DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル

魚にとっての水のように、平和は当たり前のもの?
麻丘めぐみが演じる東京大空襲で生き残った女性の半生

Written by 小林桃子 with 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 石黒シエル(POTETO)

第2次世界大戦末期の1945年3月10日未明、東京の下町を中心に空襲に遭い、わずか2時間半で約10万人が亡くなりました。「東京大空襲」として知られる惨事です。それを体験した6歳の少女がいました。少女はそのトラウマを抱えつつ、戦後は研究者となり、仕事と育児の両立に奮闘しながら、圧倒的な男性優位の時代を生き抜いてきました。この女性の半生をモデルとして、戦争の記憶の風化や現在まで続く女性差別について問いかける舞台「魚の目に水は映らず」が、3月5日から東京・下北沢で上演されます。関係者3人に作品への思いを聞きました。

「空襲後」の人生を描きたい

作・演出を手がけるのは、劇団東京フェスティバルを主宰する劇作家のきたむらけんじさん(45)です。

きたむらさんは6歳と8歳の2女の父親。「娘たちが『ミサイルが落ちてきたらどうしよう』と口走ることがある。戦争は遠い過去の話ではありません」

放送作家としても活動するきたむらさんは、2017年8月にラジオ番組の企画で東京大空襲の経験者にインタビューしました。そこで出会ったのが、今回の作品のモデルとなった西尾静子さん(79)です。

西尾さんは6歳で東京大空襲を経験し、戦後は、女性の職業としてはまだ珍しかった理系の研究者となり、国立感染症研究所に定年まで勤めました。ポリオ(小児まひ)対策に尽力するなど業績を重ねる一方、女性研究者の待遇改善にも取り組みました。その生き方に感銘を受けたきたむらさんが舞台作品化を構想。インタビューの翌日には、西尾さんにその希望を伝えたそうです。
「東京大空襲の被害者である西尾さんの、その後の人生に興味を持ちました。西尾さんの世代にとって、女性が定年まで勤め上げるのは珍しいこと。そうした事実が、戦後史を描くのにふさわしいのではないかと考えました」

作品タイトルの「魚の目に水は映らず」は、ことわざの「魚の目に水見えず 人の目に空見えず」に由来します。先人の努力や犠牲の上にある今の平和で豊かな暮らしを、私たちは「当たり前のこと」として受け止めてしまいがちです。「女性の権利向上、保育環境の改善のために闘ってきた西尾さんは、『日常の全てが特別なもので、当たり前のものではない』と言います。そんな西尾さんの思いと重なる言葉としてタイトルにしました」

時代に流されず意志を貫き通す姿に共感

西尾さんを演じるのは、女優の麻丘めぐみさん(63)です。

麻丘さんの母親は戦時中、特攻隊員を見送り、自身は電話交換手や看護婦として動員されたそうです

麻丘さんは3歳から子役として活動し、1972年に歌手デビュー。「わたしの彼は左きき」など大ヒット曲を連発。トップアイドルとして活躍しながらも、77年に結婚し、引退しました。しかし、離婚を機に83年に芸能界へ復帰。女優として舞台やドラマで活躍する傍ら、シングルマザーとして娘を育てました。仕事と子育ての両立に奮闘してきた女性の一人です。
「西尾さんはいつも時代に流されず強い意志を貫き通す。そこに興味と共感を抱きました。私も試行錯誤しながら闘っています。生きるか死ぬかの戦争をかいくぐって、なおかつ挑戦していく西尾さんの姿を演じてみたい」

麻丘さんは両親から戦争の話をよく聞かされたそうです。「今の若い人はゲームなどでバーチャルな戦争をしています。戦争の捉え方が違ってくるのではないかと思うと、背筋が凍ります。だから、下北沢という若い人が集まる場所で、戦争を描く芝居をすることに意味があると思います」

自分を保護するために、話さなかった

モデルとなった西尾さんに、改めて東京大空襲の体験をうかがいました。

東京大空襲の体験は西尾さんから笑顔を奪いました。「小学校の記念写真でも私だけ笑っていません」

西尾さんの実家は医院でした。空襲の数日前から、岐阜県に住むいとこの女性(当時19歳)が上京していました。西尾さん一家が彼女の家に疎開する準備を手伝うためでした。空襲があったのは3月10日未明、西尾さんの6歳の誕生日でした。
「真夜中にたたき起こされて、近くの小学校にある避難所に行きました。一緒に逃げたいとこと看護婦は入れましたが、避難所が満員になったので私と母は少し離れた高校の地下室に入りました」。それが命運を分け、いとこと看護婦は避難所で焼死しました。「2人とも遺体も遺品もない。突然いなくなった。生きた証しを何も残さないで死んでしまう。それが空襲だと感じました」

西尾さんは60歳になるまで、東京大空襲の体験を家族にさえ明かしませんでした。「焼けた死体や、妊婦のおなかから胎児が飛び出している姿がトラウマとなって、話せなくなりました。話したら自分が潰れてしまう気がして、ずっと自分を保護するために、話さず、思い出さないように努めてきました」

男性優位の職場で、女性のために闘う

1961年に日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)を卒業した西尾さんは、国立感染症研究所に入所しました。そこでは、女性職員に対する差別的な待遇が待ち受けていました。1971年、西尾さんは32歳で長女を出産しましたが、子育てをしながら働くことへの嫌がらせが続きました。子どもが病気になって休暇を取った時は、「あの薬品はどこへ行った?」「あの書類は提出したのか?」など、急ぎとは思えない用件の電話がかかってきたそうです。子どもを持つ女性の同僚も同様の悩みを抱えていたので、所内に保育園を開設する運動を一緒に始めました。そして1980年に所内保育園が実現しました。

平和を絶対に残していきたい

西尾さんが定年を迎えたのは1999年。長らく語ってこなかった東京大空襲の体験を、送別会の席で初めて明かしました。「スピーチを求められましたが、科学は日進月歩なので、私の体験などは今後の役に立たない。その代わりに空襲の体験を話してみたのです」。体験談を聞きながら数人の同僚が涙を流したそうです。その様子を見て、「空襲について知らせなくてはいけないと思うようになりました」。

現在は東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)で語り部を務めながら、小中学校で戦争体験の講話をしています。「戦後は平和でした。でも、先人が大変な時代を牽引してきたから今の平和があります。この平和を絶対に残していかなければいけません」

きたむらさんからメールで舞台作品化を提案された時、西尾さんは深夜にもかかわらず、すぐに快諾の返信を送ったそうです。「もうすぐ80歳になるので、話せる期間は短いと思っていた時期に、お話をいただきました。この芝居は、後世の人が東京大空襲や戦後の女性の生き方を研究するうえで参考資料になると思います」

挑戦することを恐れずに、ドキドキを見つけよう

インタビューの最後に、麻丘さんが若者に向けて語りました。

立ち稽古をする麻丘さん

「若い人の多くは、偉くならなくてもいいと考えているかもしれませんが、西尾さんたちの世代は、頑張って偉くなって『日本を少しでも変えるのだ』と思っていました。今の若い人も1回きりの人生だということを意識して、目の前にあることでいいから挑戦してほしい」

麻丘さんにとっても、今回の芝居は挑戦です。「下北沢の小劇場で演じるのは初めてです。不安だし、ドキドキします。でも、それをストレスと感じるのではなく、興奮に変えていきたい。若い人たちも挑戦することを恐れずに、ドキドキを見つけてほしいと思っています」

「魚の目に水は映らず」は3月5日(火)~10日(日)、東京・下北沢のOFF・OFFシアターで計10回上演。料金は5400円。公演の詳細やチケット予約は、劇団の公式サイト(https://tokyofestival.com/)で。

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