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2012年11月20日
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はたらく気持ち

選んだ道に、後悔はない

文・田中和彦

 都内の美容室の店長Kさん(35)に常連の男性客から指名の連絡があると、店のスタッフはいつもより長めに接客時間を設定する。なぜなら、ラジコンカーという共通の趣味で話が盛り上がるからだ。男同士で「コーナリングが……」「バッテリーエンジンの音は……」と続く会話は、スタッフや他の客には、まったく理解できない。

 「実は大学は理系で、機械工学の専攻だったんですよ」とKさん。普通に大学を卒業して就職していたら、自動車メーカーで部品の設計でもやっていたかも、とのことだ。

 北陸の普通高校を卒業後、「大学だけは出ておきなさい」という両親に従って、Kさんは工業大学に進んだ。小学生のころからラジコンにはまり、細かい部品の組み立ても苦にならなかった。どうせ勉強するなら機械関係、と志望学部を決めたのだが、入学した時点から、内心では「それでも、最終的には美容師になるのかな」と思っていたらしい。

 大学進学を勧めた父と母はいずれも美容師。Kさんは自営のヘアサロンで働く両親の姿を見て育った。美容室は日曜が休みではなく、小学生のころ、Kさんは両親から、平日の定休日の前に「明日、学校休んでいいから一緒に旅行しよう」と誘われることもしばしば。知らず知らずに、両親の自由な生き方に憧れていたのかもしれない。

 大学在学中に美容師の国家試験に合格。専門学校に通って受験する人が多いが、実家を手伝っていたので通信講座で済んだ。資格を取ると、機械工学への気持ちはさめてしまい、大学は中退した。両親は何も言わなかった。

 そのころ、ちょうど地元の講習会に来ていたカリスマ美容師の話を聞いて、上京を決意。そのまま、彼のサロンに就職した。

 今でも機械いじりは好きで、趣味は自動車や自転車の改造。最近、デジタル一眼レフカメラも始めた。のめり込むタイプで、機械に触っているとついつい時間を忘れてしまうらしい。もしエンジニアになっていたら……と考えたことがないか尋ねると、「いやあ、やっぱり今の仕事が好きなんですよ」と笑った。

 機械部品は設計図どおりに作らなければならない。しかし美容師は、お客さんの悩みや要望を聞きながら、注文に応えるだけではなく、何かプラスアルファの提案をしていく。本人が思っていた以上に似合う髪形にして喜んでもらえることが、美容師の仕事のやりがいだ。「この充実感は何ものにも代えがたい」。自らの選択を後悔するようなことはないそうだ。

プロフィール

田中 和彦(たなか・かずひこ)

 人材コンサルタント、映画プロデューサー。1958年、大分県生まれ。リクルート社の「週刊ビーイング」「就職ジャーナル」などの編集長を務めた後、映画業界に転身。キネマ旬報社代表取締役などを経て独立。02〜07年、beでコラム「複職(ふくしょく)時代」を連載。近著『断らない人は、なぜか仕事がうまくいく』(徳間書店)など著書多数。

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