明日へのレッスン3 将棋棋士・羽生善治×朝日新聞DIALOG過去と決別できるから、新しいものを生み出せる:朝日新聞DIALOG
2019/06/04

明日へのレッスン3
将棋棋士・羽生善治×朝日新聞DIALOG
過去と決別できるから、新しいものを生み出せる

Written by ジュレット・カミラン with 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 西田裕樹

次代を担う若者と第一線で活躍する大人が世代を超えて対話する「明日へのレッスン」。第3回は史上初の「永世七冠」となり将棋界で初めて国民栄誉賞を受賞、歴代単独1位となる公式戦通算1434勝を達成した羽生善治さん(48)に、若者2人が様々な質問をぶつけました。

羽生さんにインタビューしたのは、日本最大級の人工知能コミュニティー「全脳アーキテクチャ若手の会」の設立者で、ドラえもんを作ることを目指しているAI研究者の大澤正彦さん(26)と、個人向け遺伝子解析サービスを提供する株式会社ジーンクエストを大学院在学中に起業し、株式会社ユーグレナの執行役員も務める高橋祥子さん(31)。さて、どのような対話が生まれたのでしょうか。

自分が想像しなかった状態になるのが理想

大澤:小さいとき、僕はおじいちゃんが大好きで、そのおじいちゃんは羽生さんが大好きでした。おじいちゃんが将棋を教えてくれたのですが、当時、「羽生さんみたいになれよ」と言われた記憶があります。それが20年前の話です。自分の主観的な体験としても、羽生さんが20年以上前からトップでいて、今もトップでいることのすごさが、ひしひしと伝わってきます。戦い続ける原動力はどこにあるのでしょうか?

羽生:たとえば、来年、東京五輪・パラリンピックがあります。それに合わせて自分のパフォーマンスをベストに持っていこうという調整の仕方と、何十年にもわたって同じ競技を続けていくというのは、ちょっと違う気がします。感覚としては、将棋はマラソンやトライアスロンをやっているような感じ。もちろん全力でやっているのですが、オーバーペースになりすぎて燃え尽きてしまわないように、というのは考えています。マラソン選手のすごいところは、ラップを刻んでいけることだと思います。1キロ4分だったら、4分でずっと走り続ける。そのことを一応、心がけてはいます。

羽生善治さん

大澤:30年くらい前の時点で、現在までトップを走り続けているイメージはありましたか?

羽生:いや、ないですね。将棋は5年先のことも見えない世界です。あまり先のことは考えずにやっていくというスタンスで、1年、1年と続けて、結果的に長くやってきたということです。また、長くやることを目的にすると、けっこうつらくなってきます。2年前に引退された加藤一二三先生(九段)は、現役生活63年くらいでした。私はまだ30年ちょっとなので、やっと折り返し地点に着いたぐらいです。そこを目標にすると、いきなりやる気がなくなります(笑い)。遠い先のことは考えずに、近いところを目標にやっていくスタンスがいいんじゃないかと思っています。

大澤:今はどんなことを見据えて、どのくらい先の未来のことを考えているのですか?

羽生:1年とかそんな感じです。将棋の世界はめまぐるしく変わるので、1年くらい経つとまた状況は変わっている。ファッションと同じで、その時々のトレンドみたいなものがあります。トレンドがどういうものになるのか、それに対して自分はどうしていくかを考えています。

大澤:1年後、どうなっていたいですか?

羽生:今までなかったスタイルや、今までなかったやり方をしたいというのもありますが、自分自身が想像していなかった状態になるのが理想です。こうなりたいからこうなるのではなく、まさかこうなるとは思わなかった、というのが一番いい。何が起こるか分からないところに、未来を見据える面白さもあるのではないかな。たぶん、そういうことをやっていかないと、つらくなってくる世界なんです。なぜかというと、将棋の世界は400年以上前からルールが変わっていなくて、和服で対局することも変わっていない。そのうえ、指している中身も同じだったら、まったく同じことの繰り返し。堂々巡りになってしまうので、違う何かを見つけていくことは大事だと思います。

高橋:私が最近、考えていたことと同じです。人生を豊かにするものは何なのかを考えたときに、「学び」と「未来の可能性」と「想定範囲外のこと」と定義しました。自分が想像していないことにいかに出合える生活ができるかが大事だなあと思っていたのですが、将棋の世界も似たような感じなのですね。

羽生:他の世界も同じでしょうが、過去から積み上げてきた体系的な論理やセオリーには分厚いものがあって、それを無視することはできない。そうすると、真新しいものや、自分が知らなかったものに出合う機会はどうしても少なくなっていくので、かなり意識的にそうした機会をつくっていかないといけません。

勝ちたい気持ちが強いと、いい対局にならない

大澤:将棋には個人戦独特の戦いの面白さやつらさがあると想像しているんですが……。

大澤正彦さん

羽生:将棋は、終わった後に責任転嫁がまったくできません。次に向かうためには反省しないといけないんですけど、反省を永遠に続けると自己否定になる。でも、風向きが悪かったとか、審判が悪かったとか言えないじゃないですか。言い訳がまったくできないというのは、けっこうつらいといえばつらいことではあります。ただまあ、かえってそこで、ある意味すっぱり割り切れることはありますかね。将棋の世界は人数がすごく少なくて、160人くらいしか現役棋士がいない。同じ人たちとずっと対局していく。子どもの頃からずっと対局している人もいます。互いに手の内を知り尽くしているのに、また対局を続けていく点では、個人競技の中でも特殊な世界かなとは思います。

大澤:プロの棋士でも連敗する人が多いなか、羽生さんは連敗が少ないと聞いたことがあります。そのメンタリティーはすごいですね。

羽生:もちろん、物事を覚えて理解していくために、記憶は大事です。ただ、忘れるということも、それと同じくらい大事なことで、忘れて切り替えることが上手にできないと大変だという面は間違いなくあります。まあでも、年齢が上がってくれば、努力しなくても忘れる(笑い)。若いうちは忘れられないけどね。年齢が上がると、だんだん努力もいらなくなる(笑い)。

高橋:私も寝たらすぐに忘れちゃいます(笑い)。ちなみに、個人戦という話がありましたが、羽生さんは戦うときに何と戦っているのですか。自分が過去できなかったことに対して勝ちたいということなのか、この人には勝ちたいということなのか。

高橋祥子さん

羽生:相手がいないと対局が成立しないので、そういう存在は常にいるんですけど、相手に勝ちたいという気持ちが強く出てしまうと、互いの個性を殺し合ってしまうというか、あんまりいい対局にならないんですよ。

高橋:そうなんですね。

羽生:澄んだ気持ちで、純粋にこの局面で何をやるのが一番いいのかというスタンスでいったほうが、いいことがあります。先ほど話したように、同じ人と何十局もやっているので、この局面ならこういう手を指してくるかなというのが、ある程度お互いに分かっている。それを前提に考えているときもあります。ただ、対局の内容をより良くするには、相手のことを意識しすぎないことが重要。もう一つ、読みが合ったり、考え方が似ていたりする人との対局って、意外と熱戦にならないんです。

大澤、高橋:へえ~!!

羽生:全然読みが合わないとか、考え方が合わない人との対局のほうが、内容的にはより良いもの、濃いものになるってことはあります。

高橋:じゃあ、相手との勝負をものすごく意識するというより、その場にいかに集中していくかが大事ということですか?

羽生:将棋って、お互いに1手ずつ指していく。相手の手番になると、自分は何もできません。どこかにちょっと他力が入るっていうことを前提に考えているんです。何をやられるかわからないけど、これでダメならしようがないかっていうくらいのスタンス。もちろん自分で手は選んでいるんですけど、すべてをコントロールして前に進んでいるという感覚はほとんどない。“他力本願”という感じ。

高橋:なるほど。そういうことなんですね。

大澤:将棋は勝ち負けが明確ですが、対局中は、勝ったときの興奮を強く意識するのですか、負けたときの恐怖を強く意識するのですか?

羽生:もちろん両方が常にありますが、いかに恐怖感に打ち勝てるかということは大事な要素です。技術的に打ち勝てるケースもあるし、メンタル的に打ち勝てるところもあるので、その両面を高めていく。

大澤:技術的というのは、どんな感じですか?

羽生:たとえば剣豪同士が斬り合っているとして、切っ先を見切るってあるじゃないですか。技術的というのは、切っ先を見切ることなんですよ。相手の刃が近くても、達人から見れば、1ミリでもかわしていれば大丈夫。メンタルのほうは、怖いと思うかどうか。そっちのほうが、高めるのは難しいですね。

価値あるものなら、未来の誰かがきっと見つけてくれる

高橋:戦い続けて記録を更新していくことが、人類の進化にどういう影響を与えるかが気になっています。私は生命科学の研究と事業に取り組んでいますが、研究をしているとき、「それって何の役に立つの?」とよく聞かれるんです。直接、医療の役に立つものもあれば、そうでないものもある。ただ、知識が増えること自体が、人類の進歩と課題解決力の向上につながる、ととらえれば、間違いなく貢献していると私は思っています。羽生さんは、記録を更新し続けていくことの意義をどうとらえていますか?

羽生:将棋はたくさんの人がやっているから、それが積み重なると、間違いなくこれから後の人たちの財産になると思います。でも、どの時点で、誰が、価値があるとか意義があると思ってくれるかは、まったくわからないわけですよ。私自身の経験でいうと、棋士になった頃、升田幸三先生(実力制第四代名人)というひげのはえた怖い風貌の大先生がいました。エピソードも豪快で、家出して棋士を目指したというような先生なんです。その先生は昭和20~30年代に、30年くらい先を行った将棋を指していた。私がそのことに気づいたのは、平成に入ってからでした。価値や意義は、すごく未来の誰かが見つけてくれるかもしれないので、私自身は、後世の評価を気にしないでやっていくほうがいいのかな、と思うようにしています。気にしても、自分でなんとかできる話ではないし、本当に価値のあるものなら未来の誰かがきっと見つけてくれるだろうと思ってやっていく。それくらいのスタンスがいい。

高橋:それは多くの基礎研究者にとって勇気づけられる話だと思います(笑い)。テクノロジーが社会にもたらす変化は大きく、みんなが思っているより速いと思います。テクノロジーも含めた新しい変化に、どう対応すればいいですか?

羽生:どうして、若い人たちが新しいものを生み出すことが多いかといえば、過去と決別できるからだと思います。これはダメだと捨て去ることができるかどうか。そうした発想の出発点に立てるかどうかで、イノベーションが生まれるか生まれないかが決まるように思います。将棋の世界でも、今までやってきたことの積み重ねやセオリー、知識は横に置いて、フラットな視点で向き合っていかないといけないな、ということはけっこう思っています。

高橋:ゲノム解析には、倫理的な問題や人の感情の問題もあり、広げていくのが難しい点があります。新しいものは、よくわからないから怖いという意識があり、なかなか進まない。どうすれば、もう少し、テクノロジーに対して柔軟性のある社会になるのか。常々考えているのですが、まだ解は出ていません。積み重ねてきたものは大事にしつつ、それはそれでフラットに見る力があるといい、ということでしょうか?

羽生:新しいものが入ってきたときに抵抗感や違和感が出るのは、当然だと思います。しかし、どこかで臨界点を迎えると、ガラッと気持ちが変わったり、社会として受け入れてくれたりすることはあるでしょう。そこまでは、つらいですが、頑張りきらないといけない。ゲノムのような分野では、知らないから不安、怖いという人は多いので、啓蒙活動を行い、基本的な知識をたくさんの人と共有していくことが、長い目で見ると一番の近道かなと思います。特に、生命科学の世界は、倫理上のことを社会の中で具体的に決めなくてはいけない時期に来ています。それは人類がほとんど経験してこなかったことです。その決め方には、知恵を絞る必要があるでしょう。今までは哲学論争で終わっていましたが、新しいテクノロジーをリアルの世界で使おうとすると、具体的にルールなり範囲を決めないといけない。

高橋:ゲノム編集をヒトの受精卵に応用していいのかという問題も、「やっていきましょう」という世界にすることもできるし、「危ないから禁止して、難病の治療だけに使いましょう」という世界にすることもできます。一つの判断で世界がガラッと変わる局面にいるなか、そのルールを決める人たちが「知らないから怖い」という意識で決めてしまうと、テクノロジーを良い方向に活用できないと思います。テクノロジーと人と社会の関係性について、どういう意識をみんなが持ったらいいのでしょうか?

羽生:それは軍拡競争と似ていて、これ以上やったら人類が滅びるという地点まで来てしまったら、ある種の均衡が保たれるというか、不安定だけどバランスが取れた状態になるというのは、どういうジャンルであれ出てくるのではないかと思っています。今は変化のスピードが速いので、スピードにうまく対処できる枠組みを短時間でつくれるかどうかが、すごく大きな挑戦になるという感じがします。

アイデアを共有すれば、進歩の速度は上がる

大澤:AIの業界では、最近になってようやく「AIセーフティー」とか「AI倫理」といった話が国際的に出てきました。倫理問題では、ゲノムはAIの先輩のようなものです。AIも今後、そうした壁に当たっていくのでしょうか、それとも回避できるでしょうか?

羽生:一番分かりやすいのは、車の自動運転だと思います。自動運転がスムーズに普及するかどうかが、AI全般がスムーズにいけるかどうかの指標になるのではないでしょうか。自動運転が円滑にいくと、他も同じような枠組みをつくろうということになりますし、ここがこじれると、やっぱりこれはどうかな……となる。自動運転が普及すれば、交通事故で亡くなる人は劇的に減るでしょう。しかし、事故のときのインパクトは半端ではない。論理的にみれば自動運転に移行したほうがいいけど、感情面をいかに処理するか、誰が責任をとるのかという点を、うまく設計できるかどうか。これからのテクノロジーの話は、そういうことが多くなる気がします。

大澤:人工知能は人の知能と対峙して研究するテクノロジーなので、関係のない人はいません。議論や関心が盛り上がりやすい性質を持っていると思います。人の仕事を代替するだけでなく、人を超える知性をつくるというところまで発展するかもしれない。羽生さんは、どこまで見越してAIに関心をお持ちですか?

羽生:AIはチェスや囲碁、将棋にすごく強いですよね。やはり画像認識技術が進んだことが大きいと思います。AIの視点からみると、将棋とか囲碁といったカテゴリーはないんです。だって、いずれも画像だから(笑い)。これまでは人間の定義に基づいて、これはこのジャンル、このカテゴリーと分けてきましたが、それは本当に合っていたのか。そうした問題が突きつけられています。もう一つは、サイバー空間でできることとリアルの世界でできることは違う。将棋の世界はサイバー空間で、すごく速く変化するでしょうが、リアルの世界は物理法則や社会的制約に縛られる。こっちが本丸かなと思います。

大澤:1996年の「コンピューターがプロ棋士を負かす日は?」というプロ棋士へのアンケートでは、ほとんどの人がそんな日は来ないと答えるなか、羽生さんは「2015年」と予想していました。結果はほぼその通りになりましたが、どういう目で世の中の動きを見ていたら、そういう発想になれるのでしょう?

羽生:昔から付き合いのある認知科学系の専門家に言われて印象的だったのが、「ハードの進歩だけで、ゆくゆくは(コンピューターが人を)追い抜きますよ」という言葉でした。2015年というのはたまたま当たったんですが、将棋ソフトって、停滞期があっても突然伸びる。人間のように、プロセスを段階的に踏んで少しずつ進歩していくという形をイメージしてはいけないと思いました。

高橋:指数関数的に伸びますからね。

羽生:たくさんの人が情熱をもってやっていたら、誰かが何かを生み出しますよね。棋士としての経験則では、自分がいいアイデアを思いついたときは、他の誰かもすでに思いついていることが多い。そのときアイデアを共有できるかどうかで、進歩の速度は変わります。共有できると、もう一歩先へ行ける。

大澤:AI系の論文は、投稿して査読していると遅くなるので、査読中の論文を公開するプラットホームがあります。こうした流れはここ数年のものですが、おっしゃる通り、どんどん共有して回転させて、というサイクルにしないといけない。

羽生:そういう世界には優秀な人が参入してきます。新しい人が入ってきて活躍できるようなエコシステムが完成しているかどうかも重要な要素です。

大澤:羽生さんの将棋のスタイルは、それに近いのかなって思ったことがあります。新たなアイデアを取っておく棋士もいますが、羽生さんは出し惜しみせず、直近の試せる機会に使いますよね。

羽生:別々に持っているのと、共有して進むのとでは、進歩のスピードが桁違いなんですよ。倍どころか、もっと違う。経験則として知っているので、そちらの方向でやっていこうというのはあります。

高橋:AIが日々の献立を考えてくれるとか、読むべきニュースを見つけてくれるという時代になったら、人間は思考停止に陥るのではないか、といった点はどう考えていますか?

羽生:たとえば、人間はみんなゲノムを持っているけど、自分では何もわからない。ネットの閲覧中に広告が表示されるのも、無意識のうちにいろんな行動をとっているから出てくる。自分が知らなかった自分について知ったときどう思うか。それを考えさせられる機会は、これから先、増えてきそうです。それを知ったとき、違和感が生じるかもしれないし、「こんなふうに考えていたんだ」とか「自分ってこういう性格だったんだ」というのが逆に見えて、また違う道を選べることもあるかもしれません。いずれにせよ、統計と確率で全ての物事が決まっていく世界は味気ないとは思いますけどね(笑い)。

完璧さを求めないほうが、社会としては健全

大澤:グーグルの画像認識システムが人レベルに到達したといわれた後に、黒人にゴリラというタグを誤ってつけてしまいました。そうした、AIの思いもよらなかった負の部分について、どう評価していますか?

羽生:人間が極力、関与しないで学習させようとする機械学習の世界では、そうしたことが起こり得るので、社会に出す前にきちっとチェックするのが大事でしょう。囲碁の画像診断で、人間がやっても90%以上、AIがやっても90%以上、正しかったとき、一番精度が上がるのは両方を足して判断すること。二重にチェックして社会に出していくのが、今はいいと思います。

高橋:テクノロジーの負の側面について考える際には、何に対して「負」になっているかを意識する必要があると思います。方向性が間違っているのか、人の期待値に達していないのか……。ゲノム解析も、期待値に対して足りていないところが批判されたりします。

羽生:人間の心理的側面の影響が大きいんでしょうね。人間ならどんなエキスパートでも多少のミスは社会的に受け入れられるけど、テクノロジーには、ひとかけらのミスも許されない。ものすごい精度を求められる。完璧さを求めないというのが、社会としては健全な姿のような感じもしますよね。

大澤:AIは、擬人的なとらえられ方をするところが、テクノロジーとしては特殊だと思います。単なる技術なら、精度が足りなければポンコツと言われ、ベクトルが違うと悪魔と言われます。誤認識でゴリラとなったのも、「決めつけた」というような言われ方をされる。感情の部分に悪影響を及ぼすこともあるというのが、やっている立場として思うことですね。

羽生:AIに感情を取り入れたものをつくるべきかどうか、というのが大きな問題のような気がしています。人間にとって心地よい、本当に受け入れられるものになるには、感情を取り入れたほうがいいと思います。

大澤:僕はドラえもんをつくりたいので、まさにそこですね。小学生のときは知的好奇心から作りたいと思いましたが、大人になると社会的意義も考える。ドラえもんを形づくるのは、一人ひとりが心地よく触れ合ったり、向き合ったりできる技術だと思います。いまの人工物は道具でしかないけれど、仲間のようなAIができたら、きっと失敗も許してくれるようになるはずです。現実世界に踏み込むという意味では、感情を取り入れる技術が出てきたら次のブレークスルーになると思います。

羽生:遺伝子は性格や感情にも影響するのですか?

高橋:忍耐力、ストレス耐性、協調性、情緒安定性といった様々なものが遺伝子とかかわっています。ただ、ストレス耐性も高ければ高いほどよいというわけではありません。災害時に危険を察知して逃げる人もいれば、そうじゃない人もいる。多様性があるということが、人類の種としての生存可能性を上げていると思います。

羽生:持って生まれた先天的なものが、その人の人生に与える影響は、どんな感じですか?

高橋:たとえば、顔や骨格の形は遺伝子の要因が大きい。IQにも遺伝的要因はかかわっていますが、「頭がいい」といっても、記憶力、連想力、想像力といったいろんな要素があり、全てが高い人はいません。遺伝子で人生が決まるわけではなく、遺伝子の研究が進むと、その人の「可能性」や「余白」が、より分かるようになるかな、と思っています。

羽生:小さな子どもに「君には無限の可能性がある」と話すのと、「君にはこういう可能性があり、これぐらいの余白がある」と話すのとでは、すごく大きな違いがありますよね。ただ、思い込みもけっこう大事です。遺伝子診断の結果が出ても、「その2割増しでできる!」と思ってやれば、本当に目標が実現してしまうこともあると思います(笑い)。

個を置き去りにしないことが大事

大澤:朝日新聞DIALOGは2030年の未来を考えるコミュニティーですが、2030年っていい設定だなと思っています。今の若い世代が主体的に取り組むべき未来。そういう意味で2030年の社会はどのようになっていると思いますか。

羽生:どういう姿かは全然思い浮かばないですけど、世の中のニュースを見ても、この先、何が起こるか、わけが分からない世界なので、11年経ったら今とは違う世界になっているとは思いますね。テクノロジーに関していうと、進歩は止まらないので、現実の世界で何かしらの折り合いをつけるというか、形をつくる時になっているのではないでしょうか。

高橋:私はテクノロジーが指数関数的に伸びて、もっと活動的になっていく社会で、人類が描いていくべきストーリーは何なのかを考えています。今ある社会課題を一つずつ解決している状態がそれだと定義すると、2030年は今よりもっといい社会になっているとは想像できる。特にテクノロジー関係では、どういうストーリーを描いていくのがいいと思いますか?

羽生:11年経ったら、今ある課題で解決されているものもあるでしょう。ただ、もっと難しい課題に直面しているとも思うんですよ。テクノロジーが進歩すれば進歩するほど、難しい課題が出てくるものなので、それと対峙していくことが歴史なのかなとは思っています。

高橋:今ある課題が解決されても、また新たな課題が出てくるのであれば、テクノロジーを使って社会を前進させる必要はあるのか、というような質問を受けることがあります。それについて私は、新しい課題が出てくること自体が進んでいるという証拠だと思っています。みんながそう思うようになればよいのでしょうか?

羽生:車を運転しているとき、スピードが速くなればなるほど、視野が狭くなりますよね。テクノロジーも同じで、進歩が加速したとき、それを補正するものを提供し続けることが、いい方向にいくカギになると思います。そのままだと、どうしても見えるところが限定されてしまうので、全体が見える状態をいかに社会に提供し続けられるかが重要です。

大澤:スピードが上がれば上がるほど、僕らが使っている概念の抽象度は上がっていく気がします。より抽象度が高いレベルで課題を見るようになるから、小さな村での課題だったのが、世界にまで広がる大きな課題になっていくのかなと思っています。

羽生:局所的な事象が実は全体的なものに影響していることが実感できるようになると、それはそれで影響が出てくると思います。ここだけでやっていて、これは他の所には関係ないと思ってやっているのと、これは他のところにも影響を与えるかもしれないと考えるのとでは、行動が変わることはあるでしょう。

大澤:同感です。その究極は個人をどう扱うかという問題で、変化のスピードが上がれば上がるほど、一人ひとりと向き合うのではなく、組織などを最適化するフローになりがちです。

羽生:全体としては、組織のような大きなものに合わせたほうが物事を進めやすいですからね。個を置き去りにしないということは、これからますます大事な要素になりますね。

大澤:2030年には、どれだけ個人に向き合えているのかな(笑い)。

インタビューを終えて

今回の対話のなかで、いちばん印象に残ったのは、テクノロジーの急速な進歩によって生じた未知のものへの不安や恐怖をどうコントロールするかが重要、という3人の指摘でした。一見、自分とは関係なさそうな領域のことでも、ひとごととは思わずに日頃から考えを巡らすことが、とても大切だなあと認識を新たにしました。私たち一人ひとりがきちんと考え、意見を持てるようになれば、より難しい課題が出てきても、解決していける社会になるのではないかと思います。

では、最後にインタビューした2人の感想をご紹介します。

新しい風を受け入れながらアップデートしたい(大澤正彦)

羽生さんとは以前から交流させていただいていますが、プロ棋士としての素晴らしさもさることながら、「いい人」では済まされないほどの人格者です。自分の勝ち負けよりも将棋界への貢献を優先し、自分の損得よりも人類の損得を優先するメンタリティーや、常に新しいものを拒絶せず冷静に受け止める姿勢は、容易にはまねできません。今回のインタビューで、その人格こそが長い間トップで戦い続けられる力の源泉なのだと分かり、妙な納得感を得ました。 私はドラえもんをつくりたいと思っています。羽生さんのお話をうかがい、常に社会の新しい風を受け入れながらドラえもん像を継続的にアップデートし、時代に合った形で人を幸せにできる方法を探求していきたいと思いました。

自然体で感性豊かでしなやかな強さが大切(高橋祥子)

穏やかな口調で進む心地よい対話のなか、芯のある話に、学びが多くありました。お話をじっくりうかがい、400年以上続く将棋の伝統を重んじながら、一方で、想定範囲外の変化を軽やかに楽しみ、自身も変化を続ける羽生さんの姿勢が、勝ち続ける秘訣の一つなのだなと感じました。今後、猛スピードで変化するテクノロジー主導の社会に対応し、常に前進していくには、羽生さんのように自然体で感性豊かでしなやかな強さが大切になるのだなと思います。次世代へのヒントをたくさんいただきました。ありがとうございました。

【プロフィル】
羽生善治(はぶ・よしはる)
1970年生まれ。故・二上達也九段門下。85年、プロ四段。史上3人目の中学生棋士に。89年に初タイトルとなる竜王を獲得。94年、A級初参加で名人挑戦者となり、第52期名人戦で米長邦雄名人を破って初の名人に。竜王も奪還し、24歳で史上初の六冠王となった。96年には谷川浩司王将を破って前人未到の七冠独占を達成。2014年には史上4人目となる公式戦通算1300勝を、最年少・最速・最高勝率で達成。17年、渡辺明竜王からタイトルを奪い、史上初の「永世七冠」を達成。18年、国民栄誉賞を受賞。19年6月、歴代単独1位となる公式戦通算1434勝(591敗、2持将棋)を達成。

大澤正彦(おおさわ・まさひこ)
1993年生まれ。慶応義塾大学大学院理工学研究科後期博士課程在学中。慶応義塾大学理工学部の学生だった2014年に設立した「全脳アーキテクチャ若手の会」が2000人規模に成長し、日本最大級の人工知能コミュニティーに。「認知科学若手の会」も設立し、代表を務めている。IEEE CIS Japan Chapter Young Researcher Award(最年少記録)をはじめ受賞歴多数。孫正義育英財団会員。人工知能学会学生編集委員。日本学術振興会特別研究員。夢はドラえもんをつくること。

高橋祥子(たかはし・しょうこ)
1988年生まれ。京都大学農学部卒。2013年、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在学中に、個人向けゲノム解析サービスを提供する株式会社ジーンクエストを起業し、代表取締役に。18年から株式会社ユーグレナの執行役員バイオインフォマティクス事業担当も務めている。世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ2018」に選出。ジーンクエストは「第2回日本ベンチャー大賞」経済産業大臣賞(女性起業家賞)、「第10回日本バイオベンチャー大賞」日本ベンチャー学会賞を受賞。

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