
同性愛を描いた映像作品といえば、『ムーンライト』(2016年)が米アカデミー賞の作品賞、『君の名前で僕を呼んで』(2017年)が脚色賞を受賞して話題となりました。国内では、テレビドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)が大ヒットし、社会現象にもなりました。いずれも男性同士の恋愛模様を通した、普遍的な愛や恋がテーマだったと思います。
しかし、4月19日に公開される映画『ある少年の告白』は、同性愛をテーマに、これまでの作品とは異なった視点を与えてくれます。
舞台は2000年代アメリカの田舎町。主人公のジャレッド(ルーカス・ヘッジズ)が、ある施設に入所するシーンから物語は始まります。
「ポケットは空に」。職員はジャレッドの私物を取り上げると、禁止事項を読み上げます。飲酒・喫煙、服装の自由、日記をつけること、入所者同士の接触、そして治療内容を口外すること——。
この作品は、原作者のガラルド・コンリーが19歳のときに実際に経験した出来事をもとに、性的指向の「矯正治療」について問題提起しています。
アメリカでは1970年代まで、同性愛は精神障害とみなされていました。1973年にアメリカ精神医学会が精神病のカテゴリーから同性愛を外し、1990年には世界保健機関(WHO)も「国際疾病分類」から同性愛を削除しました。しかし、その後もアメリカなどでは、性的指向やジェンダー・アイデンティティーを「治療」によって変更させようとする「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」が行われてきました。これまでに、アメリカで暮らす約70万人の成人が矯正治療を経験したとされています。これに対し、治療効果の科学的な証拠が存在せず、深刻なトラウマを与える可能性もあるとして、多くの専門家から批判が上がっていました。原作者が矯正治療を受けたのは2004年、わずか15年前のことです。
2014年には、トランスジェンダーの17歳が自ら命を絶った事件をきっかけにアメリカ国内で議論が沸き、翌年には、オバマ大統領(当時)が矯正治療の中止を訴える声明を発表。昨年までに14州とワシントンD.C.で矯正治療を禁止する法律が成立し、今年に入ってからニューヨークとマサチューセッツの2州でも同様の法律を制定することが決まりました。

映画では、主人公ジャレッドが治療を受ける様子と、施設に入所するに至った経緯が交互に語られていきます。施設の「救済プログラム」は、参加者に過去を告白させ、屈辱的な言葉を口にさせたり、悪魔をはらうために聖書で体を叩いたりします。人格を変えるためには手段を選ばない「治療」に、だんだんと不信感を募らせていくジャレッド。
「生まれつきの同性愛者はいない。選択の結果だ」。施設職員の言葉や両親の期待と、偽りなき本当の自分の思いとの間で、ジャレッドは苦悩します。彼の両親も、彼の苦痛が取り除かれることを願って治療を受けさせているところが、なんとも切ない。果たして、ジャレッドと彼の家族に救いはあるのか。
大学生の筆者にも、LGBTQ当事者の友人が何人かいます。筆者の世代では、そうした性的マイノリティーの存在を当たり前に感じ、違和感を抱かない人が大半であるように感じます。しかし、将来、もし自分の子どもがLGBTQの当事者だった場合、友人から打ち明けられるのと同じように、素直に受け入れられるのか。またそのとき、どんな言葉を子どもにかけてあげればいいのか。この作品から、そんなことを考えさせられました。
