2018/11/06

連続セッション「平成世代が考える『平成30年』の先の未来」
第3回「政治改革 ~小選挙区制から18歳選挙権まで」

Written by 後藤大海(POTETO)with 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 松本哉人(POTETO)

「平成」の時代は、来年4月に幕を閉じます。朝日新聞DIALOGでは、平成を創った大人たちをゲストに迎え、新しい時代を担う若者たちがさまざまなテーマで平成を総括する連続セッション「平成世代が考える『平成30年』の先の未来」を開催しています。第3回のテーマは「政治改革 ~小選挙区制から18歳選挙権まで」。10月5日に東京・築地で開かれたセッションには、約90人の参加者が集まりました。その模様をお伝えします。

セッションは3部構成。ゲストに第93代内閣総理大臣の鳩山由紀夫さんと、東京大学先端科学技術研究センター助教の佐藤信さんを迎え、平成世代の若者たちとパネルディスカッションを行いました。

若い人たちが、どのような政治の在り方がいいかを考えることが大事

第1部では、日本政治外交史が専門の佐藤さんが、平成の30年間の政治史について、「政治改革」をキーワードに①政治とカネ、②統治構造とマニフェスト、③政権交代と挫折、の三つの時期に分けて概説しました。

1988年のリクルート事件、続いて92年に起きた東京佐川急便事件。昭和の末年から平成の初めにかけて、政治のイメージ悪化、自民党への不満・信頼感の失墜が急激に生じました。その結果、「政治資金をきちんと規制する制度を整えなければいけない。政治制度をどう変えれば、政治がよくなるのかを考えなければいけない。そうした問題意識から選挙制度改革の議論が始まった」と佐藤さんは言います。

では、選挙制度は、なぜそこまで重要なのでしょうか。
中選挙区制では、一つの選挙区で複数の当選者が出るので、大きな政党からは同一選挙区に複数の候補者が立ちます。その場合、党内で対立が起き、派閥や個人後援会がカネを使って積極的に政治活動を行うようになり、政党の意味合いは小さくなります。
他方、小選挙区制では、(単純化するため定数1の理念型をとると)一つの選挙区から1人だけ当選するので、党の公認を得られるかどうかが重要になり、派閥よりも政党の意味合いが大きくなります。「選挙制度の変更はたいした問題ではないと思うかもしれないが、そこには大きな意味合いがあり、ビジョンをどう考えるかが含まれている」と佐藤さんは指摘しました。

94年に政治改革関連4法が成立。政治資金規正法が改正され、政党助成金を創設する代わりに寄付の対象を限定し、政党の力を高める方向性が打ち出されました。また、小選挙区比例代表並立制が導入されました。

次に佐藤さんが取り上げたのが「統治構造とマニフェスト」です。
国民がよりよい政党を選ぶためにどうしたらいいか。そこで重視されたのがマニフェストでした。各政党がマニフェストを提出し、国民がそれを読んで投票する仕組みを目指したのです。

また、統治構造をどうブラッシュアップするかも盛んに議論されました。「その牽引役になった一人が小沢一郎氏だった」と佐藤さんは言います。目指すところは、「政権交代可能な二大政党制を日本にもたらす」ことでした。自民党が常に政権をとる状況が長く続いていたため、誰が国のリーダーになるかは、自民党の派閥の中でしか決められませんでした。政権交代が可能なシステムになり、国民がどの政党がいいかを選べるようになれば、有権者は投票の有効性を感じられるようになるし、野党は自分が政権を握る可能性があるので無定見な批判はできなくなる、と考えられたのです。

小泉政権下では、首相公選制がかなり議論されました。それと同時に、さまざまな角度から、そもそも統治システムを縛っている憲法自体を変えなければ、という議論もされました。そうした動きを締めくくるものとして2009年に民主党政権が誕生したというのです。

しかし政権交代後、実際に生じたのは停滞の時代でした。佐藤さんはその原因をこう分析します。「一つは属人的な問題。政権交代が起きても、人が簡単に変わるわけではない。小沢氏は、それまで言っていたこととは別の行動をとることがたびたびあった。また、官僚と政治家の信頼関係が十分に築かれなかった。そうした状況を見た野党・自民党は、敵失を待っているだけでよかった。つまり、自民党の側も責任ある野党になることができなかった。その結果として、政治改革論が総撤退しました」

佐藤さんは政治改革のその後として、近年の選挙制度の変更にも触れました。今年の公職選挙法改正では、参議院の比例代表制の仕組みが変わりました。「参議院の比例区では名簿に順位がついていないことが重要でしたが、選挙区の合区で当選できなくなる自民党候補者を救済するために、制度を変えました。制度が複雑すぎて、学生に説明するのも難しい。国民がきちんと理解して投票できる制度ではなくなってしまっています」

さらに、18歳選挙権は導入から2年が経ちました。導入後、最初に実施された16年参院選では、18歳の51%が投票しました。ところが、翌17年の衆院選では、16年に18歳だった人を多く含むはずの19歳の人は33%しか投票していません。18歳選挙権というカンフル剤も効かなくなってきているのです。佐藤さんは、鳩山さんのかつての新憲法試案が投票の義務化を盛り込んでいたことに触れたうえで、「仮に投票を義務化しても、政治をよりよくしようという気持ちが生まれない限り、根本的な解決策にはならない。政治学の世界でも、この方向が正しい、みんなで進んでいこうという方向が決まっているわけではない。平成の次の時代に向かうとき、とりわけ若い人たちがどのような政治の在り方がいいかを考えることが非常に大事だ」と強調しました。

サービス競争ではなく政策本位の政治に

第2部では、鳩山さんが、当事者の立場から政治改革の変遷について語りました。

鳩山さんは最初に、「私の祖父の鳩山一郎が自由民主党をつくりました。だからこそ、自分が政治家になりたいと思ったとき、自民党の国会議員になることに疑問は感じませんでした」と、政治生活のスタート地点が自民党衆院議員だった理由について説明しました。

ただし、「生まれたときから政治家になりたいとは思っていなかった」とも話しました。1947年生まれの鳩山さんは、小学校の先生から「これからは工学で日本を立て直していかなければいけない」と言われてエンジニアを志しました。学生時代の夢はバイオエンジニアになること。当時はコンピューターが発展途上で、人間の脳をまねた機械ができないかと考えていたそうです。

転機は、米スタンフォード大学大学院への留学中に訪れました。当時の日本の経済成長は著しかったものの、現地のニュースでは、プロ野球の王貞治選手以外、日本の話題はほとんど取り上げられていなかったそうです。鳩山さんは「これでよいのかという思いが湧き、自分が政治に向いているかどうかは別として、政治家にならなければいけないと思い込んでしまった」と、政治を志したきっかけを振り返りました。

86年、衆院選の旧北海道4区(現9区)に自民党から出馬し、初当選。それから2012年までの26年間、国会議員として政治改革に携わってきました。

鳩山さんは政治家一家の出身ですが、自民党議員になって驚いたと言います。「そろそろ大臣になれそうな年次の先輩議員に『何大臣になりたいですか?』と尋ねたら、『とにかく大臣という肩書がほしい』と言われました。私は『北方領土を取り返すため外務大臣に』といった答えを期待していたので、がっかりしました。それくらい大臣病にとらわれていた議員が自民党には多かった」

やがて、鳩山さんは仲間の若手議員たちと「ユートピア政治研究会」をつくり、おカネがなくても志のある人が政治家になれる仕組みをつくろうと考えました。当時の中選挙区制では、同じ政党から複数の候補者が同一選挙区に立つため、政策ではなく有権者との接点の多さで差別化を図るしかありませんでした。「冠婚葬祭にできるだけ多く足を運び、できるだけ多くの人と握手する。私の選挙区は四国ぐらいの広さがあったので、当時、39人の秘書を雇っていて、その人件費だけで年に1億円はかかっていました」

「サービス競争ではなく政策本位の政治にしたいという思いから、政党同士で争う小選挙区制に変えなければいけない、という発想に至った」と言う鳩山さんは、自民党を離党して新党さきがけの創立にかかわり、細川内閣では官房副長官を務めました。その後、民主党をつくり、紆余曲折の末、政権交代を実現しました。鳩山さんは「小選挙区制にしていなければ、ずっと自民党政権が続いていた可能性がある。一方で、今の安倍政治をつくり出してしまった責任も私にはある。平成の政治をどう捉えればいいのか。ぜひ、みなさんの意見を聞きながら議論したい」とキーノートスピーチを結びました。

このスピーチに続いて、元政治部記者の喜多克尚・朝日新聞DIALOG編集長が鳩山さんに公開インタビューしました。

―― 鳩山さんは以前、「総理になったときより、自民党を離党したときのほうがうれしかった」と言っていましたが、本当ですか?

鳩山 本当です。民主党政権ができたときは、喜びよりも、これから大変な責任を負うなという緊張感のほうが強かった。それとは違って、自民党を離党するときは、大きな覚悟が必要だったので、新党さきがけができたときはものすごい解放感があった。小さい政党だけれども、これから自分たちで政治のコマを動かしていけるんじゃないかって。その瞬間が、私にとっては人生で最高に幸せな瞬間でした。あのときのビールはおいしかったですね。

―― 当時の自民党のどこがそんなに嫌だったのですか?

鳩山 先ほど大臣病の例を挙げましたが、長期政権は必ず腐敗する。(リクルート事件や東京佐川急便事件などをきっかけに)その腐敗の実態を見てしまったことが非常に大きかったと思います。

―― 当時は、与党の若手議員が、政権交代可能な二大政党制をつくろうと考え、小選挙区制などを提案していました。自分たちが野党になるかもしれない制度を与党の議員がつくろうとする。あのころの政治改革を巡る議論には、異常な熱があった気がします。あの熱の源泉は何だったんですか?

鳩山 自分たちが野党になりたいわけではないけれど、もっと緊張感のある政治にしなければ腐敗が進むという危機感はあった。そういうところから熱が盛り上がりました。当時の新党さきがけは、国会議員が26人の政党でした。そのような中規模政党の候補者は、小選挙区ではまず当選できない。自分たちが当選できない制度への改正を推進したというのは、不思議だよね。今の自民党では、あり得ないでしょう。それだけの覚悟をもてば、国民の皆さんも理解してくれるのではないかという期待もしていました。

若者が立ち上がれば、シルバー民主主義は乗り越えられる

第3部では、平成生まれの3人も加わって、パネルディスカッション形式で「これからの政治改革」について意見を交わしました。

「若者と政治をつなぐ」をテーマに活動するNPO法人YouthCreateに所属し、中学や高校などで政治に関する出前授業を行っている浜田未貴さんは、「もっと直接的に、市民の思いを政治に吸い取ってもらえる方法はないのかと思う。今でもパブリックコメントの制度はあるけど、一方的に書いているだけで、届いているのかどうかわからない」と課題を挙げました。

これに対して鳩山さんは、「法案を作る過程でパブコメを取るときは、参考にはしていると思うが、市民とのやり取りをもっと見える化したほうがいい。反省も込めてそう思います」と答えました。

ファシリテーターを務める古井康介さんから、「平成に入って、若者の投票率は基本的に下がっている。新党とか政治に対する期待感って、今の若者には想像もできない。政権交代のころ、政治で生活が変わるかもしれないという空気感を生み出したものは何か」と尋ねられた佐藤さんは、自身が選挙権を得た最初の国政選挙が09年の政権交代選挙だったことに触れたうえで、「小政党ばかりだったり野党がまとまっていなかったりすると政治は分かりにくいと思われるが、小泉政権ができて味方と敵を峻別し始めたころから、政治が分かりやすくなった。国民全体が、『政治が変わるかも』『自分が左右できるかも』と考え出した。その流れのなかに政権交代があったと思う。政治の身近さがすごく大事」と答えました。

また、鳩山さんは、「若者の投票率が下がっているのは、投票する前から自民党政治が続くことがわかってしまっているからでしょう。政権交代可能な状態までもっていけば、国民の皆さんが各党の政策を見て判断できるので、小選挙区制の価値も出てくる」と述べました。

次に浜田さんが提起したのは、世代間格差の問題です。「現在の日本のボリューム層であるシルバー世代の意識が変わらないと、政治は変わらないのでは」という問いかけに、鳩山さんは「(その層の意識は)変わらないんだよね」と苦笑したうえで、「若い世代が育っていけば、いずれは変わっていく可能性がある。また若い世代が『これはいいじゃないか』と大きな声をあげるようになれば、ボリューム層も変化を求める可能性はあると思う。今は介護とか年金とかに一番関心をもたれているけど、私は子育てや教育に力を入れることがこの国を強くしていくと思う」と話しました。

これに対して、ニュースをわかりやすくイラストにまとめて配信するサービス「イチメンニュース」に携わる呉本謙勝さんは、「僕たちの世代は、そんなに悠長に変わっていくのを待てない。人口減少が急速に進んでいて、30年後、40年後の生活は大丈夫かなって真剣に思う。(高齢者が多く、若者が少ない)今の人口構造では、若い世代に配慮した政策は通りにくい。国会議員なんてみんなおっさん、というのが若い世代のリアルな感覚。アンダー30、アンダー40といった年齢による議員枠を作ったらどうか。過激すぎますか」と提案しました。

平成世代の率直な提案に鳩山さんは、「過激というより、弱気すぎるんじゃないか。たとえば、今日ここに集まっている皆さんが、明日、政党をつくって行動したら、相当大きなパワーになりますよ。同世代の代表を何人か当選させようというのではなく、いっそ自分たちで政治を動かしてみようよ、と若者たちが現実に行動することが大事」と語りました。

〈登壇者プロフィル〉
鳩山由紀夫(はとやま・ゆきお)
一般財団法人東アジア共同体研究所理事長。1947年生まれ。東京大学工学部卒。米スタンフォード大学大学院博士課程修了。元衆議院議員(北海道9区)。86年に総選挙に初当選。93年、新党さきがけ結党に参加。96年、民主党を結党。菅直人氏と共に代表に就任。98年、民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合で新民主党を結党。99年、党代表に就任。2005年、党幹事長に就任。09年、党代表に就任、第93代内閣総理大臣に就任。

佐藤 信(さとう・しん)
東京大学先端科学技術研究センター助教。日本政治外交史を中心に政治学を研究。1988年、奈良県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士後期課程中途退学。博士(学術)。著書に『鈴木茂三郎 1893-1970』(藤原書店)、『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房)、共編著に『政権交代を超えて』(岩波書店)がある。

呉本謙勝(くれもと・けんしょう)
1994年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科を今秋卒業。ニュースをわかりやすいイラストにまとめて配信するサービス「イチメンニュース」編集長。専攻は国際関係論。ワシントンDCに留学中、現地のテレビ局でトランプ政権の報道に従事し、若者に情報を発信する重要性を実感する。ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際関係大学院学生研究員などを経て、株式会社POTETO Mediaへ。毎日新聞「政治プレミア」でメディアと若者をテーマに連載を担当。

浜田未貴(はまだ・みき)
1993年、東京都生まれ。早稲田大学文学部教育学コースを卒業し、東京大学大学院教育学研究科基礎教育学コース修士課程に在籍。「政治教育と情念」について研究している。「若者と政治をつなぐ」をテーマに活動するNPO法人YouthCreateにも所属。中学・高校や公民館などで、政治に関する出前授業を行っている。

古井康介(ふるい・こうすけ)
1995年、富山県生まれ。慶應義塾大学経済学部4年。政治をわかりやすく発信するメディア「POTETO 」を運営する株式会社POTETO Media代表取締役社長。日本政府主催「国際女性会議WAW! 2017」のPRアドバイザーを務め、企業などもプロモーションも手がける。毎日新聞「政治プレミア」、日本経済新聞「日経カレッジカフェ」などでも連載を担当している。

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