今年1月からITベンチャー企業の子会社に勤めるNさん(36)の前職は、大手不動産会社の営業マン。リーマン・ショック以降、伸び悩む業界に見切りをつけたのは、社外の勉強会で知り合った親会社の人事部長から誘われたから。「ITとは無縁のキャリアですよ」と最初は断った。しかし「リアルなものを扱っていた経験こそ、逆に必要」と粘り強く口説かれ、初めての転職に踏み切った。
新たな事業を起こすプロジェクトチームに入った。全メンバー8人が転職組。社長も役員も親会社の兼務で、Nさんが実質的なリーダーを担った。ポジションも給料も申し分ない。大きなテーマこそ決まっていたが、何をどうやるかは自由。全員が20〜30代の若い組織は、「自分たちの手で会社を大きくしていこう」という気概にあふれていた。
発想に制約のないブレーンストーミングや他業界の有力者との情報交換など、保守的な業界では経験できないことばかりで働き方も個人裁量。スーツを着ることがなくなって、かつての同僚からは「超スーパークールビズだな」とTシャツ姿を冷やかされもした。環境が変わると、何もかもがガラリと変わることに驚いた。「転職してよかった。一生同じ会社にいるなんて、やっぱ古いのかもな」
そう思った矢先、親会社の業績が悪化。会社の株式がネットビジネスの大手企業に売却された。自分を採用してくれた人事部長が「本当に申し訳ない」と直々に頭を下げにきた。プロジェクトの方針は変わらなかったが、上層部が入れ替わり、Nさんの上に現場の責任者が組み込まれた。事業戦略チームと市場調査チームに分かれ、Nさんはたった一人の市場調査担当に。そのうちNさん抜きで会議が開かれるようになった。
当初のメンバーたちは「こんなこと、おかしいですよ」と息巻いてくれた。しかし、やがて新しいリーダーと談笑しながらランチに出かける彼らの姿を見ると、やりきれない気持ちになった。
着任したリーダーは悪い人ではない。配転も、いじめのような悪質なものではなく、むしろ自分への配慮だと思われた。それだけに居場所と仕事がないことが一層つらかった。もし逆の立場なら自分もそうしたかもしれない。誰を責める気にもならなかった。
一カ月ほど悩んでいたNさんだが、あるとき「環境さえ変われば、人生も変わる」と転職して感じたことを思い返した。今いるのは誘われて変わった環境。次は自分の力で踏み出してみようと心に決めたNさんは、その足で人材紹介会社の門をたたいた。
人材コンサルタント、映画プロデューサー。1958年、大分県生まれ。リクルート社の「週刊ビーイング」「就職ジャーナル」などの編集長を務めた後、映画業界に転身。キネマ旬報社代表取締役などを経て独立。02〜07年、beでコラム「複職(ふくしょく)時代」を連載。近著『断らない人は、なぜか仕事がうまくいく』(徳間書店)など著書多数。