DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル
2018/12/07

朝日新聞DIALOG × WOMAN&TOKYOユースセッション
東京の女性たちよ、ユニークであれ!

Written by 呉本謙勝(POTETO) with 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 武田和(POTETO)

明治維新から今年で150年。首都・東京が魅力的な都市として発展してきた背景には、各地から集まったユニークな人材が活躍してきたことが挙げられます。東京都と朝日新聞社は、東京ブランド推進プロジェクトの一環として「WOMAN&TOKYO」を立ち上げ、来年3月8日の国際女性デーに向けて、さまざまな企画を展開していきます。

WOMAN&TOKYOの目的は「今を生きる女性たちを励まし、エールを送る」ことと、「未来の東京を担う少女たちに、自分を誇る言葉を獲得してもらう」ことです。そこで、朝日新聞DIALOGは、国際ガールズデーの10月11日、この150年間に東京で活躍した女性たちについて若者たちが学び、時代を切り開く生き方を高校生に伝えるための授業案を考えるユースセッション「東京の女性たちよ、ユニークであれ!」を東京・渋谷で開催しました。

参加したのは都内の大学生・大学院生ら約20人。セッションは2部構成です。
第1部のキーノートスピーチには、日本の女子高等教育のパイオニア・津田梅子を研究してきた高橋裕子・津田塾大学学長が登壇。第2部では、大学生・大学院生が、「一歩踏み出すために必要なこと」を高校生に伝えるための授業案を設計するワークショップに取り組みました。

違ったものに触れることが、新しいことをする原動力

第1部のキーノートスピーチ「違いを力に変えるには~旅人としての津田梅子」では、高橋さんが、女性参政権すらなかった明治期に女子高等教育の道を開いた津田梅子や山川捨松の足跡と絆をたどり、異なる文化や価値観との出合いが個性や人格形成にもたらす効用などについて、次のように語りました。

1864(元治元)年に佐倉藩堀田正睦の家臣の家に生まれた梅子は、岩倉使節団の女子留学生派遣事業に6歳で参加し、米ワシントンDCで育ちました。米国の女性の地位の高さに衝撃を受けた黒田清隆開拓使次官が、森有礼少弁務使に「日本人女子を長期間、海外へ派遣する留学」を提案。そのメンバーとして選ばれたのが、梅子や捨松、後に音楽教師となる永井繁子ら5人の少女でした。

当時の官費留学は、鉱山や牧畜、工学や行政など特定の目的を持って男子を派遣するのが普通。この女子5人はそういった個別具体的な研修ではなく、米国の「 家庭 ホーム 生活 ライフ 」を学ぶために長期派遣されたという点で異質でした。彼女たちはとても若く、いずれも江戸期から明治期へ変わった際に“敗者”となった武士の娘たちでした。実験台的な意味合いが強かったことは否めません。年長の2人が体調を崩して1年で帰国したため、留学生は捨松、繁子、梅子の3人となりました。

最年少だった梅子は、森有礼の書記のような役割を果たしていたランマン家に預けられました。子どもがいなかったため、梅子はランマン夫妻に大事に育てられたそうです。ホストファーザーのチャールズは知日家であり、文筆家で32冊の本を残しました。

梅子、捨松、繁子の女子留学生トリオは10年以上、米国で暮らしました。17歳で帰国した梅子を待っていたのは、激しい逆カルチャーショックでした。キリスト教の洗礼を受けていた3人は、明治日本の規範や習慣に共感できなかったのです。梅子が特に憤慨したのは女性の立場の低さで、男性優位の封建的な日本社会に強烈な違和感を持ちました。夫は家の中で絶大な力を持ち、女性は夫や家の付属物と見なされ、独立した個人として扱われないことにフラストレーションを感じました。

やがて、梅子は結婚をめぐり、帰国後1年で大きな決断をしなければならなくなりました。繁子は留学中に海軍軍人の瓜生外吉と出会い、帰国後、結婚しました。捨松と梅子は帰国する船の中で、ゆくゆくは留学経験をいかして日本で一緒に学校をつくろうと話していました。ところが、捨松は帰国後、未婚の女性には社会的地位のある仕事が許されない状況を見て、半年後に政府高官の大山巌と婚約します。梅子は、お姉さん的存在だった捨松が、学校をつくるプロジェクトのパートナーでなくなってしまったことに非常に落胆しました。

こうして3人は三者三様の選択をしました。繁子は音楽教師として家庭とキャリアの両立を実現しました。捨松は政府高官の妻としてさまざまな慈善活動をしました。梅子は当面は結婚しないと決め、教師が自分の天職だとして、日本の女子教育に尽力していくことを決断しました。

梅子はまず海岸女学校(青山学院の前身)で働き、華族女学校(学習院女子中・高等科の前身。当時は官立学校)で初めて正教員になりました。日本政府は女子5人を留学させたものの、帰国後の活躍の場を用意していませんでした。華族女学校の講師として来日したアリス・ベーコンと話すうち、梅子は、第一級の教師になるには再留学が必要だと思うようになりました。支援者のモリス夫人の尽力もあり、米フィラデルフィア郊外の名門女子校・ブリンマー大学へ学費・寮費免除で留学しました。

そこで出会った恩師がM・ケアリ・トマス先生でした。梅子はトマス先生に「日本の女性が留学できるよう基金を作りたい」と伝え、募金で8千ドルを調達し、その利子で何年かに一度、日本人女性を米国へ派遣しました。この奨学金制度の創設が、梅子にとって大きな成功体験になりました。それと同時に、ブリンマー大学では生物学を専攻し、後にノーベル生理学医学賞を受賞するモーガン博士に師事。モーガン博士と共同で論文を書くなど、アカデミックな世界でも活躍しました。

学業に打ち込むだけでなく、スピーチの書き方やファンドレイジングの手法を習得しながら3年間の留学を終えた梅子は、帰国後8年してから華族女学校を離職し、自分の理想の学校をつくるために女子英学塾(現津田塾大学)をつくりました。開校式のスピーチでは、「女性であっても男性と同等の実力をつけることができる、高いレベルの高等教育を授けられる学校にしたい」と語りました。教員として米国から再度、アリスを招請。学校を創設する際の資本や情報・人も米国由来というグローバルなプロジェクトでした。

開講式に出席した捨松は、理事として女子英学塾を支えました。社団法人の設立登記の申請人は、捨松と梅子の連名でした。捨松は、同窓会組織を発足させるなど学校運営面で梅子を支え続けました。梅子が学校をつくったからこそ、捨松も学士号を取得した初の女性として貢献することができた。捨松と梅子は、結婚したかどうかの違いから対立軸で語られがちです。でも、捨松の女子教育への熱意や日本女性初の学士号を持つ力量に加えて、政府高官の妻としての社会的影響力が学校設立を成功させた大きな要素でした。

私たちの社会には、男性たちが力を合わせて大きなプロジェクトを成し遂げた物語がたくさんあります。しかし、女性たちが長期間にわたり、違いを乗り越えて何かを成し遂げた話を聞くことは、あまりありません。でも、梅子たちは、違ったライフスタイルを選んだ女性たちが高い志を共有し、長い時間をかけて、互いに持っているものを出し合って協力し合えることを証明しました。梅子たちが派遣された目的は家庭生活を学ぶことでしたが、少女たちはそれをはるかに上回る学びを得て、帰国後その力を発揮しました。米国の家庭で育まれた自己肯定感、ブリンマー大学で培われたネットワーキング力とリーダーシップスキル、トマス先生のようなロールモデルとの出会いなど、現代に生きる私たちが梅子の軌跡から学ぶべきことはたくさんあります。

失敗やリスクをポジティブにとらえる授業をしたい

第2部のワークショップ「一歩踏み出す女性を増やすには」では、大学生や大学院生が、高橋さんのスピーチを踏まえ、性別にとらわれずに一歩踏み出す勇気をもつ大切さを高校生に伝える50分間の授業案を考えました。約20人がA~Dの四つのグループに分かれ、「何かに一歩踏み出せないA子さん」というペルソナを作り、自らの高校時代を振り返りつつ、A子さんを後押しするプランを提案しました。

A班は「違う属性を持つからこそ気づけるものがある」という側面に着目し、「君の名は。」と題する授業を提案しました。A子さんを「自分に自信がないから、自分が女性だから、なかなか一歩踏み出せない女性」と定義し、A子さんが自分の置かれている状況に気づき、行動することをゴールに据えました。相手の気持ちを理解するために、隣の席の人と立場を入れ替えて考えてみる方式を提案しました。

B班は、授業に参加する高校生たちがやってみたいことを匿名で書き、それを全体で共有して、実現するための方法を一緒に考える授業を提案しました。B班が示したA子さん像は「学級委員長をやってみたいけど、自分はそんなキャラじゃないし、周りの目もあるのでできない」と思っている女の子。そんな彼女が自分のやりたいことを匿名で明かしてクラスで共有し、周りの意外な賛同を得ることで、自己肯定感を高めていくというものです。この授業を通してA子さんは、「自分が思っているほど、他人は自分のことを気にしていないし、意外と仲間は増えていく」ことに気づくことができる、とB班は話しました。

C班は、リスクや失敗談をユニークに翻訳して、高校生の自己肯定感を高める「ユニーク翻訳」という授業を提案しました。「80%くらいはやりたいけど、20%くらいは周りの目やリスクがあって踏み出せない」という実体験から、このプランを思いついたと言います。高校生たちに、これまでの失敗や、一歩踏み出すときに生じそうなリスクを「翻訳シート」と名づけたワークシートに書いてもらい、メンター役の大学生がそれをポジティブに、ユニークな視点から翻訳してあげるという授業です。たとえば、テストで0点を取ったとしても、「伸び代しかない!」「次に高得点を取れば伝説になれるよ!」といった具合に、物事の受け止め方はいくらでもあります。失敗やリスクをポジティブに捉え、一歩踏み出す勇気を与えることが目的です。

D班は「あなたの世界は教室だけじゃない」という言葉をキーワードに、高校生の小さな成功体験を大学生が褒める授業を提案しました。想定したA子さんのペルソナは「ITで起業するのが夢で、シリコンバレーに留学したいけど、自分のことを陰キャラだと思っているのでできない女の子」。梅子の軌跡から、自己肯定感を持ってもらうことが大切だと感じたD班は、「教室が高校生の世界のすべてになってしまっている」と指摘。そこからの脱却を図るため、大学生が高校生の小さな成功体験を褒めることで、自己肯定感を持って外の世界に目を向けられるような視野を育むプランを考えました。

自分と違う人に石を投げる人にならない。そのことの大切さを伝えてほしい

各班の発表を聞いた高橋さんは、以下のように講評しました。

私にもみなさんと同世代の子どもがいます。平成の子どもを育ててきた一人の親として、みなさんたちは私たちの世代以上に「同調しなくちゃいけない」「共感しなくちゃいけない」という意識が強い、すごく優しい世代だと感じます。その点、みなさんが考えた「高校生に伝えるべきこと」が班ごとに違っているのはすばらしい。ダイバーシティーの原点だと思います。違うものに触れたことのない人は、それ以外の視野は持てません。だからこそ、違う言語、違う文化を持つ人と接することがとても重要です。

あなたたち自身も一人ひとり違っていていい。日本では、失敗するとすごくバッシングされます。そういう大人たちを見て、子どもたちは、ちょっとでも失敗したり違っていたりしたらバッシングされると思っている。でも、自分と違う人に対して石を投げるような人には決してならない、ということの大切さを子どもたちに伝えてほしい。

失敗した経験をポジティブに評価するとか、他者と入れ替わって考えてみるといった授業案もありました。人と違ってもいいんだという肯定感と安心感を持つとともに、違う言語、違う習慣、違う階層の人に恐れを抱くことをやめよう、ということを、高校生に分かりやすいかたちで伝えてください。

大学生のみなさんには、女性の力で社会を変えることができると信じてほしいし、リードする女性をサポートする度量がある男性をかっこいいと思える世代になってほしい。「枠をはみ出す女性っていいじゃない。そういう女性を応援するよ」っていう男性を育てていかないといけない。誰かが枠をはみ出ることで社会は変わっていく。みなさん一人ひとりにも、エールを送ります。

最後にワークショップの参加者にも、セッションの感想を聞きました。

主権者教育に携わってきた大学院生の女性(23)は「津田梅子という人物を通して、女性のユニークさを生むには、環境がいかに重要かを再認識しました。自分が23年間住んでいる東京が、ますますそんな場所になってほしい」と話しました。そのうえで「女性が活躍するには、異質な他者である男性をいかにうまく巻き込んでいくかがカギになる。まずは学校教育の現場で実践していきたい」と今後の意気込みを語りました。

また、「津田梅子の名前は歴史の授業で習ったけど、こんなにチャレンジをして苦労を乗り越えた人とは知らなかった」と話したのは、都内の大学に通う男性(21)。「一口に女性と言っても、地域や家庭、経済背景など、さまざまなステークホルダーがいる。それぞれの立場を乗り越え、違いを生かして協力することが重要だと感じた」と語りました。

今回提案された授業案をもとに、大学生・大学院生が講師となって都内の高校で授業を行う予定です。その模様は後日、このサイトでお伝えします。お楽しみに。

※「東京ブランド推進プロジェクト」とは
東京ブランドロゴ「&TOKYO」を効果的に活用しながら、東京都及び東京観光財団と民間事業者が連携して、東京の魅力の発信等を行う事業です。

※「東京ブランド」について
東京都は、旅行地としての東京を強く印象づける「東京ブランド」の確立に向けた取り組みを行っています。「東京ブランド」では、Unique、Excellent、Exciting、Delight、Comfortの五つのキーワードで東京が持つ独自の価値や魅力を表現しています。 WOMAN&TOKYOでは、この五つの価値に、「東京がUniqueなモノ・ヒト・コトを受容することでExcellent、Exciting、Delightな価値が生まれ、誰もが暮らしやすいComfortな空間へ成長し、そのことによって新たなUniqueが生み出される」という循環を見出しました。 東京にUniqueな女性たちが活躍できる場があることで好循環が生まれている、という視点から、さまざまな企画を通じて東京ブランドを広く浸透させ、シティープライドを醸成することを目指しています。

東京ブランドコンセプト:https://andtokyo.jp/brand/concept.html

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