現在位置:asahi.com>文化・芸能>文化>文化一般> 記事

影を潜めた破壊者ぶり 石原・宮台対談

2007年09月06日11時30分

 「Voice」(PHP研究所)9月号で、石原慎太郎都知事と宮台真司・首都大学東京教授が、「『守るべき日本』とは何か」をテーマに対談している。

写真

石原慎太郎都知事

写真

宮台真司・首都大学東京教授

 ニートは「ただの穀潰(ごくつぶ)しだと思うね」。冒頭、おなじみの“石原節”は健在で対談は始まる。だが、若者の脱社会化から、その要因としての家族や地域共同体の解体、そしてグローバル化と日本文化の問題へと展開してゆく議論の大半を仕切るのは宮台氏のほう。石原氏は聞き役に回り、素直に説得されている様子ばかりが印象的だ。

 対談は石原氏の希望で実現したというから、拝聴の姿勢は当然かもしれない。しかし、「特攻の母」を描いた石原氏脚本の映画も含め、年長世代が懐かしむ伝統的な人間関係の復活など今の日本にはありえないと喝破されても、反論するわけでもなく、「難しいでしょうな」などと、半ば同調している。先の都知事選、これまでにない柔和な笑顔を振りまいた石原氏の「老い」が指摘されたことを、妙に思い起こさせる、一幕だった。

 もっとも宮台氏にしても、「ボクちゃん学者」とたたかれた10年ほど前のトンガリ感は薄れたようだ。対談の終わりに言う。石原知事に会って黄色い声で騒ぐ女性たちにみられるのは「ポピュリズムと揶揄(やゆ)されるものとは別次元の『感染力』」であり、都知事選ではメディア効果も手伝って「人の『凄(すご)さ』の違いが際立つのを実感し」たと。賛辞にもとれる指摘に、石原氏は、そうした切り口は面白い、などと応じて、対話は締めくくられる。

 実際、後進の社会学者やファンの間では、ここ数年の宮台氏の変化が「転向」と語られてきた。世界に過剰な意味を求めるな、「終わりなき日常」に耐えよ、と説いた「まったり革命」論が影を潜め、天皇制や亜細亜主義に発言を増やしてきたことへの違和感が一つにはあった。本人は「革命」の問題提起がある程度功を奏したので戦略を変えたにすぎないと、一貫性を主張してきたが――。

 左右の別なく、社会秩序の破壊者だったことが、両氏が支持されてきた理由だろう。なごやかな笑顔ばかりでは、ちょっと物足りない気もする。

PR情報

このページのトップに戻る