磯野真穂

磯野真穂いその まほ

人類学者=文化人類学・医療人類学
関心ジャンル:教育医療カルチャーダイバーシティー

最新コメント一覧

  • 「100グラムも太れない」 覚えてしまった魔法 母の一言に泣いた

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年7月5日10時20分 投稿

    【視点】食欲の反対は空腹ではありません。 食べることそのものに、コントロール、抵抗、喜び・寂しさ、人との紐帯・軋轢といった、私たちが持つ欲望や感情、暮らしの状況などが折り込まれるので、一度「体重」という数字のみに着目し、食べ方を一変させると、そのことが暮らしのさまざまな部分に悪影響を与え、それによる苦しさが、さらに「食べる」を破壊してゆくことがあります。 摂食障害への対応として、栄養指導など専門家のアドバイスを早めに受けるというのがあります。もちろんこのようなアプローチは大切ですが、栄養学も食べ物を数字に換算していくという点で、数字の影響が強い学問です。 食べること、ひいては生きることは数字に換算してコントロールし切れる問題ではない人間の営みであることを、親、子ども、教職員が共に考える場が必要なのではと思います。

  • 30歳看護師、夜勤明けに風俗店へ出勤 のしかかる奨学金600万円

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年7月2日14時49分 投稿

    【提案】ここで取材の対象になっている方の問題を、奨学金制度そのものに結びつけるのは少々無理があるのではと感じます。 返済について急に心配になり、看護師としての勤務に加えて、風俗で働きはじめたとのこと。ですがこれは、奨学金制度ではなく、借金返済について、アドバイスをする方が周りにいなかったことに問題があるのではないでしょうか。 というのも、借金があることに対し、ここまで恐怖感を抱いてしまうのであれば、住宅ローンといった他のローンでも同じことが起こりうると考えられるからです。 返済計画を見る限り、この方の借りていた奨学金は無利子のそれと思われます。そうであれば、急いで返す必要はそもそもありません。 また日本学生支援機構の奨学金は、返還額減免や、返還猶予制度に加え、本人が死亡したり、重度の心身障害を負った場合に、残りの返済額が免除される仕組みもあります。また在学中の学業成績によっては、返済額が、全額あるいは1部免除される特典もあります。 もちろん給付であるに越したことはないですが、他のローンに比べると相当に良心的な制度設計ではないでしょうか。この事例を持って、奨学金制度の瑕疵を指摘するのは少々無理があると感じます。

  • 義務化すれば上げられるのか、低い投票率 政治不信の国の処方箋

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年6月28日7時48分 投稿

    【視点】政府や国会、政党など『政治を担う側』の組織に対する信頼度が著しく低いのが日本の特徴とあるので、ここで挙げられているベルギーやオーストラリアはどうなんだろうと思い、経済協力開発機構のデータを参照してみました。得られたのは、政府に対する各国の信頼度についてのデータなので、ここで言及されていることとは微妙にズレる可能性があることをあらかじめお伝えしておきます。(https://data.oecd.org/gga/trust-in-government.htm)。 サイトによると、政府が信頼できると答えた割合は、オーストラリア44.6%、日本42.3%、ベルギー29.5%と続きます。突出して高いのはスイスで80%超え、低いのはチリでなんと17.1%しかありません。 また個人的には、フランスのそれが日本よりわずかに低いことも面白いと思いました。 こちら、簡単に参照したい国々のデータを閲覧することができるので、皆さんも是非使ってみてください。

  • 「コロナで死ぬかも」の恐怖感、日本は最多 日米中韓の高校生調査

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年6月22日19時28分 投稿

    【視点】私は文化人類学が専門なので「文化」という言葉を軽々しく使わないようにしています。とはいえ、日本は、指差されたリスクに対し、極めて過敏な反応をする傾向があり、これは文化といってもよさそうな気がしています。 例えば、当時狂牛病と呼ばれたBSE問題の際、この病気の実質的な被害はほとんどなかったにもかかわらず、この病気に対する恐怖は全国を覆いました。結果、食品関連企業のみならず、化粧品関連企業まで、牛肉エキスが使われていないかどうかを調べるといった対応に追われます。牛肉を扱う飲食店の倒産はもちろんのこと、獣医師の自殺まで起こりました。「BSEを怖がった」ことによる被害が凄まじかったわけです。このような例はBSEに限りません。 それを踏まえると今回の調査結果は、「文化の伝承」に見えなくもありません。 加えて、「コロナを怖がる感覚が、感染予防行動につながった」というのは、確かにそうかもしれませんが、先のBSE問題などを踏まえると、「コロナを怖がったこと」から生まれた社会的被害にも目を向けたいものです。 リスク喚起には、負けがありません。というのも、被害が少なければ「リスク喚起をしたからだ」と言え、被害が甚大なら「ほら、言ったじゃないか」と胸を張れるからです。 だからこそ、「どのくらい怖がらせるか」については、慎重であるべきと言えるでしょう。

  • 「ブルシット・ジョブ」との決別 大学をやめた学者が語る学びの作法

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年6月10日11時59分 投稿

    【解説】私に配慮し、カッコいい見出しをつけてくださってあります。しかし本文にあるように、「大学を辞めた」のではなく、「大学に〝いらない〟と言われた」という方が適切です。 なので、「ブルシット・ジョブ」と決別したというより、開いてみたらそうなったということになります。 捨てる神あれば拾う神あり、とはよく言ったもので、複数の大学からいらないと言われた私も、そこから離れたら「面白い」「一緒に仕事をしたい」という人たちに出会うことができました。 器用な方ではありませんし、学者としての優れた力もありませんが、一つだけ言えることがあります。それは、人類学を学問界の外に開くということだけは、ブレずにやり続けてきたこと。 そのスタンスから出版した書籍や活動に対して、「ちゃんとした人類学」じゃないと批判されることはままあります。ですが、何を言われてもそこだけは曲げずに続けてきました。それが今につながっていると感じます。 もしかしたらこの誌面を読んでいる人も、今いる環境で必要ないと言われているように感じ、苦しい思いをしている方もいらっしゃるかもしれません。 ですがそんな中にあっても、大切にしたいものはちゃんと守ること。 それがいつかはわかりませんが、遠い未来で皆さんの力になることがあるんじゃないかと思います。 人生楽じゃありませんが、がんばりましょう。 ーーーー 自分が掲載されている記事にコメントするのも変な感じがしましたが、せっかくなのでコメントを入れてみました。 (自分の記事なので普段ほとんど選ばない「解説」を選んでいます笑) 最後に、聞き手を務めてくださった田淵さん、丁寧な取材をお礼申し上げます。取材の過程を通じて、改めて自分の歩みを振り返れた次第です。

  • 「私は、みっともない」過食嘔吐を繰り返した ミス日本、回復への道

    磯野真穂
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    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年6月8日7時39分 投稿

    【視点】食べることと、人間関係を作ることは似ています。食べることも、人間関係を作ることも、自分ではない何かを自分のうちに取り入れ、それと共に生きることだからです。 しかし、何をどのくらい取り入れ、それとどのような関係を保っていけば良いのか?これは相手が食べ物でも、人間でも、とても難しい問いです。簡単に言えば正解はない。科学に従えばいい、といったシンプルなものでは決してありません。 その調整を楽にするための道具として、文化のような、人々が長年に渡り蓄積した知恵があります。一食はだいたいこのくらいとか、初対面の人に会った時はこうする、といった明文化されてはいない指針の数々です。 私たちはそれらを小さな時から学び続けることで、それほど負担なく、食べたり、他者と関係を作ったりすることができるわけですが、このような暗黙知が邪魔になることがあります。 その一つが「痩せたい」という思いです。それまでの食べ方では痩せられないわけですから、数字で体と食べ物を評価し、徹底的に自己コントロールを試みる。 そうすると、この辺でやめておこうとか、美味しいからもっと食べたいといった、身体感覚の中に混ぜ合わされていた暗黙知は、むしろ痩せるためには邪魔なものとして捨てられ、数字を見ないと食を調整することができなくなります。その思いは、自ずから他者関係にも影響を与え、ちょうどいい塩梅で他者と繋がりを持つこと自体も難しくなってきます。 河野さんの経験は、外側のものを物質としても(=食べ物)、象徴としても(=他者)取り入れ、それらとバランスをとりながら生きていくことの難しさを語っています。私たちは数字に生き方を明け渡しがちですが、明け渡した結果、捨てられるものがある。それが何かを知っておく必要があるでしょう。

  • 宅間守元死刑囚に言ってほしかった「一言」 向き合った弁護士の思い

    磯野真穂
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    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年6月6日6時16分 投稿

    【視点】本題とは少しずれますが、「ありがとう」や「ごめんなさい」を言う理由は、それが道徳になっていることもあり、よく考えるとはっきりしません。 人類学者の奥野克巳さん著『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本にあるように、このような声かけを使わない民族もいます。それを知ると理由がますますわからなくなりますが、他方でこの二つの言葉を重要視する人々が多いことも事実です。 人類学者の木村大治さんは、著書『見知らぬものと出会う』の中で、挨拶は一緒にいる場、すなわち「共在の枠」を作り上げるための最初の作業である、と言っています。 これを応用することで、宅間死刑囚に「悪かった」と言わせたかったと考える弁護士の戸谷さんの理由が見えそうです。 宅間死刑囚が仮に「悪かった」と言ったとしても、死んだ子どもたちが帰ってくるわけではありません。ただ、謝罪というのは壊れてしまった共在の枠を、今一度作り直す役割を果たします。なぜなら謝罪により「この人は同じ世界に同じ価値観を共有して住んでいる」という確認がなされるからです。そしてそのことを確認するだけで人は、わずかながらであっても癒され、生きていく力を得ることがあります。 ところがこの裁判では、それが最後まで起こらなかった。膨大な時間と努力と工夫と忍耐を注ぎ込みながら、共在の場が最後まで作られなかった結末に、どうしようもない隔絶と絶望を感じます。

  • 「瞬発力」カギは筋肉より腱?マウスで実験 短距離選手も調べたら…

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年6月3日17時48分 投稿

    【視点】私は元々運動生理学を専攻していました。面白いなあと思っていたのが、トレーニングに流行りのようなものがあることです。 90年代は、大きな筋肉をマシンで鍛える、いわゆる筋トレに注目が集まり、その後、大切なのはインナーマッスルであるとして、チューブなどを使い、より小さな筋肉を鍛えることに注目が集まりました。 その後、それまでのものが完全に廃れるわけではないのですが、股関節、骨盤、体幹というように、少しずつ注目される場所が遷移してゆくのです。 なので、とうとう「腱」が注目される時代が来たのか、とこの記事を見て感じました。これはまだマウスの研究結果とのことですが、そのうち「腱トレ」といった本が発売されることもあるかもしれませんね。

  • 誰がメディアを殺すのか 「反日」と叩かれた私が見た萎縮の現場

    磯野真穂
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    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年5月20日9時51分 投稿

    【視点】異なる政治的な立場の人に向けられるデマやバッシングの拡散については、日本の歴史的、文化的な土壌、個々人の心のあり方を問題視することはもちろん重要です。しかしアルゴリズムの視点から捉えることも重要でしょう。 斉加さんのご著書『何が記者を殺すのか』にも詳しく書かれていますが、特にTwitterで拡散されたデマやバッシングは、bot(自動投稿プログラム)によるものも多かったとのこと。 人類学者のハイジ・ラーソンは、デマを潰すには、デマそのものを狙ってもイタチごっこになるだけで、終わりがない。これを変えるには、デマが拡散される土壌(=エコロジー)にアプローチしなければならないと述べています。 イーロン・マスク氏のTwitter買収が世界を騒がせています。経営者の方針変更がTwitterアルゴリズムの変更につながり、デマやバッシングを拡散させる土壌自体を変えるかもしれません。 それが望ましい方向になるか、そうでない方向になるかは不明ですが。

  • 七音=ドレミはダメ? 戸籍の読み仮名、キラキラネームの扱いで3案

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年5月18日8時16分 投稿

    【視点】名前というのは実に面白く、地域によって様々な命名方法があります。使える名前のストックが決まっている地域、同姓同名が絶対にいないよう注意深く名付けを行う地域などさまざまです。 今回問題になっているのは、名前の読み仮名。これがマイナンバーカードに記される氏名のローマ字表記、および行政手続きのデジタル化と関連していることが興味深い点です。管理のあり方の変更が、名付けに影響を与えることになるからです。 これまでは問題にならなかった読み仮名が、「ローマ字によるデジタル管理」を考え始めた途端に懸案事項となり、許容範囲を定めなければならなくなってしまう。 記事は、読み仮名の許容範囲をなぜ決める必要があるのかについては踏み込んでいないので、議論の詳細は不明ですが、漢字だけでなく、読み仮名もローマ字で登録するとなると、登録時のミスで本人確認ができないといった問題も出てきそうです。 そうすると、もう漢字の登録はいらないのでは?、と言った議論が出てくるかもしれません。この問題は長い目で見ると色々なところに波及してゆきそうです。

  • なぜスポーツ指導の暴力はなくならない? 秀岳館高の会見を読み解く

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年5月16日12時29分 投稿

    【視点】スポーツの語源を辿ると、「気晴らし」や「娯楽」(pastime, entertainment)に行き当たります。この語源からは考えられない状況が、なぜ部活動で起こってしまうのか。 記事にもありますが、スポーツの目的が、心身の鍛錬にあると考えられたことがその1つの原因でしょう。 さらに言えば、言葉の意味変化はしばしば起こることなので、スポーツの目的が心身の鍛錬になること自体は悪いとは言えない。 ただ問題は、「殴ることが教育である」という短絡的な思想が出来上がり、その思想を覆せない構造が立ち上がったことです。 おおたとしまささんが引用されいる、青木真也さんの下記の言葉は注目に値します >中学の指導者は、中学生の大会で1番になることをやっぱり求めます。その場で成果を出そうとします。そのためにバカバカやらせるばかりで、高校でどうなるかとかは考えないわけですよ。子供は子供で中学でいい成績を残さないと高校に行けないと思うから必死でやります。どんどん目先にとらわれていく不幸な構造です 教育とは、子どもの1年や2年先ではなく、もっとその先、たとえば10年、20年先を見越して行われるべきものです。しかし大人たちが「目先」に囚われ、その目先のために「心身の鍛錬」と称して、暴力が正当化されてしまう。 そのような構造からこの問題を捉えると、「暴力の根絶」という可視化できる状態を目標とするのは小手先に思えます。 考えられるべきは、部活動のその先に、どのような子どもの未来、社会を指導者が描いているのか。そのための指導とはどのようなものか、ではないでしょうか。 「〜はダメ」という議論は大変わかりやすい。 ですが、このような議論は得手して、どれが暴力でどれは違うかという、重箱の隅をつつく議論に陥ります。そうならないためにも、未来から今を見据える議論を行うことが建設的だと感じます。

  • 体育の授業でマスク「外して」 末松文科相「熱中症、命にかかわる」

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年5月13日10時40分 投稿

    【視点】「やってる感」を出すための感染対策が、どれだけ若い芽を摘んできたか、そろそろ真剣に振り返られるべきでしょう。 先日、お年寄りが誰もマスクをしておらず、黙食もせず、かつ面会も自由なある介護施設を案内してもらいました。(感染対策のあり方を議論し尽くした上での対応です) そこの施設長の方は、「責任を取ると言うのは、なぜそれをやっているかを説明できること」、「ケアというのは、その場その場でやり方を変えていかなければ成り立たない。上から言われたから、みんなが言っていたから動くというやり方では、ケアは決して成立しない」とおっしゃっていました。 学校現場も同じではないでしょうか。 また、「このような対応をしないと糾弾されてしまうかも」と恐れを抱かせるような環境を、朝日新聞も報道を通じて作ってこなかったか、考えていただきたいと思います。

  • 会社で本音はなぜ言えない? イエスマンだけの組織に未来はあるか

    磯野真穂
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    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年5月9日9時7分 投稿

    【提案】「心理的安全性」は有名な概念ですが、これを語るのであれば、それを醸造したり、喪失させたりする組織の構造と併せて語る必要があるでしょう。日本の組織に「心理的安全性」がないわけではないからです。 「そうでないと、日本は「A」がないからダメで、欧米には「A」がある。だから「A」を取り入れればいいのだ」、といった極端な移植型の議論や、「オジサンの古い思考が良くない」といった、ある集団を責めて溜飲を下げるという、浅薄な議論に陥ってしまいます。 少し古い本ですが、人類学者の中根は日本の組織がどのように「心理的安全性」(という言葉は使っていませんが)を醸造しているかを『タテ社会の人間関係』の中で詳しく述べています。 ここでは批判の対象となっている、年功序列と派閥も「心理的安全性」醸造の1つの方法と私は考えます。その上で、日本の組織の功罪を分析することが必要ではないでしょうか。

  • ドッキリの特番減る? 「痛みを伴う笑い」改善提言は現場を変えるか

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年5月5日13時52分 投稿

    【視点】「笑い」というのは卓越した一つの技です。なぜ笑えるのかといえば、「普通はこうだろう」という人々の予想を、ぎりぎりの点で交わすから。でもそれは、度を超えた「恐ろしさ」や「気味の悪さ」の一線にはぎりぎり踏み込まない。 「面白い」を体現するのは、そのくらい難しいことであり、その意味で笑いは技であると私は考えます。その意味で今回の記事は、わたしたちを取り巻く「当たり前」が変化していることを示すでしょう。 その上でですが、記事にある「相方の頭を思い切りたたく」というツッコミは、当たり前からズレたことをした相手と、その世界に導かれた観客を、当たり前の世界に引き戻すという一つの記号の役割を果たします。それが繰り返されるからこそ、笑いが起きる。 これと罰ゲームなどで痛みを与える笑いはまた違ったものと考えますが、それが一緒くたに「暴力」「いじめ」という範疇に入れられることに、まず疑問を感じます。 現代社会は、相手の体に触れるとことを、道徳の観点から極度に避ける社会です。その規範は、おそらくこれからも進むことが予想され、今回の記事もその線の上にあると言えるでしょう。 >「痛みを伴うことを笑いの対象とする」バラエティー番組は「青少年の共感性の発達や人間観に望ましくない影響を与える可能性がある」 お笑いに限らず、このような意見は多様な表現に対して常に出され、往々にして批判側の意見は「正しい」ために勝ち続けます。 しかしかなりの暴力シーンを伴ったアニメであった「北斗の拳」や、あるいは今人気の「鬼滅の刃」や「進撃の巨人」を見た子どもが、それを見ずに育った人たちより、共感性を持たない大人に育った・育っているなどというデータはあるのでしょうか。 お笑いや漫画などで知り得た表現を、子どもが現実の世界に適応してみることはよくあることです。問題はそれを現実でやったらどうなるのか、という、自分の人間関係における匙加減を子どもが学べるかにかかっています。 「ある表現」と「あるべき子どもの成長」を一足飛びに結びつけ、規制を進めるやり方は、表現とそれを見た子どもの間にある「世界」の問題を、置き去りにします。 とはいえ、このような規制は止まることがなく、「笑い」に限らないあらゆる場所にこれからも張り巡らされていくことでしょう。

  • 伊藤忠、社員の出生率公表に賛否「就活の参考になる」「産む前提だ」

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年4月29日10時31分 投稿

    【視点】SNSを見ると、企業が出生率を公表することの是非と、出生率が女性活躍の指標と結び付けられることの是非がごっちゃになって議論されているように見えます。 後者に関してはもちろん議論の余地がありますが、公表そのものが「『子を産むことがいい』という圧力になる」というところにまで議論が進むと、なぜ1企業の公表はアウトで、国家や市町村単位の公表はセーフなのかという別の議論が出てきます。 また福井県に至っては、子育てモデル企業として、1従業員が持つことのできる子どもの数をランキングで毎年公表していますが、これも問題になってしまうのでしょうか。 (https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/rousei/kodakara_d/fil/023.pdf) 統計データそのものは何らかの価値を孕みます。したがって、「子を産むことがいい」という価値観は今回のデータにも多少は入っているでしょう。しかしこれを言い出したら、どのような統計もそのような議論の範疇に入ってしまうはずです。(大学進学率の公表は、「大学に行けなかった人のプレッシャーになる」「大学に行くことが良い」という前提で話が進んでいる、など) したがって、なぜこの統計データが注目を浴び、賛否が渦巻いたのか。公表そのものの是非を短い言葉で争う前に、その背景を考えることが必要だと思います。

  • ランドセル購入額、10年で1万9千円上昇 過熱する「ラン活」

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年4月26日8時32分 投稿

    【視点】多様であることは一般的に良いこととされていますが、この記事は、多様な選択がさらなる(高額な)消費と、その後起こるだろう子ども、あるいは親同士のランドセルの比較につながることをよく示します。 個性的で質の良いランドセルを負担なく購入できる家庭がある一方で、そのようなランドセルを買うことが相当に厳しいご家庭もあるはずです。 個性、多様性といった言葉を闇雲に賛美するだけでは足りない時期に来ているのではと、この記事から考えました。

  • 安いファッションが抱える搾取の構造 日本も「他人事ではない」理由

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年4月26日8時18分 投稿

    【視点】縫製工場「ラナプラザ」の事件は、グローバル化されたアパレル産業の負の側面を伝えるショッキングな出来事でした。これにより労働環境の改善が目指され、実際にそれはある程度達成されたわけですが、それにより仕事を奪われる女性たちが生まれてしまったとのこと。 現代社会は、とにかく速さと見栄えを求めます。素速い解決、フックのあるフレーズと見栄えのする映像。ラナプラザ事件の後に起こった抗議行動とその変化は、その二つが揃ったという意味で現代的であったと言えるでしょう。 しかし実はその裏で、最も弱い立場にいた労働者が、職場から締め出されるといったことが起こった。ファーストな運動が生み出した新たな問題です。 社会問題というのは、瞬間的な運動では解決できません。そこにある構造をよく見極め、ある側面から見たら良くないようなことでも、全体で見るとなんらかの機能を持っていることがある。そのような批判的視座を持ち、時間をかけて眺め、構造全体をゆっくり動かしていかなければ解決しないことがわかります。 また話し手の南出さんは「学生たちと話していると、最初はどうしても、『恵まれた日本』から途上国の問題を見る、という意識が強いです(中略)機械化や人工知能(AI)によって仕事が奪われるという問題も、ジェンダー間の経済格差も、もはや他人事ではありません」と話しますが、機械やAIに仕事を奪われる前に、日本自体が労働力の安い「先進国」の下請けになる可能性も否定できないでしょう。その意味でも他人事ではない問題です。 語り手の南出和余さんのご専門が人類学であることがよく伝わる、厚みのあるインタビューです。

  • 「クソどうでもいい仕事」なぜ増える やりがい搾取、のりこえるには

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年4月21日9時16分 投稿

    【視点】私は「クソどうでもいい仕事」が蔓延っている大学教員を10年余り続け、現在は大学環境から離れているわけですが、この話については色々考えることがあります。 大学を出てから「クソどうでもいい仕事」に煩わされる時間は驚くほど減りました。大変に快適です。 その内外の視点を踏まえて思うことがあります。それは、この記事の大筋には賛成する一方で、「クソどうでもいい仕事」を減らしましょう、という声が大学の内部から上がり、実際に運動となった例を、少なくとも私は見たことがないということです。 多くの教員が「意味がない」と思う仕事でも、それは常に愚痴レベルに止まって終わります。 印象に過ぎませんが、実際にそういう声をあげると、自分の仕事が余計に増える、組織内の立場が悪くなる、といった恐れから、そこに踏み出さないように私は感じました。 ベーシックインカムのように大々的に新しい制度を上から降らせ、システムも変えることも必要でしょう。しかし、「クソどうでもいい仕事」を減らすための動きが下から立ち上がらなければ、どんな制度を作っても同じことが起こるのではないでしょうか。 もちろん立場上弱く、そんなことができない人も多いかとは思います。 ですが大学教員、特に常勤の教授・准教授はそれなりに社会的地位もあり、言葉の力もある仕事です。システムの瑕疵を俯瞰的に指摘するだけでなく、自身が所属する組織の内部で「ブルシット」を変えるための動きをもっと率先して起こしてもいいのでは、と思います。

  • ほぼ全ての中絶が「重罪」、米オクラホマで州法成立 規制強化の動き

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年4月14日8時9分 投稿

    【視点】>受胎以降の一切の中絶が禁じられ、強姦(ごうかん)や近親相姦(そうかん)による妊娠も対象。例外は、妊婦の命を救う必要がある場合だけだ。 日本の母体保護法は、強姦などの暴力の他に、経済的理由においても中絶を許します。それに照らすと、この法律は俄かに信じ難い内容でしょう。しかし宗教的な背景も強いアメリカでは、大統領選挙の争点になるほどの大きな論点です。 この問題に関しては、この記事を書かれた藤原さんが過去に特集をされています。加えてその特集記事の一つである、「妊娠は神の計画 「赤ん坊991人を救った」女性が語る生命の始まり」( https://www.asahi.com/articles/ASPCL43XWPC7UHBI00H.html )につけられた、三牧聖子さんのコメントも示唆に富むものなので、ぜひ合わせてご覧ください。

  • オミクロン株変異「XE系統」を国内で初確認 成田空港に到着の女性

    磯野真穂
    磯野真穂
    人類学者=文化人類学・医療人類学
    2022年4月13日8時13分 投稿

    【視点】科学用語が次々と細分化され、その細分化されたものに対し「注意を払え」と言われるようになったとき、私たちは「何かおかしい」とアラートを発する必要があります。 新型コロナウイルスははじめは、「コロナ」と言われていたのに、それが次には「変異株」と名指されるようになりました。その次は、デルタ株、オミクロン株といった変異株の名称が見出しに躍り、そして遂には、オミクロン株の変異としての「BA.2」系統、「XE」系統です。一瞬新幹線の名前かと思いました。 当然ながら、コロナウイルスを目で見てさわる事はできません。変異株、さらにはその変異株の「系統」なら尚のことです。しかし一旦言葉やイメージを通じて説明されると、私たちはそれがわかるような気がするし、その「系統」に注意することが大切で合理的・倫理的なようにも感じてしまいます。言葉の羅列、写真といった記号が、私たちの身体のうちに、「あるものが存在することの実感」を作り上げていくからです。 同じような細分化が見られるのが、ダイエットとサプリメントです。数年ごと、時には1年ごとに新しい名前の何かが流行り、それは新しい発見であり、すこぶる効果があり、科学的であるかのように語られます。 上二つと異なるコロナの奇妙さは、私たちができる対策は、マスクをしたり、消毒をしたりといった形で当初からずっと変わらないにも関わらず、言葉だけがどんどん細分化され、その細分化された何かは「これまででよりも恐ろしい」「馬鹿にするな」「きちんと勉強しろ」といった語りが使われ続けることです。(今回の記事を見る限り、その語りはようやく和らいできたようですが。) 現代社会の特徴は、直接経験できることよりも、情報がもたらす経験に価値があるとされること、情報が巧みに私たちの身体感覚をコントロールしていくことです。 科学の言葉が細分化され、それについて詳しく知っていることが自分のためになるかのような語りが溢れ出した時、私たちは、そのような知識を広めることで得をしている誰かがいるのではないか、と疑う必要があるでしょう。

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