオリニスト・鈴木鎮一先生が提唱した「スズキ・メソード」に基づいた、音楽教育を採用していました。「どの子も育つ、育て方ひとつ」の理念で知られています。
私は歌うのは大好きだったのですが、生まれつき手先は不器用で、楽器を奏でることに関してはまるで上達しませんでした。
ちょっと練習したくらいではだめなので、嫌になって、ほとんど練習せずに毎週レッスンに通うという悪循環に陥り、先生には「1週間前から何も上達していない」とあきれられるし、後から入ってきた何歳も年下の子どもたちにはすぐに追い抜かれるし、早くやめたいと思っていました。