今井邦彦

今井邦彦いまいくにひこ

朝日新聞記者=歴史、考古学
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最新コメント一覧

  • 九州の稲作、30年で北部から南部へ? 「先入観」疑って研究

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年6月20日15時20分 投稿

    【解説】 熊本大学の小畑弘己教授が積極的に進めている、考古資料の「再発掘」の成果です。この記事で紹介されている話題は二つ。一つは、鹿児島県志布志市で出土した土器片に含まれていた炭化米の放射性炭素年代を測定したところ、北部九州で最古とされる炭化米の年代と30年ほどしか差がなかったというもの。もう一つは、その北部九州で炭化米が確認された「弥生早期」の土器より一段階前の縄文最末期の土器を網羅的にX線で調べた結果、イネだけでなくアワ、シソなど多様な栽培植物の種が見つかり、採取された炭化物の放射性炭素年代は「弥生早期」より50~80年古い数値が出たというものです。いずれも、熊本大学のホームページで概要が紹介されています。 https://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/zinbun/20220523 https://www.kumamoto-u.ac.jp/whatsnew/zinbun/20220525  つまり、北部九州の縄文人が、本格的に稲作を導入する前から多様な穀物を入手し、小規模でも栽培していたらしいこと、そして次の段階で本格的に稲作が導入されると、数十年のうちに南九州へも伝わっていたことがみえてきたわけです。  小畑さんは、こうした研究法を「土器を掘る」と称しています。各地の遺跡で発掘された膨大な量の土器は、図面化、撮影された後は各地の文化財施設に収蔵されますが、博物館や資料館の展示などで再利用されるものはごく一部です。そうした土器を新たな方法で再調査することで、これまで見えていなかったものを見つけていこうというものです。私が2年前に紹介した、コクゾウムシが練り込まれた縄文土器も、小畑さんのそうした研究の成果です。 https://www.asahi.com/articles/ASND464V8ND4TIPE02R.html?iref=pc_ss_date_article  大規模な開発が減少し、遺跡の調査件数が減ってきた今、考古学の研究では、こうしたすでにある資料の再検討が重要になっています。何十年も前に発掘された遺跡が、再び注目されることになるかもしれません。発掘調査が少なくなっても、考古学の進歩は止まらないようです。

  • ガンダム監督が語るウクライナ侵攻 「正義」への幻滅が生んだ世界観

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年6月17日13時36分 投稿

    【視点】 安彦さんが監督したのは「ククルス・ドアンの島」なので、「ガンダムの監督」とした誘導ツイートに違和感を覚えつつクリック。安彦さんの言葉を読んで、あらためて感じたことがありました。  いわゆる「ファーストガンダム」では、サイド7の住民は当初、民間人の難民としてホワイトベースに乗り組みます。しかしモビルスーツを動かしてしまったことで、アムロやカイ、ハヤトらは、パイロットとして軍人同様に扱われることになりました。数カ月後にジャブローで正式に軍人として階級を与えられるまで、彼らの立場はいわゆる「義勇兵」だったわけです。  アムロが母の目の前で、難民キャンプを偵察にきたジオン兵を射殺する場面が、なぜあれほど衝撃的だったのか。安彦さんが繊細に描いたアムロと母の表情から、いつのまにかアムロが客観的には民間人や難民ではなく、主体的に銃を取って戦う「兵士」になっていたことを理解させられたシーンだったからです。「義勇兵やパルチザンのような非正規の戦闘員は、無辜の市民との区別がつけづらい」という安彦さんの指摘に、そんなことを思い出しました。

  • 「吉野ケ里、掘ってみた」遺跡発掘を生配信 佐賀県が計画

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年6月17日10時26分 投稿

    【解説】 邪馬台国所在地の有力候補でもある特別史跡・吉野ケ里遺跡の発掘調査となれば、全国的な注目を集めるのは確実。5月に始まった先行調査では、ゴールデンウィークだけで約6千人が見学に訪れたそうです。ライブ配信も大きな話題になるでしょう。  調査されるのは、甕棺墓が道路を挟んで並ぶ甕棺墓列と、「王墓」とみられる大型墳丘墓に挟まれた場所。これらのお墓は弥生時代中期のもので、復元された主祭殿や物見やぐらなどの建物が立ち並んでいた弥生時代後期~末、いわゆる「邪馬台国時代」の有力者の墓はまだ未発見です。調査地はこれまで地域の人たちが神社として大切に守ってきた場所で、少し小高くなっていることもあり、考古学者も注目していました。  すぐ北側の地区では、両腕に計36個の貝輪を着け、中国・前漢時代の銅鏡が副葬された女性の甕棺墓も見つかっています。政治・軍事を司っていた王や、宗教的な権力を持っていたシャーマンなど、特別な地位にあった人物の墓が見つかる可能性は十分にあります。秋からの調査に注目です。

  • 性風俗店の無料案内所模した案内展示に苦情、急きょ撤去 福岡パルコ

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年6月15日9時33分 投稿

    【視点】3年前に大阪から福岡に来て驚いたのが、風俗の無料案内所の多さです。大阪にもありましたが、福岡の中洲ではバス通りに面した場所にもいくつもあって、最初は戸惑いました。しかししばらくすると、盛り場の活気を象徴する存在と見るようになり、コロナ禍の中でいつも派手派手な案内所の灯まで消えたときには寂しくもありました。 また、アートが人間の欲望や「業(ごう)」を象徴するものとして、60~70年代のストリップやポルノ映画の看板、80年代の電話ボックスを埋め尽くした風俗のチラシなど、町で見かける「いかがわしいもの」を題材にすることはよくあることだと思います。 しかし、今回のケースは場所が適切ではなかったのでは。子供や中高生も行き来する商業施設に風俗の無料案内所が出現すれば、大人はドキッとして注目するでしょうが、居心地の悪さも感じるでしょう。「TPO(時、場所、場合)」という言葉は最近、ほとんど死語になりましたが、今回はまさにTPOに配慮すべきケースだったと思います。

  • これが古代の太鼓 リアルな埴輪、完全な形で初出土

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年5月30日20時13分 投稿

    【解説】 昨年、「真の継体天皇陵」ともいわれる大阪府高槻市の今城塚古墳でも破片が見つかっていた太鼓形埴輪。それがほぼ完全な状態で、奈良県田原本町の宮古平塚古墳の周濠から出土しました。今城塚古墳の前には宮崎県新富町・新田原古墳群の百足塚古墳でも見つかっていましたが、すべて6世紀前半の古墳だというのが注目されます。  百足塚古墳では1998年、巫女(みこ)やひざまづいて拝礼する人物など、多数の人物形埴輪が出土して話題になりました。そして2001年には今城塚古墳で、ほぼ同時代の武人や巫女、力士などの埴輪が出土。両古墳の人物埴輪が非常によく似ていることが注目されました。太鼓形埴輪の存在も、その共通性の一つです。  今城塚古墳に葬られているとされる継体天皇(当時の呼称は大王、450~531年)は527年、朝鮮半島南東部の新羅(しらぎ)と半島南端部の任那(みまな)の戦争に際し、任那救援のための軍隊を派遣しますが、新羅と結んだ北部九州の首長・磐井(いわい)がこれを妨害し、継体軍と磐井軍の全面戦争になりました。「日本書紀」ではこの時の戦いを「旗鼓相望み、埃塵(ちり)相接げり」と描写しています。実はこの表現は中国の文献から引用されたものらしいのですが、通信機のない時代に作戦通り軍を動かすには、旗や太鼓による合図は不可欠だったでしょう。今城塚古墳をとりまく堤に設けられた「埴輪ステージ」には、武装した兵士や軍馬の埴輪が並ぶ一画があります。そこに太鼓形埴輪もあったのかもしれません。  一方、百足塚古墳には兵士らしい埴輪は見当たらず、儀礼や祭祀の場面の中に太鼓も置かれていた可能性が高そうです。被葬者の葬送や首長権を継承する儀礼で、笛や鐘などとともに音楽を奏でていたのでしょうか、  奈良県・宮古平塚古墳の太鼓形埴輪で注目されるのは、やはり形。真ん中が膨らんだ長い胴の両方に鋲止めで革が張られ、現代の和太鼓とほとんど形が変わらないことに驚きます。同古墳は造り出し(突出部)のある一辺20メートルほどの方墳とのことですが、ほかにどんな埴輪が出土しているのか、被葬者像がわかるようなものは出土しているのか、続報を待ちたいと思います。

  • 京大保管の遺骨、返還請求認めず 地裁「解決への環境整備を」と付言

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年4月22日16時12分 投稿

    【視点】 この記事を読んで,複雑な思いを抱きました。沖縄の人たちの祖先を大切に思い、伝統的なまつり方で供養したいという気持ちはよく理解できます。また、戦前、戦中の人類学が様々な差別意識を内包し、帝国主義の正当化・強化に一役買っていたことは否定できない事実だと思います。  その一方で、私は金関丈夫という人類学者の学問への真摯さや情熱的な仕事ぶりについても、彼の次男で考古学者の金関恕さん(2018年没)や、丈夫氏に直接会った人たちから聞かされてきました。当時の社会状況や倫理観の中で、彼なりの使命感と学問的な好奇心を持って研究を進めていたのだと思います。  丈夫氏の学問的な姿勢を示すエピソードを、恕さんから聞いたことがあります。丈夫氏は自分の父親と自分自身、そして恕さんら息子2人の遺体を遺伝形質研究のために献体すると言い残し、それは実行されました。「私も死んだら、標本になるんです」といたずらっぽく笑った恕さんも、それを当然のことと考えている様子でした。  自分の家族の骨にも、純粋に研究資料としての価値を見いだす研究者の意識と、琉球の歴史と文化を受け継ぐという強い思いで、祖先の遺骨を守ろうとする沖縄の人たちの意識。そのギャップの大きさを感じつつ、訴訟の行方を見守っています。

  • 津堂遺跡で建物跡を発見 津堂城山古墳の造営に使われた倉庫か

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年3月25日16時41分 投稿

    【解説】 津堂遺跡については、5年前に私も記事にしたことがあります。2015年に物流倉庫の建設予定地で、大型の高床建物跡が2棟と、流路で土器を使って祭祀をした痕跡が見つかりましたが、すぐには報道発表されませんでした。その1年半後、大阪府下の発掘調査速報展が府内の博物館であり、その図録でこの成果を知った私は「百舌鳥・古市古墳群で権力者の存在をうかがわせる建物跡が見つかったのは初めて」という触れ込みで、遅ればせながら記事にしました。その一部を「解説」として以下に引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  古墳時代の大型建物では奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(3世紀中ごろ、約238平方メートル)、同県御所市の極楽寺ヒビキ遺跡(5世紀前半、約225平方メートル)など「王宮」級とされる大規模なものが知られるが、津堂遺跡の2棟はそこまで突出した大きさではない。  しかし5~6世紀、古市古墳群と百舌鳥古墳群に、「大王」(後の天皇)の墓とされる巨大古墳が次々と築かれるのに対して、その周辺で権力の存在を示す同時代の遺跡は見つかっていなかった。  百舌鳥・古市古墳群の出現を巡っては、3世紀中ごろから奈良盆地東部や北部に大王墓を築いたヤマト王権から4世紀後半に大阪平野の新興勢力が権力を奪った、とする「河内政権論」がある。一方、そうした勢力の遺跡が見つからないため、ヤマト王権の墓地だけが大和から河内へ移ったという説もあった。藤井寺市教委は、津堂遺跡の大型建物2棟は津堂城山古墳と関係が深く、政治的、宗教的な意味を持った建物だった可能性があるとみている。 (以上、2017年7月5日付夕刊・大阪文化面より) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  なお、この際に発見された遺構は保存はされませんでしたが、倉庫を建設した物流会社が敷地内に調査成果の展示施設を作り、一般公開しています。(参考:https://esr-publicweb-hk.oss-cn-hongkong.aliyuncs.com/wp-content/uploads/2021/09/20190717121018_34572921_jp.pdf)

  • 世紀の発見から50年、鮮やか「飛鳥美人」 高松塚古墳

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年3月21日12時46分 投稿

    【視点】今日、3月21日は、50年前に奈良県明日香村の高松塚古墳で極彩色壁画が発見された日。昨日、東京の有楽町朝日ホールで記念のシンポジウムがありました。その中で印象的だったのは、壁画が発見された1972年という時代背景です。当時、関西大の2年生として調査に参加した森岡秀人さんは、2月28日のあさま山荘への突入の様子を見守りながら、翌日から始まる高松塚古墳の調査の準備をしていたそうです。1月にはグアム島で元日本軍兵士の横井庄一さんが発見され、北アイルランドでは血の日曜日事件が発生。2月、ニクソン米大統領が中国を訪問して国交正常化へ動き出す一方、ベトナムでは多くの兵士と民間人が犠牲になっていました。そんな時期に、古代への興味をかきたてる壁画の発見が朝刊の1面トップを飾ったのは、夢のある明るい話題として歓迎されたためでもあったのだと思い至りました。50年後の今、新聞の1面をロシアとウクライナの戦争のニュースが埋め、米中はまた対立を強めつつあります。そんな中で、歴史や考古学をはじめとする文化のニュースが、少しでも明るさをもたらしてくれるものになればと願っています。

  • 猫はいつ日本にやってきた? その「出会い」を探りに記者が旅した

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年2月16日18時42分 投稿

    【解説】 筆者のネコ愛を感じる記事です。私も長崎・壱岐の一支国博物館を訪ねた際に、弥生時代のネコの骨が同島で出ていると知り、驚いてツイッターで紹介したことがあります(https://twitter.com/imaikuni/status/1265604752458477568)。  今回の記事でも書かれているように、貯蔵したコメをネズミから守るためには、稲作が始まった弥生時代からネコがいてもおかしくありません。それなのに、イヌに比べてなかなか骨が見つからないのはなぜなのでしょう。ネコの繁殖力を考えると、もっとあちこちで見つかってもいいように思うのですが、  なお、九州国立博物館(九博、福岡県太宰府市)にある大宰府政庁南門の模型にはあちこちにネコがいて、九博にもネコ好きの人がいるのかと気になっていました。それは大宰府条坊でもネコの骨が見つかっていたからだと、この記事を読んで初めて気がつきました。

  • 囲形と家形埴輪、富雄丸山古墳で出土 上下段で異なる形状の埴輪列も

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年2月10日18時5分 投稿

    【解説】 埴輪(はにわ)というと、人の形をした人物埴輪や、馬をかたどった馬形埴輪を想像する人が多いと思います。しかし、こうした埴輪が登場するのは5世紀に入ってからで、富雄丸山古墳が築造された4世紀後半にはまだありません。人や物の形をかたどった「形象埴輪」の中では、建物の形をした家形埴輪が一番古く、4世紀中ごろに登場したと考えられています。  富雄丸山古墳から北東に約5キロ、平城宮跡の北側には、同古墳と前後する時期の全長200メートル級の前方後円墳が集まった佐紀古墳群西群があります。このうち宮内庁が垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵としている佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳、同じく成務天皇陵としている佐紀石塚山古墳でも4世紀後半ごろの家形埴輪が出土していますが、盗掘や部分的な発掘調査にともなうもので、全容が分かっていません。さらに囲形埴輪も原位置で出土したとなると、家形埴輪が登場した当初の儀式、祭祀の解明につながることが期待されます。どんなことが分かるのか、楽しみです。

  • 海軍の航空基地跡を宅地開発「今月中旬にも」 研究者ら保存求め声明

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年2月5日16時17分 投稿

    【解説】 戦争遺跡は、保護や研究の対象として注目されるようになってから、まだ日が浅い遺跡です。明治~昭和の近代施設であり、原爆ドームなど象徴的な一部を除いて、長く公的な保護の対象とは考えられてきませんでした。記事中で島根県が「戦争遺跡の文化財としての価値判断基準が明確に定まっていない」と答えているのはそのためです。しかし太平洋戦争の終結から76年たち、戦争を直接経験した世代が減っていく中で、戦争の記憶をとどめる旧軍事施設を保存しようという機運が高まってきています。  福岡県では2年前、県教委が「福岡県の戦争遺跡」という報告書を刊行しました。3年をかけ、市町村の担当者と県内の軍事施設跡や、発掘調査で出土した関連資料の情報を集め、624件の「戦争遺跡」が確認されたといいます。それを読むと、私たちが生活している町のあちこちに、70年以上前の戦争の痕跡が残されていることに気づかされます。  今、戦争遺跡を残すために活動している団体の多くは、有志の市民によるものです。平和教育のため、という視点だけでなく、近現代考古学や郷土史、軍事史、技術史など様々な視点から戦争遺跡の価値が評価され、行政がその実体の調査、さらには価値判断に踏む込むことを期待します。

  • 高松塚古墳の木棺、CGで復元 黒漆に飾金具で「洗練」

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年1月27日12時57分 投稿

    【解説】今年、極彩色壁画の発見から50年を迎える奈良県明日香村の高松塚古墳。その木棺が、実物のレプリカではなく、CGで復元されたというのが現代的。後で新しい事実が分かった場合に修正しやすく、ネットでも公開可能です。646年に「大化の改新」の一環として発布された「薄葬令」で、古墳は一気に小型化、簡素化されました。それまで巨大な石室に重厚な石棺を収めていたのが、漆で固めた布や木などの軽い棺を、カプセルホテルのベッドのように小さな石室(石槨とも呼ばれます)に収める形になります。簡素化されたとはいえ、天皇や皇族、豪族のリーダーの棺は、被葬者の生前の権威を示すためにも最高級の工芸品として作られました。高松塚古墳は西暦700年前後に没した皇子、または大臣クラスの豪族の墓とみられますが、この木棺も一級の漆芸品だったことでしょう。ちなみに、真の斉明天皇の陵とみられる同村の牽牛子塚古墳(現在、復元整備中)では、布を何重にも重ねて漆で固めた「夾紵(きょうちょ)棺」の破片と、六角形の七宝製飾り金具、円系や八花形の飾り金具などが出土しており、同村の奈良文化財研究所飛鳥資料館で3月13日まで開かれている企画展「飛鳥の考古学二〇二一」で公開中。同館には高松塚古墳に関する展示も多く、橿原考古学研究所付属博物館の壁画発見50周年記念展(2月5日から)とともに見学されることをお薦めします。

  • (ひもとく)北条義時の実像 公と武の関係、対立か協調か 川合康

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年1月19日12時43分 投稿

    【解説】NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公・北条義時。父親で鎌倉幕府初代執権の時政や姉の政子に比べて印象が薄いと思っていたのですが、吉川弘文館の「人物叢書」とミネルヴァ書房の「日本評伝選」の両方で取り上げられているということは、日本史上の重要人物という評価が固まっているということでしょう。両シリーズで同じ人物が取り上げられている場合には、「人物叢書」の刊行が数十年前ということが多く、読み比べるとその人物の研究がどう深まってきたかがよく分かります。今のところ、ひたすら真面目で「巻き込まれ型」の人物という印象の「鎌倉殿」の義時。どんな変容をとげていくのか、三谷ドラマならではのフィクションの部分も含めて楽しみたいと思います。

  • 鳥取砂丘、推理小説で殺人事件起きがち? 調べたら被害者16人

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年1月14日9時29分 投稿

    【視点】なるほど、と思わされた記事。誰もが知っていて、遺体のある風景が「絵になる」名所。しかも(昔は)東京や大阪から鉄道で行くと遠く、トラベルミステリーに使いやすい。しかし、手元の「地図で読む松本清張」(帝国書院)で確認すると、意外なことに鳥取は清張作品では数少ない「空白県」でした。父の故郷である日南町には清張の文学碑もあるのですが、不思議です。なお、鳥取県立図書館のホームページには「鳥取県が登場する文学作品」(https://www.library.pref.tottori.jp/information/cat4/post-9.html)のコーナーがあり、「鳥取砂丘が登場する文学」の項も。本当に「殺人事件」、多いですね。

  • 戦中のアンコール遺跡、浮き彫り 京都・花園大、写真151枚発見

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2022年1月8日17時55分 投稿

    【解説】大阪生活文化部時代の同僚だった久保記者の記事。彼は3年前にも同じ探検隊が残したアンコール遺跡のガラス乾板の発見をスクープしましたが、今回見つかったのは紙焼き写真。その一部はガラス乾板と重複していますが、100枚以上が新発見の写真です。太平洋戦争中の調査以降、風化や植物の繁茂などで、石積みや彫刻には破損が進んだところも多く、80年前の状態が分かる写真は資料としても貴重です。記事中にもありますが、浄土真宗大谷派の調査団の資料が、なぜ臨済宗系の花園大にあったのか。天台宗の僧侶でもある久保記者に、ぜひ解き明かしていただきたいです。

  • 沖縄・今帰仁のガマから人骨26体 中世沖縄の謎に迫る手がかりに

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2021年12月27日17時3分 投稿

    【解説】 このところ、南城市のサキタリ洞遺跡やうるま市の藪地洞穴遺跡など、洞窟での人骨や考古遺物の発見のニュースが続いている沖縄県で、また大きな発見がありました。沖縄県と鹿児島県の奄美諸島では、九州本島以北の弥生~古墳時代に該当する時期がなく、狩猟採集を中心とする貝塚時代から、本土で平安時代の後期にあたる11世紀に突然、稲作をし、石垣のある城(グスク)を築くグスク時代を迎えます。その新しい文化を担ったのは、どこから来た人たちだったのか。最近は、奄美の徳之島で焼かれた「カムィヤキ」と呼ばれる窯焼きの硬質土器と、九州・長崎で作られた滑石製の石鍋、そして中国から博多に運ばれた輸入陶器の「3点セット」が、奄美から先島諸島にまで広がる現象が注目されています。喜界島の城久遺跡の調査成果から、北方から来た人々が大きな影響を与えたことが明らかになってきましたが、それまで貝塚文化を営んできた人々も、それを受け入れて変化していったのでしょう。今後も、グスク文化の「担い手」の考古学、人類学による解明が注目されます。

  • 最古の貨幣の報告書、刊行してなかった 16年間「刊行済み」と公表

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2021年12月25日13時37分 投稿

    【解説】1998年に「天皇」と書かれた最古の木簡、そして99年には富本銭が発見され、県の文化施設・万葉文化館の設計を変更して保存された飛鳥池遺跡。本来なら、その調査成果の報告書が20年を経て刊行されたことは、喜ぶべきニュースとして報道されるべきものでした。しかし、こうした経理の問題が表面化し、不祥事のニュースになってしまったことが残念です。2004年といえば、明日香村では高松塚古墳の壁画劣化が表面化し、奈良文化財研究所もその後の石室解体に向けて非常に多忙になっていた時期。当時は大阪生活文化部にいた私も含め、報道関係者の目は高松塚古墳や、並行して壁画のはぎ取り保存が進んでいたキトラ古墳に向いてしまい、あれだけ注目された飛鳥池遺跡の報告書が未刊行であることを見過ごしてしまっていました。重要な遺跡の発掘調査報告書の刊行には時間がかかって当然、という認識が自分の中にあったことも反省させられます。

  • 東日本初「三韓土器」、長野北部の根塚遺跡で出土 朝鮮半島と交流?

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2021年12月22日10時16分 投稿

    【解説】非常に興味深い発見です。三韓土器は百済、新羅などの古代国家が成立する以前、弥生時代と同じころの朝鮮半島の土器で、日本では北部九州や山陰、北陸などの「海村」で出土します。海村とは、この記事でもコメントしている武末純一・福岡大名誉教授が提唱する概念で、漁業を営みつつ、船を使った交易の拠点になっていた村々。最近では外来土器のほか、重さを測るためおもり(権=けん)、文字を書くための硯(すずり)も海村経由で広がった可能性が指摘されています。もちろん、根塚遺跡は内陸部にあるので海村ではないでしょうが、日本海側の海村との活発な交易があったのは間違いなさそうです。木島平の人々は、何と引き換えにこうしたものを入手していたのでしょうか。

  • 豊臣軍を防げ、特殊武器 小田原攻め関連の遺構で確認、「忍具」の原型?

    今井邦彦
    今井邦彦
    朝日新聞記者=歴史、考古学
    2021年12月20日22時44分 投稿

    【解説】新しく、コメンテーターに加わった記者の今井です。今日の歴史考古学系のニュースで私が注目したのはこちら。忍者が使ったとされる道具といえば、まきびしや手裏剣、水蜘蛛(みずぐも)など、マンガでも有名な道具がいろいろとあります。でもほとんどは江戸時代以降に書き残されたり、作られたりしたもの。本当にいくさがあった時代の忍者が使ったのかどうか、疑わしいものも多いようです。ところが今回、埼玉県や東京都でみつかった道具は、まさに戦国時代につくられた実用品。忍者のリアルな姿が浮かび上がってきそうです。

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