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生きる不条理、小栗旬が体現 Bunkamura「カリギュラ」

2007年11月13日15時28分

 悪名高いローマ皇帝に、人が生きることと世界の不条理を投影したA・カミュの戯曲(岩切正一郎訳)を蜷川幸雄が演出した。主演は小栗旬。その人気を反映し、ぎっしり埋まった客席に熱気が満ちている。

 皇帝カリギュラ(小栗)は、妹の死を契機に常軌を逸した行動をとり始める。理由なく人を殺し、財産を没収し、食糧供給を止める。侮辱され、家族の命を奪われた貴族たちはなすすべがなく、宮殿は恐怖と混乱に支配される。宮殿の装置は一面鏡張りでカラフルなネオン管が彩る。ポップでキッチュな空間だが、光の色の濁りのなさと明滅が主人公の心象を伝えている(中越司美術)。

 このカリギュラは狂った暴君ではない。「人は死ぬ。幸福ではない」「この世は少しも重要ではない」ことを認識し、その「真実」の中で生きると決めた美しい若者だ。それゆえに、いらだち、怒り、考えに沈み、暴走し、自ら破滅を招く。愛敬のある笑顔を見せたかと思うと、凍るような目で相手を射すくめる。この、知的で混沌(こんとん)としていて、危険な主人公を、小栗は鮮烈に体現する。膨大なせりふを語りながら、周囲の人々との関係を明解に見せ、その内面に渦巻く尋常ならざる世界に、見る者を巻き込んでゆく。

 取り巻く人物も魅力的だ。

 カリギュラに理知で対峙(たいじ)するケレア(長谷川博己)も、詩人の心で共感を寄せるシピオン(勝地涼)も、自分の中にも彼がいることを自覚している。ケレアはそれを「黙らせ」、シピオンはともに苦しむ道を選ぶ。ここにはいかに生きるかという悩みと向き合う若者の普遍的な群像がある。冷静で酷薄な態度の中にわずかな揺れを見せる長谷川、初々しく清潔な勝地、小栗を含めた3人の関係は、時に官能的にも見える。

 若村麻由美が硬質な表現で見せる年上の愛人セゾニアからは、すべてを受け入れる愛と覚悟がにじむ。横田栄司の忠臣エリコンは、皮肉で粗野な言動の中に一途な思いが光っている。

 30日まで、東京・渋谷のシアターコクーン。12月に大阪でも公演。

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