DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル
2018/03/19

もし東京で大地震が起きたら? 3.11で被災した若者と考える

Written by 丹羽菜々香(POTETO)with 朝日新聞DIALOG編集部

東日本大震災から間もなく7年となる3月5日夜、朝日新聞DIALOGと災害イツモマインドセットプロジェクト共催のユースフォーラム「もし東京で大地震が起きたら? 3.11で被災した若者と考える」が東京・茅場町で開催された。春の嵐のような悪天候の中、大学生を中心に、高校生から大人まで60人近くが参加し、防災の専門家や東北で被災した学生たちの話に耳を傾けた。

第1部では、防災プロデューサーであり、災害イツモマインドセットプロジェクトの監修者も務める永田宏和さんによる、首都直下型地震の想定被害に関する講演が行われた。災害イツモマインドセットプロジェクトとは、災害列島・日本において、災害の発生を「モシモ」ではなく「イツモ」心に留めておく。そんな人を増やすべく、2017年7月に朝日新聞社とラジオ局「J-WAVE」、出版社「木楽舎(月刊ソトコト)」、広告会社「フェザンレーヴ」の4社で立ち上げたプロジェクトだ。「有限責任事業組合を構成し、災害時に平常心で生き延びるための心と体をもつための講演、研修活動や、防災商品の開発などに取り組んでいます」と永田さんは語る。その後、理事長を務めるNPO法人「プラス・アーツ」で取り組んでいる、防災教育の普及活動について、スライドや写真など具体例を挙げて紹介した。カードや動画など、親子が楽しく防災について学べるコンテンツも多く発信している。

第2部では、関西大学社会安全学部の菅磨志保准教授が「支援と受援のより良い関係を目指して」をテーマに講演。阪神大震災で親類が被災し、支援に携わった経験から災害や市民活動の研究に携わるようになったと自己紹介した。その後は、2007年の能登半島地震の復興支援活動の紹介を中心に、被災者の気持ちに寄り添うことの大切さを指摘。「震災ボランティアは、本人が立ち直っていくはじめの一歩を共に踏み出す存在でもある」と語った。

そして第3部は、朝日新聞DIALOGによる動画上映とトークセッションが開かれた。

私たちPOTETO Mediaが2月に岩手・宮城・福島の3県を訪れ、被災地の現状や、被災した同世代の若者たちが当時、どんな思いをし、これからどう生きようとしているのかを知るために取材したものをまとめた動画を上映した。

取材記事と動画はこちら

上映後のトークセッションでは、ファシリテーターに東日本大震災支援全国ネットワークの杉村郁雄さん、登壇者に岩手県宮古市出身で大学4年の島越彩香さん、宮城県三陸町出身で同じく大学4年の田畑裕梨さんを迎え、彼らを取材したPOTETO Mediaの学生記者、呉本謙勝と鈴木詩織も加わって、ふるさとの未来像や東京での大地震に備えるための心構えなどについて話し合った。

杉村:取材を終えての感想、また、取材を受けた感想を教えてください。

鈴木:震災について全然知らなかったということに気づきました。前は住宅地だった場所が何もない野原になっていたり、ショッキングな話を聞いたりして、自分の無知さに危機感を持ちました。

呉本:東北の若者が被災した経験からどんなことを考え、どんな進路を選択するのかが気になり、取材メンバーに加わりました。僕自身は関西出身で東日本大震災は経験していないのですが、取材を通じて、多様な考えがあることを知りました。震災というと、人には話しづらい、マイナスなイメージが一般的に多いと思うのですが、震災を機に地元への愛着を意識し、町の未来を考える若者が増えることは、復興につながるのではないかと感じました。

田畑:今は大学生として静岡に住んでいますが、取材を受けて、自分が南三陸町を好きなこと、その感情を忘れたくないなと思いました。伝えたいことがたくさんあり、町が私の居場所だということを改めて実感しました。南三陸町って田舎で、エレベーターもエスカレーターもないんです。私、大学に入るまでその二つの違いがいまいち、分かっていなかったくらいでした。そんな田舎から、震災でさらに色々なものがなくなりました。でも、南三陸町の人々の温かさ、素敵さに気づき、そんな人々がいる地元の素晴らしさに気づきました。

島越:私は、震災を機にポジティブにとらえられるようになったことが多いので、自分の被災経験について、これまであまり人に話すことができなかったんです。今回、取材を通じて話すことができてよかったです。去年の3月11日は、就活中で東京にいました。自分にとって大切な日だったのに、気づいたら地震が起きた時刻を過ぎていました。黙祷も忘れていた自分にとてもショックを受け、そういったことの戒めとしても、今日ここに来ることができてよかったです。

杉村:田畑さんは語り部として活動されていますが、どんなことを伝え、聞いた人に何を感じてほしいと思っていますか?

田畑:自分だからこそできる支援活動がしたかったんです。大人は“金の亡者”だと思っていて、頼ろうとも、頼りたいとも思わなかった。でも、自分に何ができるのかが分からない。何もしなかったら、自分も大人と一緒じゃないかと。そこで、自分の得意なおしゃべりをいかして、被災した経験を同世代に伝えようと思いました。外国人向けに英語で語り部をしている人がいなかったので、それも始めました。今まで約4万人を相手に語り部をしてきましたが、必ず「“ありがとう”と“さよなら”を伝えて」と言っています。私は震災で塾の恩師を亡くしました。最後の塾の日、「明後日が卒業式だからどうせ会えるし」と思って、「またね」と別れてしまった。それをとても後悔しています。

修学旅行生に話したりすると、3分の2の子たちは寝ていたりするんです。そんな時、自分はなぜ語り部をやっているんだろう、と思うけれど、しっかり聞いてくれている人から「ありがとうって伝えたよ」などと報告されると、背中を押され、頑張ろうという気持ちになれます。震災を“他人事”から“自分ごと”に変えるため、聞きに来てくれた人たちと、友達になろうという気持ちで語り部をしています。友達が震災を経験したら、それは自分ごとになると思うから。そこを大切にしていきたいです。

杉村:島越さんは動画で「町全体での子育てができるようにしたい」と言っていましたね。具体的にはどういうこと?

島越:みやっこベースに入る前は、自分の生活圏は家と学校だけでした。関わる人も親戚と先生くらい。でも、みやっこベースに関わるようになってから、出会ったことのない地元の大人とかかわるようになり、色々な人の人生を知ることができました。その体験が、自分のキャリアを考えるきっかけになりました。自分が大人に刺激をもらったように、私も下の世代に自分の経験を伝え、ロールモデルの一つになれるような、そんな刺激を与えられるようなコミュニティを作りたいと思っています。

杉村:就職は宮城県でされるそうですが、いずれは宮古に戻るんでしょうか?

島越:実は就職は宮古でしたいと思っていたんですけど、大学生活の中で、さらに面白い大人とかかわる機会を持ちまして。外で色々な経験をしてから、宮古に戻りたいと思いました。戻ったら、みやっこベースにかかわりたいです。実家にも、みやっこベースにも、恩返しをしたい。でも、女性なので結婚も視野に入れていて、それを考えると、どういう選択がよいのか、悩むところもあります。

杉村:POTETOの二人は、島越さんと田畑さんの今の話を聞いてどう思いましたか?

鈴木:私は、震災を遠いものに感じていて、震災について話すことを避けてきました。だから被災者の方と直接話すのも最初は怖かったです。でも、島越さんのようなポジティブな思いを持っている方の話を聞いて、「被災者」とひとくくりにして考えるのではなく、一人ひとりにそれぞれの思いがあることに気づきました。話していいこと、話してはいけないことも違うんだなと。

呉本:鈴木以上に、関西出身の私にとって、震災は遠い存在で。同じく、被災者と言っても、住んでいる地域や世代によって被災した経験や震災に対する思いも異なるというのが新鮮な驚きでした。

杉村:震災を体験して、今思えば、こうしておけばよかっただとか、これを備えておけばよかったということは何かありますか?

島越:やっていてよかったことはあります。家が海の近くなんですけど、親から地震があったらまず逃げろと小さい頃から言われていました。そのおかげですぐ行動することができました。また、防災グッズを詰めたリュックを用意してくれていて。バラバラに避難した場合、落ち合う場所を決めていたんです。地震など災害が起きた時、みんながどこに避難するかを話しておくといいと思います。

田畑:ちょっと違うかもしれないんですけど、私が小さい頃から、お母さんがホームビデオを撮っていてくれたんです。震災後ずっと「あれを持ってくればよかった」と言います。家が流されたので、卒業アルバムもないし、動画も何もない。小さい頃の写真がないって、とても悲しいんですよ。大学で友達同士、アルバムを見せ合うときも、私には見せられる写真がない。お母さんが「アルバムやビデオを持ってくればよかった」という時の顔は、「家が流された」と言っている時よりも悲しそうなんです。思い出って、つらい時に背中を押してくれる大切なものだと思います。震災が起きた時に何を持って逃げるのか、考えておいてほしいです。

杉村:普段からしておくべきだと感じたことは何かありますか?

呉本:都市ならではの地震に備えておこうと思いました。島越さんも、避難場所の話をされていましたが、地震が起きた時に家にいないことも多いと思います。どういう場所で被災するかによって、その後の過ごし方や、もしかしたら生存率も変わるかもしれない。そういうマインドセットを持つことはとても大切だと思いました。

鈴木:どこにいる時に被災するかわからない。心の準備は大切。家族で避難場所を考えておくことや、何を持って避難するのかは、すぐ考えてみようと思いました。

杉村:東京の若者に何か、伝えたいことはありますか?

田畑:死ぬこと以外は“かすり傷”だと思っています。被災したら、死なないことを目標にしてください。東京では、地域とのつながりが特に希薄だと思います。出会った時に会釈するとか、あいさつをするとか、そんな小さいところからつながりを作っておかないと、震災時には大変なことになると思います。今日来てくれた人は、私と友達になってほしい。来てくれた人同士も友達になったらいいなと思います。まずはそこからじゃないでしょうか。

島越:様々な地方出身の友達をたくさんつくっておくといいと思います。友達同士だといざというときにも“助けたい”という気持ちになります。東京で被災した時に、「うちの実家に泊まりにくる?」と言ってくれたり、食べ物送ってくれたりだとか、そんなコミュニティができるといいなと思います。

杉村:防災は「もしも」ではなく「いつも」。いかに防災を日常的なこととしてとらえていくのか。友達、仲間をつくっておくことも大切ですね。「もしも」と思っているうちは他人事で、「いつも」と思えたら、自分ごとになるのではないでしょうか。

大人へのある種の失望を原動力とし、語り部の活動を始めた田畑さんと、大人から刺激をもらって、人生が変わったという島越さん。対照的な経験をした2人の話を聞き、改めて、震災が人々に与える影響には様々なものがあるということが分かった。

私自身も東京生まれ、東京育ちで、震災がどこか他人事になっていたところがある。これを機に、地域や外部とのコミュニティづくり、そして家族内での震災時の対応など、できるところから防災について取り組みたいと思う。そして、この原稿を読んでくださったみなさんは、震災から7年がたった東北を、ぜひ一度訪ねてみてはどうだろう。きっと、訪ねる人の数だけ、違ったことを感じられるに違いないと思う。

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