明日へのレッスン1
世界的指揮者・大野和士×朝日新聞DIALOG
「独立した『個』があれば、人々の分断は超えられる」

Written by 乙部修平 with 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 角野貴之

朝日新聞は4月から水曜日の朝刊で新紙面「探究」面をスタートします。この面では、「明日へのレッスン」をテーマに、問いを立て、考えていく大型企画を掲載します。第1週「メッセージ」は、次代を担う若者と第一線で活躍する大人による世代を超えた対話が中心で、朝日新聞DIALOGに集う若者たちが主役を務めます。記事は朝日新聞や朝日新聞デジタルでご覧いただけますが、この朝日新聞DIALOGの公式サイトでは、対話の場に同席した学生記者の目線でまとめた別稿を掲載します。

第1回は、フランスの国立リヨン歌劇場首席指揮者を務めるなど世界を股にかけて活躍し、国内では2018年9月から新国立劇場オペラ芸術監督に就任した大野和士さん(59)に、平成生まれの若者2人が様々な質問をぶつけました。

大野さんにインタビューしたのは、若者のライフプランニングをサポートする株式会社manmaの代表取締役社長で、慶応義塾大学大学院修士過程の新居日南恵さん(24)と、日本に来た難民申請者の就労プログラムを展開するNPO法人WELgeeの代表で、東京大学大学院修士課程の渡部清花さん(27)。さて、どのような対話が生まれたのでしょうか。

豊かなオリジナリティーのあるキャラクターが必要

渡部:先日、大野さんが芸術監督を務める新国立劇場の新作オペラ『紫苑物語』を拝見しました。劇中、4人の歌手が同時に歌う場面があり、心を震わせられるとともに、どこに重きを置いて鑑賞すればいいのか困惑もしました。現実社会も芸術と同様に複雑で、決して理解しやすいことばかりではないと思います。大野さんは、「分断されてしまった人と人とのつながりを取り戻す」ことについて、どのように考えていますか。

大野和士さん

大野:まず四重唱についてですが、これはオペラならではの形式です。例えば、演劇で、4人の役者が違う言葉、リズムで一斉にしゃべりだしたらカオスになりますよね。ところがオペラでは、4人の歌手が四者四様に、違う旋律、台本、リズム、あるいは恨み・愛・絶望といった感情を同時に披露するという表現方法が可能になります。四重唱はドラマの山場で披露されることがほとんどなので、細かい意味を考える必要はありません。四者四様の表現が重なった全体としての響きを楽しんでください。
その際、重要なのは、没個性的なものが四つ重なっても多面的な表現にはならない、ということです。一つ一つが豊かなオリジナリティーのあるキャラクターでないと、うまく交わりません。独立した「個」があれば、国境のような人々を分断する要因を超えることは可能だと私は思います。そして、自分に確立された個があれば、他人の個を意識し、それを認めることができます。もちろん、そうするには努力が必要ですが、個と個がぶつかったとき、認め合う度量や受け入れ合う意識を持っていれば、自分自身をより深く知ることもできます。異なるものが出会い、新しい要素が入ることで、もとあったものの輝きが違って見えてくるんです。

新居:ご自身が指揮をするときも、そうしたメンタリティーで楽団員と向き合っているのですか?

大野:そうですね。例えば、歌手は、テキストを覚え、それを肉体に乗せて音を出す専門家です。ただ、オペラの世界ではそれだけではダメで、いろいろな言葉と音の関係から生じてくる機微のようなものを自分で表現する必要があります。そうしたコラボレーションのなかで1人のアクターとして独立するという過程を経ないと、聴衆の心をつかむことはできません。やはり大切なのは「個」ですね。

日本人の集中力と探究心はすごい

新居:私は先日、インドに2カ月間滞在し、経済発展の途上にある街の様子を目の当たりにしました。経済も人口も右肩下がりが続いている日本が、今後、世界の中でどのように存在感を放っていくべきなのか考えさせられました。大野さんは、日本という国をどのように見ていますか?

新居日南恵さん

大野:「落ちていく日本」というふうにとらえられがちですが、ただただ下がっていくだけではないと思っています。私の経験から言わせてもらうと、まず日本人の職人気質はすごいですね。舞台の技術スタッフは、演出家からの要望以上のクオリティーで仕事を仕上げてきます。また、聴衆の集中力や探究心もすごい。日本の聴衆ほど事前に予習をしてくる人たちはいないですね。公演が終わったあとも、電車の中で舞台の解釈について話し合っている。劇場を通してこうした場面を見ていると、日本はまだまだ捨てたものじゃないなと感じます。本当に大きな課題が目の前に現れたとき、この国の人たちは持ち前の集中力と探究心を駆使して一つになり得るのではないでしょうか。

「自分を残す」ことを目指すと、対話は生まれない

渡部:同じ公演でも、文化圏や聴衆によって受け止められ方が違うということですが、東京発のオペラをこれから世界に届けるにあたって、どのようなことを伝えたいと考えていますか?

大野:この『紫苑物語』という作品は、平安時代を舞台とした石川淳の小説が原作ですが、現代との比較の中でテーマが現れるようになっています。石川淳は、歌の名家に生まれた主人公の宗頼が弓術に魅せられ、自我への固執の中で苦悩する物語を、戦後デモクラシーの展開を見つめながら書きました。日本人がどのように個を開花させ、創造的な方向へ向かっていくのか、期待をもって見つめていたのです。しかし戦争が終わり、10年が経つと、日本は高度経済成長期に突入した。商業化され、何にでも値段をつけるような世界に日本は邁進していった。そこで彼は、生きとし生けるものが共存していた日本の原風景を描いた。それがこの『紫苑物語』です。

渡部:じゃあ、宗頼の苦悩は、石川淳自身の苦悩でもあったと?

大野:そうですね。そして、この作中に出てくる究極のエゴイズム、言い換えると「自分を残す」という行為が目的となってしまう現象は、現在の社会でも数えきれないくらい類例があると思います。今の社会では、若い世代が行き場をなくし、それが必然性のない暴力性・攻撃性につながることがしばしばあります。そうしたとき、その若者は、実は自己を消失してしまっている。これは人間として生まれた以上、「定め」のようなものなのかもしれませんが、そこからどうやって自己というものをうまく規定していくか、また社会がそれをサポートできるかが大事だと思います。そうした条件がそろって初めて、対話が可能な他者の存在を認めることができる。そのことをこの作品は教えてくれるし、オペラを作る際にも意識しました。
分かりやすい話をすると、ベートーベンは自分の名を後世に残そうとして作品を制作したわけではありませんよね。自己から離れ、天空からの音を聞くというような境地にいた。それが故に、ベートーベンの作った曲は200年以上経っても残っているわけです。行為が自我の欲求を満たすという次元では、対話は生じないし、外に向けたクリエーティブな未来意識は生まれないと思います。

エネルギーを持って接すれば、言葉の壁は超えられる

渡部:平成生まれの私たちは、しばしば「内向的だ」と言われます。自分たち自身はあまりそのような認識は持っていませんが、正解のない世界を生きるうえで重要なことは何でしょうか?

渡部清花さん

大野:みなさんの世代は、まずはインターネットと上手に付き合うことを心がけるべきだと思います(笑い)。様々な情報にアクセスできるからといって、何でも知っている気になってしまうのは怖いことですよね。

渡部:大野さんは、クロアチア紛争のさなかにザグレブ・フィルの音楽監督を務めるなど、様々な国の様々な状況下で活動してきました。実際に現場に行って、人に触れることがやはり大切ですか?

大野:私が電子機器を使いこなせない世代だということもありますけどね(笑い)。私の次の世代以降はスマートフォンを完璧に使いこなせるらしいので、少し情けない気もします。

新居:スマートフォンを使いこなせても、そこからはアクセスできない情報もたくさんあると思います(笑い)。大野さんは国境を超え、時差を超え、コストをかけて世界に足を運んでいますが、外部への好奇心をどのように広げてきたのですか?

大野:私の場合は音楽が専門ですので、それを媒介として、例えば、作品が生まれた地へ実際に行ってみたいといった好奇心はありました。また、人に対する好奇心ということで言えば、オーケストラは基本的に多国籍な集団です。ヨーロッパのオーケストラでも、今や日本人の楽団員がいないほうが珍しい。アジアやアフリカの人たちも重要な構成分子となっています。ですから、オーケストラという存在の中に、すでに小世界のようなものがある。そこでは、おのずと違ったメンタリティーの人と出会う。それはすごくアドバンテージになっていると思います。
指揮者という仕事をするうえで、自分の思っていることを団員に実行してもらうためには、様々な表現技法を蓄えていく必要があります。そうでないと、コミュニケーション自体が難しいですからね。そうした経験から普遍的なことを言うとすれば、人にはそれぞれ、多様なコミュニケーション手段があるということです。それは目で何かを訴えてくる、ということかもしれないし、行動で示すものかもしれない。いずれにしても、エネルギーを持って人と接すれば、言葉の壁を超えてつながることができると思います。

ショックを受けることが「生きる」ことの原点

渡部:コミュニケーションでは、互いに共通する部分と個性的な部分、その両方に意識を向ける必要があるということですか?

大野:そうですね。そして、そのときには必ず、個を高めるために、他を知ったほうがいいと思います。

新居:「他を知って、個を高める」という点で印象に残っている若い頃の体験はありますか?

大野:私が若い頃は日本にオペラの専門劇場がなかったので、ドイツに留学しました。そこで、才能があって経験も積んでいる大指揮者たちのオーラを目の当たりにして、ショックを受けました。ショックを受けると、「自分の中に広がるこの気持ちは何だろう」と考えます。この「これは何だろう?」、または「なぜ?」と疑問を持つことが、人にとっては大切なんです。「なぜ?」って言える環境に自分を置けるかどうかで、「なぜ?」の窓口がどんどん増えていくかどうかが決まる。そしてその過程で、美しいものや驚嘆するようなものに出会って息をのむ。それが「生きる」ということだと思います。

自分が壊れない程度に自分を追い込め

新居:これから先の未来をつくっていく若い世代に大切にしてほしいと思うことがあれば教えてください。

大野:一言で言うと、自分が壊れない程度に、自分を追い込んでほしいですね。自分にプレッシャーをかけすぎて自分が壊れてしまったら元も子もないので、経験知から加減を知らなくてはなりませんが、次に何か新しいページを開きたいと思ったときには、それなりのプレッシャーを自分にかけていくことが大切です。私も若い頃は、コンクールの前夜にプレッシャーで一睡もできなかったことがありました。ピアノをバーンとたたいて、すごい不協和音を鳴らしたこともね(苦笑い)。でも、何回か自分にプレッシャーをかけていくうちに、ここまでなら大丈夫という自分の限界を知ることができる。そうなれば強いと思います。

新居日南恵さん(左)と渡部清花さん(右)からインタビューを受けた大野和士さん

インタビューを終えて

現場でやりとりを聞いていた筆者は、大野さんの穏やかで温かみのある語り口に強くひきつけられました。最近は、グローバリズムの反動で自国第一主義が力を増していますが、他を知ることで、自身の個を高めるという大野さんの考え方には、行き詰まった国際情勢を打破するためのヒントが隠されている気がしました。

では最後に、インタビューした2人の感想をご紹介します。

衝撃をきちんと味わい、エネルギーにしたい(新居日南恵)

ご自身がプロデュースしたオペラについて語る時の、ときめきにあふれた姿がとても印象的でした。お仕事を心から愛して楽しんでいる気持ちが世界的な評価につながっているのだと感じました。そのピュアで軽やかな印象とは対照的に、常に自分が壊れない程度のプレッシャーをかけ続けるというお話も、また印象的でした。初めてドイツを訪れた時に出会った大指揮者たちに衝撃を受け、そのショックがのちの糧となったというエピソードに胸を打たれました。挑戦し続けるからこそ、たくさんの衝撃があり、その衝撃をきちんと味わい、自分のエネルギーとして、大切にしていらっしゃることがよく分かりました。常に自分をより高みへ持っていくというストイックな面とのバランスが大事なのだと考えさせられました。私も、今日うかがった言葉を胸に、人生においてたくさん心が動かされる瞬間を大切にしながら、頑張りたいと思います。

人間一人ひとりを認識することが大切(渡部清花)

多様な人間が作り出すステージを通して世界中に感動を届けてきた大野さんのお話には、「個」という概念について考えさせられる瞬間がたくさんありました。「自分の個」、「他人の個」、その両方を大事にして、認め合う度量をもち、受け入れる意識をもつ。それはひいては“人間一人ひとりを認識する”ということだと感じました。自分という存在を固めるためにも、他を知る。他を知ることで、また自分を知る。異なるものが出会い、新しい要素が入ることで、もとあったものの輝きが違って見えるんだという言葉は印象的でした。言葉だけ、上辺だけの多文化共生ではなく、そのなかに生きる私たちが個を大切にすることで、これからの日本は、互いを生かす強くて優しい社会をつくれると思います。そのベースには、日本人・外国人という二項対立ではなく、日本人同士でも皆が異なるのだという意識が必要だと感じます。

【プロフィル】
大野和士(おおの・かずし)
1960年生まれ。1987年トスカニーニ国際指揮者コンクール優勝。ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、独カールスルーエ・バーデン州立劇場音楽総監督、東京フィルハーモニー交響楽団常任指揮者、ベルギー王立モネ劇場音楽監督、フランス国立リヨン歌劇場首席指揮者などを歴任。2015年から東京都交響楽団ならびにスペイン・バルセロナ交響楽団音楽監督。フランス批評家大賞、朝日賞など受賞多数。紫綬褒章受章。文化功労者。18年9月から新国立劇場オペラ芸術監督。

新居日南恵(におり・ひなえ)
1994年生まれ。学生が子育て家庭の日常生活に1日密着し、生き方のロールモデルに出会う体験プログラム「家族留学」を行う株式会社manma代表取締役社長。慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程。文部科学省「Society5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会」構成員、日本政府主催「国際女性会議WAW!」アドバイザーなどを務めた。

渡部清花(わたなべ・さやか)
1991年生まれ。日本に来た難民申請者の社会参画とエンパワーメントを目指すNPO法人WELgee 代表。東京大学大学院総合文化研究科・国際社会科学専攻 人間の安全保障プログラム修士課程。バングラデシュの紛争地でNGOの駐在員、国連開発計画(UNDP)のインターンとして平和構築プロジェクトに携わった経験を生かし、難民の就労事業に取り組んでいる。

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