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週刊人間国宝

芸能 能楽(5)

狂言方の役割

羽田昶 武蔵野大学教授

 能・狂言の演者は、シテ方・ワキ方・狂言方・囃子(はやし)方(笛(ふえ)方・小鼓(こつづみ)方・大鼓(おおつづみ)方・太鼓(たいこ)方)という分業で成り立っている。能楽師という呼称は、このすべてをふくむのである。 [全文を読む]

善竹彌五郎/六世野村万蔵/三世茂山千作/九世三宅藤九郎/四世茂山千作/初世野村萬

もっと知るために

写真【伝統を学ぶ】

 稽古場に、午後1時から8時まで、絶え間なく受講生が出入りする。 時間に余裕のある人は、自分の稽古を終えた後も居残り、熱心に見学していく。 [全文を読む]

写真【劇場・写真集・DVD・本】

【劇場】
石川県立能楽堂  野村万蔵(のむら・まんぞう)家の出身地である金沢市は、歴代の加賀藩主(かがはんしゅ)が能を愛好したことから、世に「加賀宝生」といわれるほどいまも能楽が盛んだ。 石川県立能楽堂は、1972年(昭和47)に建てられた全国初の公立能楽堂だ。 [全文を読む]

今週の人間国宝名鑑

◆善竹彌五郎(ぜんちく・やごろう)

1964年認定 1883.10.4−1965.12.17

大蔵流家門の子弟として、5歳の時から父・二世茂山忠三郎の指導を受けて芸歴を重ね、関西狂言界の中心的存在となった。関西風の物まね中心の芸風を基礎に、物堅い人柄を反映するねばりのある大きな間の芸を確立した。

◆六世野村万蔵(のむら・まんぞう)

1967年認定 1898.7.22−1978.5.6

6歳から父・五世野村万造(隠居名・萬斎)について厳格な指導を受け、正確な基礎技法に傑出した個性の輝きをみせ、年齢とともに円熟の域に達した。大名物などのおおらかな演技、太郎冠者物や出家物の軽妙な味わいなどを芸風とした。

◆三世茂山千作(しげやま・せんさく)

1976年認定 1896.8.30−1986.7.19

茂山家は江戸末期以来の京都狂言の名家で、関西狂言の中心的存在。二世茂山千作の長男に生まれ、薫陶を受けて家を継いだ。関西大蔵流の写実味のかかった濃厚な演技に、枯淡な味わいを身につけ独特の風格をなした。

◆九世三宅藤九郎(みやけ・とうくろう)

1979年認定 1901.3.18−1990.12.19

五世野村万造(隠居名・萬斎)の次男として東京に生まれる。兄で、のちの六世万蔵とともに切磋琢磨し、的確な技法とおおらかな演技で独自の風格をそなえた。1940年九世三宅藤九郎を襲名、90年隠居名・七世三宅庄市を襲いだ。

◆四世茂山千作(しげやま・せんさく)

1989年認定 1919.12.28−

京都の狂言の名家に生まれ、幼少より祖父・二世茂山千作、父・三世茂山千作の薫陶を受ける。1966年十二世千五郎を、94年四世茂山千作を襲名、長く大蔵流茂山千五郎家の当主。写実味のある芸風に円熟を示し、狂言界の第一人者。

◆初世野村萬(のむら・まん)

1997年認定 1930.1.10−

和泉流狂言師六世野村万蔵の長男として生まれ、幼少より父の薫陶を受け、1934年『靱猿』で初舞台。50年四世野村万之丞を、93年七世野村万蔵を襲名。技芸は高く評価され数々の賞を受賞。2000年野村萬を名乗る。

2007年08月28日

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