2019/03/29

被災地・女川に子どもたちの居場所を
「女川向学館」が支えた8年とこれから

Written by 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 武田和(POTETO)

宮城県女川町には、町の小中学生の約半分がバスに乗って集まってくる「放課後の学校」があります。東日本大震災から4カ月後の2011年7月に開校した「コラボ・スクール 女川向学館」。津波による大きな被害を受けた町で、落ち着いて勉強する場所を失った子どもたちのために、学習支援と居場所づくりを担ってきました。すっかり町に定着した「学校」は、未来を見据えて新たなステージに踏み出そうとしています。

子どもたちの学習支援と心のケアのために開校

宮城県女川町は、震災による津波で当時の人口約1万のうち800人以上が犠牲になり、家屋の約7割が消失しました。家も地域社会もなくなり、子どもたちの居場所も失われました。当時、町立女川第一中学校の教務主任だった佐藤敏郎さんは、「学校は、残念ながら学校だけではもたなかった。みんなぎりぎりだったところに女川向学館が来てくれた」と振り返ります。

佐藤さんは震災当時、女川第一中の教務主任だった

女川向学館は2011年7月、避難所として使われていた旧女川第一小学校の校舎に認定NPO法人カタリバが開校しました。カタリバは2001年に設立された教育系NPOで、高校生に向けて大学生スタッフがキャリア教育の授業を行う活動をしてきました。震災後の2011年に、被災地の子どもたちの学習支援と心のケアのためのコラボ・スクールを東北に2校開き、女川町のスクールが女川向学館と名づけられました。現在は、熊本県益城町を含む4拠点で活動を行っています。

女川向学館の開校当時、連携役として学校側の立場からかかわった佐藤さんは、女川向学館のスタッフとのやりとりの中で、生徒たちが我慢していたことを知ったといいます。「中学生くらいの子たちは、家でも我慢して、学校でも我慢していた。でも向学館で勉強しながら、『実は・・・・・・』っていう話を聞いてもらっていた。あの当時、子どもたちは迷惑をかけたくないから、学校の先生にも親にも何も言わないんです。向学館がなかったら大変なことになっていました」

「死にものぐるいでここまできた」町の人々を支えた居場所

数学の授業を受ける中学生たち

子どもたちは週1~2回放課後に、学校から直通バスに乗ってやってきます。小学生は算数を中心に、中高生は英語と数学の学習支援を受けます。取材で訪ねた平日の夜6時ごろ、各教室では7~8人ずつに分かれて、ジャージー姿の中学生たちが和気あいあいと授業を受けていました。校舎内にはブースごとに分かれた自習室やフリースペースもあり、黙々と勉強する中学生の姿もありました。

現在、女川向学館に通う小中学生と高校生は合計で約160人。町の小学生の約4割、中学生の約半分を占めます。運営費は、国からの委託料と全国からの寄付金でまかなっています。通ってくる子どもの家庭からも、毎月任意の金額が寄付金として支払われています。

拠点長の渡邊さんは岩手出身。カタリバの東北全体の責任者でもある

拠点長の渡邊洸さんは、7年前からこの地で子どもたちの成長に寄り添ってきました。震災直後に居場所をなくして女川向学館に通っていた中高生は、大学生や社会人になった今も、進路のことや職場での悩みを相談する電話をかけてくるそうです。「町の人はみんな、死にものぐるいでここまでやってきました。向学館と学校が子どもたちの日常と放課後活動を一緒に担い、その間に産業界の皆さんが町をつくるという役割分担がうまく機能し、ようやくそれが融合してきた」と、渡邊さんは話します。

学習支援から、豊かな学びの応援へ

最近は学習支援だけでなく、より豊かに生きていくための土台づくりにも力を入れ始めています。町のお祭りに出店するために、商工会の人を呼んでお金の稼ぎ方を教わったり、町で働く大人にその半生を語ってもらったり。2017年からスタートした「探究授業」は、中学2年生が自分の選んだプロジェクトに半年かけて取り組みます。これまでに、町の魅力を伝えるフリーペーパーの制作や、女川の食材を使った創作料理の開発、女川駅前でのプロジェクションマッピング投影などに挑戦してきました。

小中学校とは、子どもたちの様子を情報共有するだけでなく、女川向学館のスタッフが学校の授業研究会に参加して、教え方などについて先生と議論することもあります。町のさまざまなアクターとの連携、融合が進んでいます。

靴を脱いで上がるフリースペースもある

前出の教務主任だった佐藤さんは、その後、教員を退職。現在は女川向学館のアドバイザーとして、町の人たちと子どもたちのつなぎ役をしています。「震災で、石巻の大川小学校に通っていた私の子どもが犠牲になりました。そういうこともあって、3・11をどうやったら学びに変えていけるかを考えています。学校が、もっと学校の外の人たちとコラボしたほうが、学びは絶対に豊かになる。その可能性を考えています」。佐藤さんは力を込めて話しました。

東日本大震災から8年。町内の災害公営住宅が完成し、町の復興計画も一区切りを迎えます。女川向学館の役割も変化していくのでしょうか。渡邊さんは、「変化させなきゃいけないと思っている」と言います。「居場所や学び場にとどまらず、子どもたちの自己実現を応援して支える場所にしていきたい。放課後ここに来ると、いろんなことにチャレンジできたり、自分のやりたいことが見つかったりする場所になるといいですね」

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