DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル
2019/03/08

海辺の町は、最先端のコンパクトシティーになった
新しい「スタート」に満ちた、被災地・女川の復興 前編 朝日新聞DIALOG スタディーツアー

[PR]UR都市機構

東日本大震災で大きな被害を受けた各市町村は、復旧にとどまらない再構築を進めています。災害に強く、地域経済を活性化し、いきいきと暮らせる町へ。その取り組みは、日本の地方都市が抱える共通課題への糸口をも示唆しています。朝日新聞DIALOGでは、東北の復興支援事業を行うUR都市機構の協力を得て、若者たちが復興まちづくりを体感するスタディーツアーを実施しました。今回は「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。」をスローガンに掲げた宮城県牡鹿郡女川町。2019年2月13・14日、復興の進む町を視察し、まちづくりに関わった人たちの熱い思いに触れました。

スタディーツアーに参加した学生3人。
左から、古井康介さん(慶應義塾大学経済学部4年・1995年富山市生まれ)、高柳美奈子さん(国際基督教大学教養学部4年・1995年愛知県出まれ)、古野香織さん(東京学芸大学大学院 教育学研究科修士1年・1995年東京都生まれ) ※プロフィル詳細は記事末尾に
今回、女川町を案内してくれたUR都市機構のお二人。同機構の宮城・福島震災復興支援本部 女川復興支援事務所で、震災復興事業に関わってきた。
左=川村輔さん(補償業務を担当)、右=清田咲史さん(事業計画及び調整を担当)

井戸端会議ができるマンションで、女川の日常が刻まれていた

震災直後にいち早く人々を寒さから守り、日々の営みを支えた仮設住宅は、8年が経った今、ほとんどの住人が転居しており、新たな住まいを確保したのだろう。ところどころ塗料がはがれたスコアボードが空き住宅を見下ろし、そこが野球場の跡地だったということがわかる。

「当時は、とにかく平らな場所が必要で、野球場や小学校のグランドが仮設住宅の建設地に充てられました。建築家の坂茂さんが、海上輸送用コンテナを利用して居住性の良い住宅を提案されています」と、UR都市機構女川復興支援事務所の清田咲史さんが語る。同事務所の川村輔さんも続ける。「断熱対策や採光、収納なども配慮され、住み心地がいいと評判だったようです」

「狭い、寒いイメージをもっていました。普通に、きれいなアパートなんですね」と感心するのは古野香織さん。
これらの仮設住宅は女川町が整備したものだが、UR都市機構は、発災直後の賃貸住宅の提供といった復旧支援を行った。さらに、女川町では町とパートナーシップ協定を結び、復興計画の策定支援から、災害公営住宅の建設や、道路や宅地の造成などの市街地整備など、包括的に復興まちづくりを支援している。

現在の災害公営住宅
建設前の2012年の様子

野球場に隣接する運動公園内の陸上競技場跡地に建てられたのは、UR都市機構が整備した新しい災害公営住宅だ。中規模のマンションが何棟か並び、広い中庭の花壇に並ぶパンジーが、ここに安心できる日常があることを示している。UR都市機構の川村さんが説明する。
「外廊下の一部が少しせり出して広くなっているところがあります。住人同士がちょっと立ち話をしたり、庭を見たりできるようなスペースです。もとのコミュニティーから離れてここに移り住んでいる人もいるので、新しいご近所づきあいの助けになるように」
「井戸端会議のためのスペースをあらかじめ用意しているんですね!」。古井康介さんが声をあげた。

町をまるごと防潮堤にする、という発想

運動公園住宅は、女川の高台に位置している。そのほか一行が案内された大原住宅も、斜面を広い段々畑のように平らにした造成地に建てられている。
「復興にあたり、女川町は“町全体を防潮堤にする”という方針を定めました。海への眺望が遮られる大きな防潮堤は設けず、住宅地を安全な高台に配置する方法です」と川村さん。

海の近く海抜16メートルに立つ女川町地域医療センターの柱には、あの日の津波到達高が記されている。床から1.95メートル。大人の背はゆうに超える。女川町は山と谷の入り組んだ地形のため、押し寄せた波が狭いところに集まり、津波の最大遡上(そじょう)高は34.7メートルに及んだ。同程度の津波が来た場合を考えると、浸水を免れる高さに住まいがあれば安心ということになる。それが「町全体が防潮堤」という考え方だ。低地部は東日本大震災と同程度の津波では浸水区域になってしまうが、そこに商業エリア、さらに海の近くに魚市場や水産加工場など産業エリアを配置する、という方針を固めた。

海抜17メートルより上に住まいを。民意が決めた町のかたち

高台住宅、といっても、最初から高台があるわけではない。山を切り崩し、その土をかさ上げの盛り土に使い、宅地を造成する工事が行われた。高く土が盛られた、住宅や学校の用地が見えた。高柳美奈子さんが小さく疑問を発した。
「階段で学校に上るのって、大変じゃないでしょうか。お年寄りも多い地域であれば、高台に住む不便に、抵抗はないのですか」
川村さんは造成地を見上げ「大変、かもしれませんね。でも、住まいと学校は安全な場所へというのは町の人の議論で決めたことなのです」
場所によって違うが、高台のラインは海抜17〜18メートルになった。

2012年当時の宅地造成工事の様子

未来の命を守りたい、その思いをまちづくりに

「あの脅威を、次の世代に伝えなければ」——町全体の思いを象徴するのが、随所に建てられた「いのちの石碑」だ。町にある21の浜の、津波が襲って来た高さの地点に石碑を建てる企画を女川中学校の生徒が発案し、実行したプロジェクトで、石碑の裏には1000年後の命を守るためのメッセージが英語、フランス語、中国語でも刻まれている。3人は、桐ヶ崎地区で実際の石碑と対面することができた。

石碑の位置から眼下に海が見える。これほど高い位置より上に逃げなければならないのか。女川の人たちが「住まいを高台へ」と願った心情が迫ってきた。3人はその「思い」を、町の中心街である、商業エリアで確認することになった。

用がなくても人が集まる。町の中心に工夫を

JR女川駅から海に向かって、まっすぐに広いレンガ道が通っている。その両脇が、商業エリアと呼ばれる地域だ。公共施設、金融機関、商店がここに集約し、しゃれた街並みを観光客も回遊する。女川町商工会の参事で、女川町復興連絡協議会の事務局長でもある青山貴博さんが案内してくれた。

写真右=青山貴博さん
女川町商工会参事。行政に対してまちづくりを提案する民間団体『女川町復興連絡協議会』事務局として、「住み残る、住み戻る、住み来たる」をテーマに復興プロジェクトを進める。

「もともと、女川は土地の少ない地域です。宅地は全面積の10%ほどで、海沿いに15くらいの集落が点在していました。震災前から、じわじわと人口が減少し、対策をとらなければならなかったのですが、一気に人口が減ってしまって。何もないなかで集まって考えて、まちづくりコンセプトとして決定したのが“コンパクトシティーをつくりたい”ということだったんです。それまで、人が集まる場所がなかったので、その“場所”をつくりたい。町の機能を一つの場所に集約したいという考えです」
混乱と瓦礫(がれき)の山のなかで、「元どおりに戻す」から一歩進んで新しいまちのコンセプトを考える、その意欲と当時の必死な状態に思いをはせ、3人の大学生は圧倒されるように話を聞いた。

女川プロムナード

「ホールや会議室のあるまちなか交流館や銀行、郵便局など、不特定多数の人が利用できる施設を中心部において、消費を目的としない人もその場に来て、たむろし、賑わいを形成するのが狙いです。お金を使わなくてもコミュニティーの一員になれる、これがこの商業エリアの魅力です」と青山さんは胸を張る。

そしてもう一つのコンセプトが「どこからでも海が見える、住みたい、訪れたい、自慢したい風景の創出」だった。
「海の眺めは、いわば自然の“タダ”の資源です。今まで、通過型の観光ばかりで、例えば秋刀魚収獲祭が終わると半日で観光客が帰ってしまう。これからは滞在型観光を目指すべきだと考えました」。専門家や、女川を支援したいという「よそ者」を交えたまちづくりデザイン会議が開かれ、行政との連携で町のデザインは決められていった。まちづくりのプロであるUR都市機構は、専門家集団としてそのコンセプトを具現化する道筋を立てた。

20年はかかる復興を、8年で

「現在、女川町の災害公営住宅の供給は100%に達しています」と、UR都市機構の清田さんは明かす。「この規模の復興としては20年はかかるのですが、8年で達成することができました」。その理由は、女川町の人たちのまちづくりコンセプトが明確で、意思決定が速かったこと。それに加え復興版コンストラクション・マネジメント方式を採用したことも大きい。これは、設計と工事を一括で発注し、設計ができたエリアから随時工事に着手することで時間のロスをなくせる手法だ。
「私たちは、皆さんが一日も早く通常の暮らしに戻れるようにしたかった。それを町と一緒に実現できたのです」

商業エリアは、また大きな津波が来れば流されてしまう地域だ。それでも海の眺めを大事にしたのはなぜだろう。青山さんは「我々の子ども、その子どももこの町に末長く住んでいけるように」と言う。

スタディーツアーに参加した3人に響いたのは、まちづくりデザイン会議の「還暦以上は口を出さない」という方針だ。普通は行政のリーダーや企業のトップは60代以上であり、もちろん町には青山さんたちの先輩がいた。しかし、「未来はお前たちがつくれ」と、年長者は後方支援に回り一歩引いてくれたのだ。

「まちづくりって、尊いですね」と古井さん。女川の全ての人が当事者として選んだ町の新しい形。8年間の尊い成果を巡るスタディーツアーになった。

<参加した学生のプロフィル>
高柳美奈子さん
国際基督教大学教養学部4年。1995年愛知県出まれ。株式会社manmaに所属。また、池袋にある「こどもの王国保育園」に所属しながら、保育の未来を変えることについて日々勉強中。

古井康介さん
慶應義塾大学経済学部4年。1995年富山市生まれ。株式会社POTETO Media代表取締役。政治専門の広告代理店として政治をわかりやすく発信。自民党総裁選や元総理、現役大臣などのプロモーションを与野党問わず担当。朝日新聞DIALOGパートナー 、毎日新聞「政治プレミア」連載中 、日本政府 国際女性会議 広報アドバイザー。

古野香織さん
東京学芸大学大学院 教育学研究科 修士1年。株式会社POTETO Mediaメンバー。1995年生まれ。大学1年生のときに選挙権年齢引き下げのムーブメントに関わったことがきっかけで、中高校生の主権者教育に関心を持つ。日本シティズンシップ教育フォーラム運営委員。現在は社会科の教員を目指し、教育全般や社会課題について日々勉強中。

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