高久潤

高久潤たかく じゅん

朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
関心ジャンル:国際カルチャーIT・テック消費者ライフ

最新コメント一覧

  • ひびの入った骨董 吉田秀和の伝説のホロヴィッツ批判 全文を読む

    高久潤
    高久潤
    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年6月19日7時5分 投稿

    【視点】「ひびの入った骨董」。来日したピアニスト、ホロヴィッツの晩年の演奏を音楽評論家の吉田秀和さんがこう評したことは有名です。クラシック音楽ファンの間では広く知られた話ですが、その原稿は朝日新聞の「音楽展望」として1983年6月17日に掲載されました。いま朝日新聞デジタルで全文が読めます。 久しぶりに全文を読み直しました。私の記憶ではとても舌鋒鋭く、あの天才ホロヴィッツを「ひびが入った」とこきおろした、というようなものでしたが、全然違いました。 いやその偉大なピアニストの才能をたたえながらも酷評しているのですが、自分の目の前で立ち上がる音楽を目と耳で徹底的に受け止めながら、それを一つひとつ言葉に落とし込み、さらに高齢で活躍したコルトー、バックハウスら往年の巨匠の演奏と比較して位置づける。まさに批判ならぬ、批評。批評には「吟味する」という意味がある、と聞いたことがありますが、まさにそれです。 吉田秀和さんの批評を「すごい」とあらためて評するほど、ばからしいことはありません。なぜならすごいに決まっている、から。つまり私のこのような言葉そのものはまったく批評的でないわけです。 しかし、にもかかわらず、ここで紹介したかったのは、この歴史的批評を読んで、どこか「懐かしい」気分がして少しさみしくなったからです。相手の言葉や意見を、舌鋒鋭くぶった切るか、あるいは本当はいろいろ思うところがあっても「すごい」「すばらしい」くらいしか言いにくい。そんなタイプの書きぶりを、私も含めてしていないだろうか。とにかくパンチライン重視で言葉を発していないだろうか。そんなことを考えさせられたからです。 この吉田さんの批評は白黒ついているのですが、それは最近の白黒つける議論とは少し違う。かつて読んだとき、そんなことを考えたことはありませんでした。これは私が年を重ねたからなのか、言説をめぐる環境が変わったからなのか。それとも両方なのか。それはわかりませんが、じっくり読んでいただきたいです。そして吉田さんがなくなって10年も経つのですね。これまで朝日新聞に掲載されてきた寄稿が今後も配信されるようです。ぜひ読んでいただけるとうれしいです。

  • 「神保町ありがとう」三省堂が一時閉店 古書店街の「粋」は今も

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年5月7日18時5分 投稿

    【視点】神保町は大人の砂場ーー。なるほどそんな見方ができるのか、と印象に残りました。私も、東京にいるときは定期的に神保町に通っていました。三省堂・神保町本店のみならず、あちらこちらの書店にふらふらと。 ただ、本を買ったらすぐ読みたいので、お酒を飲んだことはほとんどなくて、神保町の飲み屋で横に座ったひととブックトークをしたことはありません。惜しいことをしました。「ひけらかさない人が多い」。おもしろいですね。 本屋めぐりをしていると、新刊であろうと古本であろうと、ある時間の経過の中で、消える本、残る本、同じような話でもまたぞろ姿を現す本といろいろあることがわかります。 もちろんそれは出版社や本屋の意向が働くわけですが、同時にそれは多くの場合、買う側の移りゆく関心と変わらない興味のありようが本という「もの」として目の前に立ち現れてきているとも言えます。 個人的には書店めぐりしていると、誰と話さなくても、本を眺めているだけでくたくたになる。そこにはいろんな人の思いや関心が渦巻いて、「おなかいっぱい」になってしまうからです。 ひけらかさないという、この記事で書かれた「粋」は、この本の街に圧倒されて疲れた大人たちがその疲れをいやしている様子を言い換えた言葉なのかもしれないな、と妄想させられた記事でした。

  • 聖地エルサレムでの衝突、どこまで? ラマダン後の激化、高まる懸念

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年4月29日3時4分 投稿

    【視点】筆者です。エルサレムで衝突と聞くと、どう思いますか。物騒だな、エルサレムはいつも何かややこしいことがおきているな。そんなイメージでしょうか。 赴任して1カ月ほどの私も、来る前そう思っていました。実際、イスラエルの治安部隊とパレスチナ人の衝突のみならず、ユダヤ人の示威的な行進、それに対する反発など、日頃記事として書いていない「対立」も、頻繁に起きています。 ただこの記事でも、こっそりと(というわけでもないのですが)書いていますが、衝突が起きる場所でも、ずっと衝突が起きているわけではありません、当たり前ですが。 衝突が起きればけが人もでるし、時に火炎瓶やら催涙ガスがばらまかれると、ひどい光景になります。でも終わると、やおら掃除が始まり、きれいになる。本当に直前まで衝突が起きていたのか、と思うほどで、時に笑顔をこぼしながら掃除しています。 記事でも少し言及していますが、エルサレムの旧市街は宗教的なシンボルとともに、政治が決めた「線引き」が幾重にも絡んでいるホットスポットです。宗教対立の場所と考えると十分な説明ではないなと思います。 旧市街は、いろんなバックグラウンドを持った人が、住人として、あるいは近所の人ととして、観光客として、時に他国のリーダーとして、多くの人が関わる場所です。 ほとんどの時間は、平穏ですし、多様な人たちが生活をしている空間です。そんな衝突の場所とは違う「旧市街」の違う顔を次の機会にはお伝えできたらと思います。

  • 社会学者の見田宗介さん死去 84歳 「現代社会の理論」

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年4月10日18時53分 投稿

    【視点】個人の自由を決して手放さないコミューン(共同)主義。見田さんの著作の一貫したモチーフはこれだったと思います。「気流の鳴る音」「自我の起原」などで、私たちの「生」の切実さを、時に詩的な言葉や語りを盛り込みながら綴る。お話があまりに魅力的すぎて、これは「学」なのか。とも思ってしまうのですが、読み進めるうちに、そんなこと、どうでもいいな、と思わせてくれる。そんな本を書く人でした。 これは文章が巧みである、というような類いの話ではありません。読んでいると、私の平凡な生が、確かに謎に満ち、奇跡にあふれたものであるように感じられる。私の「生」の意味の味わい方が変わっていく。そんな著作に魅了された人が多かったように思います。 また、見田さんはNHK放送文化研究所の「日本人の意識」の調査の設計にも携わりました。今なお社会意識を知るには欠かせないこの調査が「長生き」しているのは見田さんの力が大きかった、とも聞きます。 残念ながら私はインタビューしたことがありません。ただ何度か講演会や対談などでお話を聞いたことがあります。立て板に水のように話すわけではない。いつのまにか聞いている人たちがその語りに吸い込まれてしまう。その雰囲気にちょっと危うくない?と思ったこともありましたが(笑)その語りの魅力も圧巻でした。 私はよい読者ではなかったので、この一冊というものを紹介するのが難しい。ただ一冊も読んだことがないという人の場合、記事でも言及されている「現代社会の理論」をいきなり読むことは、おすすめしません。 「社会学入門」「近代日本の心情の歴史 流行歌の社会心理学」(←取り上げてる題材が古いのは仕方ないですが)「現代日本の感覚と思想」などの方がその魅力を感じやすいと思います。

  • 精神科医が唱える「自閉」の可能性 過剰コミュ社会を生きるために

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年2月13日20時8分 投稿

    【視点】うつになる人というのは、職場の電灯を最後に消すタイプが多いーー。松本卓也さんのこの表現に、はっとさせられました。思い浮かびませんか?そんな人たちの顔が。多くの場合、決して苦しそうな顔を見せず、率先して仕事をして、なんなら先回りしていろんなことやってくれる。 助かるなあ。あの人、仕事できるから簡単にできちゃうんだろうな。自分自身その人たちに甘えているのに、「あの人は仕事できるから」と、その人たちが感じている負担をその人たちの能力の高さに置き換えて、押し付けたまま放置してしまう。 本当はその人を支えないといけないのに、です。 あれも、これもできないと「ふつう」じゃない。そんな社会で本当に多くの人が(マジョリティーであっても)「マジョリティーのふり」をして生きている。 「人々は薄氷を踏む心持ちで、生きている」「マイノリティー(少数者)は、あらかじめ『いる』わけでなく、マイノリティーに『なる』ということ」――。 決して長いインタビューではありません。急いで読むと、おもわず読み飛ばしてしまうかもしれない、でも大切な言葉がたくさん書かれています。そのうえで、「たとえばネガティブにみられがちな『自閉』を肯定的にとらえてみる」という提案の具体的な意味を考える。 自分の生活を省みさせてくれるインタビューです。

  • 殺される「無用な」ひよこ、年4500万羽 規制に踏み切ったドイツ

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年2月13日19時48分 投稿

    【視点】卵を産まない雄ひよこの殺処分がドイツで禁止されました。欧州では、動物の福祉(アニマル・ウェルフェア)を重視する規制がこれまでも進められてきましたが、さらに一歩踏み込んだ内容です。 動物の福祉について、私もこれまで取材してきましたが、この問題にあまり関心がない人に必ず聞かれる質問があります。 「家畜って食べるために育てられているんだから、福祉を考えるって欺瞞じゃない?」 そして「だから食べる以上は残さず美味しく頂くことが大事なんじゃないの?」と続きます。 定型とでも言える「語り」です。 ただ野島記者も書いているように、最近では実際に動物がどう殺されているのか、どう扱われているのかをネットなどで検索すれば簡単に見られるようになりました。 ショッキングな映像なので、自分が見るかどうかは慎重に判断したほうがいいと思いますが、これを見ると、「どっちにしろ食べるんだから=殺すんだから、一緒」とはさすがに言えないなと私は思いました。 薄々知っているけども、実際には「見ない」。そのことがいろんな問題を不可視化してしまう。それではいけないのではないかという問題提起が「声」としてのみならず政策にも反映されるようになってきた。これは動物の問題に限らない傾向だと思います。 なお、動物をめぐる倫理の問題は、「新しい」議論ではありません。この記事で言及されている、動物の福祉に加え、さらに動物の権利を考える議論も長い間議論されてきました。 このあたりの議論を概観するには、田上孝一「はじめての動物倫理学」(集英社新書)、伊勢田哲治「動物からの倫理学入門」(名古屋大学出版会)がおすすめです。

  • 子どもの人生、「塾歴」で決まる?少子化でも過熱する受験競争の実体

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年2月1日21時18分 投稿

    【視点】筆者の一人です。可能性という言葉は怖い。この記事を書いていて考えていました。 「よい」学校に行けば、あるいは「よい」塾に行けば、「よい」人生を送れるとは限らない。それはほとんどの親がわかっているのではないでしょうか。もちろん受験戦争に巻き込まれることで、視野が狭まってしまっていることがあるとしても、です。   インタビューした石岡学さんは、親が子どもに受験させることを、「保険」という言葉で説明していました。確かに保険は、懐に余裕があるならば、かけないよりはかけた方が良い。私も愛読するマンガ「二月の勝者」の冒頭に、中学受験は父の経済力と母の狂気だ、というセリフがありました。 瞬間的に「狂気」に近い感情があるとしても、自分の子どもにのびのびと成長してほしいし、その才能の可能性を少しでものばしたい。そんな親の、切なる思いと「計算」が中学受験を駆動しているのだと思います。 ただ、保険には、「かける」ものが生活そのものを逼迫させない範囲で、という前提がある。つまり「子どもの未来のため保険をかける」こと自体のリスクは、保険では保障されません。ちょっと小難しい言い方をしますが、可能性の問題は確率として表現されますが、子どもの人生は1回なので、サンプルの数=1です。確率として理解するのは難しい。 人生はロールプレイングゲームと違って、リセットボタンは押せません。可能性を広げられたかどうかなんて、結局本人がどう感じて生きて行くかで決まることなのかもしれません。子どもと言ってもやはりそこは「他人」。それでも「幸せ」を願うのが親だとは思います。ただ、その願いはあくまで親である「自分」の願いで、願いはあくまで願いにすぎない、と思ったほうがいいのでしょう。もちろんそれはとても難しいことですが・・・。

  • この世の終わりを避けるのにかかるコストの意外な安さ ハラリ氏寄稿

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年1月29日14時18分 投稿

    【視点】 世界のGDPのわずか数%を使えば、世界の終わりを避けられるのにどうして絶望する必要があるのか。様々なデータを渉猟しながら、ハラリ氏はそう問います。さらに気候変動をめぐって、気温上昇の抑制目標「1・5度」という数字を使うことに慣れてきた今、それを実現するための対策に必要な投資がどれくらいなのか。数字に落とし込むとそんなに絶望するような数字ではないのだ、と。  確かに世界のGDPの数%を新しいエネルギー投資などに振り向けられれば、問題が解決すると言われると、たったそれだけ?とも思います。この寄稿で言われているように、もっと大きなお金を使ってきた実績がかなりあるからです。リーマンショックの時に米国が「大きすぎてつぶせない」とした金融機関救済にGDPの約3・5%を使った。さらにコロナ禍で、世界各国は景気刺激策にGDP14%相当を費やしている・・・・・・。    こうした数字を見たあとに、生態系に優しいテクノロジーとインフラへの投資を、(20)20年の水準からあと2%分増やす」という目標がハードルが高いものじゃない、という指摘はよくわかります。    さらに、「人類は、アマゾンの熱帯雨林も『大き過ぎて潰せない』ものとして扱うべきではないだろうか?」として、世界のGDP1%くらいで買い上げられるのだという指摘も興味深い。  目標だけではなく、目標達成手段をも、数字で表現しようというハラリ氏の提言は、敗北主義を排する試みです。そして、あえてこういう言葉を使いますが、どうして「この程度のこと」ができないのかという問いにも誘われます。  ただ、正反対のことも言えるのではないかとも思いました。つまり、たったこれだけのことですら、現代社会は決める力を持てていない。軍事や景気刺激ならば、批判はありながらも、さも当たり前のように支出するのに、こと「持続可能性」「未来」に対してというと、とたんお金を振り向けられない。  この原因を、資本主義の限界と考えるか、はたまた民主主義の限界とみるか、は立場で違うでしょう。実際に「限界」ゆえに、自分たちの未来を選べてないとしても、その「限界」がどの程度のものなのかを可視化する。データで示す、私たちの「限界」。これくらいなら乗り越えよう。稀代の歴史家のメッセージとして読みました。

  • 相次ぐ無差別襲撃、宮台真司さんに聞く 「別の生き方」への想像力を

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2022年1月21日19時10分 投稿

    【視点】〈人の感情はこうした過剰流動性に耐えられない。「死刑になりたい」「誰でもよかった」と本人が語る無差別な加害行為の背後に、加害者自身が置き換え可能な「誰でもいい」存在として扱われてきたことによる怨念がある〉 「怨念」という言葉が、とても印象に残りました。これは何も、無差別な加害行為をするひとたちばかりではなく、かなり多くの人が共有する気持ちではないでしょうか。 「踏まれた側は、忘れないんだよね」 以前取材で聞いた言葉です。個人として尊重されていないという感覚が、この社会を覆っている。 宮台さんの分析によると、何も日本固有の問題ではない。「幸せな人生はいろいろある」ことを教えられる大人を増やすには、幸せな人生を知っている大人を増やさないといけない。でもこの分析で指摘されているように、長い時間をかけてうみだされてきた空洞化が原因だとするならば、構造的にはそう簡単な解決策はなさそうです。 でも個人がやれることは結構はっきりしていると思います。幸せそうに生きる。そして「怨念」がある人を個人として全力で支え、助ける。 シンプルなことです。まずは自分から始めなければ。  

  • ショパンコンクール、反田恭平さん2位 日本出身者で過去最高タイ

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2021年10月21日18時16分 投稿

    【視点】歴代優勝者は、マウリツィオ・ポリーニ、マルタ・アルゲリッチ、クリスチャン・ツィマーマン・・・。5年に1回開かれるショパン国際音楽コンクールは、世にたくさんある音楽コンクールでもとりわけ注目が高いことで知られます。 2位の反田恭平さん、4位の小林愛実さんをはじめ、世界各国から集まったピアニストの演奏が、ネット経由で動画とともに聴ける。ショパンのみ、そしてピアノのみ、というこのコンクール(実はこういうコンクールは少ない)を、ワルシャワから離れた場所から楽しめる、本当にいい時代になった、と思いました。 ところでショパンの曲を聴いていると、こんな気になりませんか? 「ショパンの書いたものは、始めから7、8小節きくと、思わず『ショパンの曲だ!』と大声でいいたくなる・・・」   これは作曲家で、評論家としても活躍したシューマンが、当時の聴衆の反応について書いた一節です(吉田秀和訳『音楽と音楽家』より)。ああ、いつの時代も変わらないのだなと思います。 ただ、シューマンは、でも、と続けます。その幹は変わらないが、同じようなものはなく、変化の妙が尽くされ、それぞれの曲はどれにも置き換えられないのだ、と。 確かに。世界中から集まったピアニストたちのショパン演奏で、彼の曲の豊かさと、ショパンという人の重みを再確認する。まさにショパン・コンクール。ただ、若手登竜門と形容するのはどうかな、とも思います。それくらいすでに実績を重ねた人たちが集まったコンクールでした。

  • ロスジェネ単身女性の老後 半数以上が生活保護レベル 自助手遅れ

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2021年10月15日10時31分 投稿

    【視点】テレビドラマ「SUPER RICH」(10月14日放送)をみていたら、世の中フェアじゃない、という趣旨のセリフを聞きました。セリフのみならず、ドラマの主要な登場人物の設定は、人生は、どんな家庭に、いつ生まれるかで、全然違うことが強調されています。フェアであるべきだが、現実はフェアじゃない。多くの人が知っている「現実」です。 ただ、この記事を読んでいると、いくらなんでも、と思います。たまたまある時期(ロスジェネ)に生まれ、女性であるという理由だけで、ここまで不利になってしまう。どう考えてもアンフェアなのに、制度的に長年放置されてきました。しかもインタビューで触れられているように「ロスジェネ世代の女性の苦境は見えにくい」。仮にこれから正規になっても相当に厳しい。 フェアなのか。アンフェアなのか。おおむね世の中はアンフェアだと思うことが多いがゆえに、このアンフェアはいくらなんでも、という感覚を養うことが欠かせない。ジェンダーの違い、生まれた家庭の所得の違い、学校歴の違い、生まれた年の違い・・・・・・。あまりにいろんな線がひかれすぎていてフェアってなんだっけ? でも結局自分で何とかするしかないよね、という話に着地しがちです。 「自助、共助、公助」という言葉で、とくに自助が強調されて廃れないのは、実際に生きて行くには、現実として自分が何とかするしかない、という身もふたもない事実があるので、「結局」と腹をくくらされてしまう。でも「結局」という前に、完全なフェアはないにしても、「いくらなんでも」と思える社会的な感覚を養う必要があると思います。その意味でこの記事で紹介されているデータやシミュレーションは、フェアの感覚の拡張に欠かせません。

  • 「親ガチャでなく、国ガチャ」 論争の火付け役が語る世代間ギャップ

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2021年10月7日18時35分 投稿

    【視点】社会の問題であるはずのことが、個人の能力や課題に置き換えられてしまう。「親ガチャ」論は、自己責任論のバリエーションとして考えられそうだ。「親ガチャ」ではなく、「国ガチャ」では?という指摘は、そんな問題提起のように読みました。 ただ「私」ではなく、親の問題として「私」からちょっとずらしていることが気になります。インタビューでは、「諦観」についての分析もされていますが、私にはどこか「やるせなさ」、つまり「そんなの私の問題と言われても」という感覚が少し残っているのかもしれない、とも思うのです。むろんそういう解釈は、中高年の発想である、ということなのかもしれません。 というわけで、最近私は若い人に「親ガチャ、どう思う?」と聞くことにしています。

  • 学歴格差が生む米国の「絶望死」 ノーベル賞経済学者が語る病理

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2021年9月22日10時30分 投稿

    【視点】幸せではなくても、「幸せには見られる」ことが求められる。ゆえに周囲も助ける必要がないと見なすーー。白人労働者階級での「絶望死」の増加に着目して警鐘を鳴らしてきたアンガス・ディートンさんのインタビューで、とりわけ印象に残ったやりとりです。ディートンさんは幸福度の指標と自分の実感が食い違うとき、実感を重視するようにしている、と言います。 苦しいから助けてほしい。さらに言えば、周囲や行政に助けられてしかるべきだ、と声を上げるのは実は決してたやすいことではない。このインタビューでは、米国における幸福追求の過剰な個人主義化がその原因の一つとして触れられていますが、米国だけではなく、日本でもそういう傾向が見いだせるのではないでしょうか。 この含意は、絶望の中で声を上げず、一見「普通」「幸福」に生きている人が多いことを意味します。「絶望死」という言葉は強烈で、もしかしたら自分の周囲とはあまり関係ないと思ってしまいそうですが、むしろその反対で、身近にある「絶望」に私たちは気づきにくい社会に生きているのです。 学歴格差に注目したディートンさんの分析が日本社会でそのまま適用できるかという検討は必要なのでしょうが、日本社会もまた、貧困などを理由にした困難や苦しみを、自分や自分の周囲と切り離した、遠くの誰かの問題であるかのようにみてしまう傾向がある。その傾向が加速しているのかもしれないと思う時があります。 どういう仕組みの中でそうなってきているのかを考えさせられるインタビューです。

  • 大学が格差を増幅、悪影響は勝者にも マイケル・サンデル教授の警告

    高久潤
    高久潤
    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2021年9月16日23時30分 投稿

    【視点】2012年の来日時に、マイケル・サンデルさんにインタビューをしました。テーマは「市場」について。市場経済は大事だが、市場社会=市場が社会を覆うこと、になってしまうことへの警鐘でした。「それをお金で買いますか――市場主義の限界」(鬼澤忍訳、早川書房)が邦訳されたころです。 当時の私は、サンデルさんの、新自由主義批判という趣旨はわかるけども、一般論に話が止まっているのでは?と思っていました。当時のインタビュー(2012年6月7日付朝日新聞朝刊)にも掲載しましたが、以下のようなやりとりをしました。 「――1980年代以降、保守政党だけが政権を担ったわけではありません。  サンデルさん『中道左派政権にも同じことが言えます。彼らは新自由主義を批判したし、とりわけ経済的な不平等や公正の観点から、市場に任せるだけだと格差が拡大してしまうと主張した。それは誤りではないが、最も重要な問いを忘れていました。市場は、共同体や私たちが大事に思う価値や徳といったものをどう変えてしまうのか、変えてしまっていいのか。そう反論すべきでした』」 「価値や徳を変える」と言われても、具体的にイメージがわきませんでした。当日も何度かこのあたりを聞き直したのですが、腹落ちしなかった記憶があります。しかしその後の米国をはじめ、世界の変化をみた後、さらに今回の記事でも言及されている、人々の、「様々な仕事の尊厳」と説明されると、あのときの話も、こういうことが言いたかったのかもしれない、と思うようになりました。価値や徳とは、私たちの日常と切っても切り離せない。その意味を考えるうえで、「仕事の尊厳」という言葉は良い補助線になります。

  • 国民へ言葉が届かなかった菅首相、足りなかった孤独 東畑開人さん

    高久潤
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    朝日新聞エルサレム支局長=文化、消費
    2021年9月16日18時39分 投稿

    【視点】「言葉が届かない」と思う時、問われるべきは発信力よりも、聞く力だ。もっと言えば、発信力とはつまりは聞く力なんだ、というのが東畑さんのコラムの背骨にある考え方だと思います。コラムの題材は、菅首相やドイツのメルケル首相ら政治リーダーの言葉ですが、この話、何も政治リーダーだけにあてはまることではありません。「自分の言葉を聞いてくれていないではないか」と不満に思う時、そういう私は他人の話を聞いているだろうか。自分に返ってきます。 最近邦訳が刊行された、「LISTEN 知性豊かで創造力がある人になれる」(ケイト・マーフィ著、篠田真貴子監訳、松丸さとみ訳、日経BP)に、米国のある教会で、告解室に訪れる人たちの行列ができている様子が紹介されています。どうしようもないくらい話を聞いてもらいたいようだ、そしてその様子を瀕死の重傷のようだ、と神父は説明します。 話を聞くという、一見たやすくできるはずのことが難しい。この行列に並んでいる人たちもまた、誰かの話を聞いていない側にいるときもあるかもしれない。社会の中に、話を聞く人と聞いてもらう人がいるのではなく、一人の人間の中に、「聞いてもらえず傷ついている」心と「誰かの話を聞かずに傷つけている」心がある。 衆院選が近づき、いろんなシャープな言葉を聞くことが増えそうです。時に自分の内側からより強い言葉がわき上がってくることもある。だからこそ「聞く力」を。ちなみに同書を読むと、「聞く」「聴く」が私たちの豊かな社会生活に欠かせないのに、現代社会では忘れられ、そしてその価値を軽んじてしまいがちなことがよくわかります。政治家に有権者の声を聞くよう問うのはもちろん大切ですが、自分も政治家(を含めた他人)の話を「本当に」聞けているだろうか、問いがブーメランのようにこちらに返ってくるコラムです。

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