DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル
2019/10/25

被災者一人ひとりと向き合うために
災害支援団体のネットワークをつくる

Written by ジュレットカミラン with 朝日新聞DIALOG編集部
Photo by 石黒シエル ※被災地と調印式の写真はJVOAD提供

地震、水害、噴火……各地で災害が起きるたびに、全国から多くのボランティア団体が駆けつけます。その調整役を担っているのが、特定非営利活動法人全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)です。栗田暢之 ( のぶゆき ) 代表理事(54)に、被災者支援の現状と課題、若者に期待することなどについて聞きました。

ボランティア団体をつないで調整できる組織が必要

—— JVOADはどのような組織ですか?

災害支援を行う団体のネットワークを築くことを目指す組織で、現在は29団体が正会員として活動しています。立ち上げたきっかけは2011年の東日本大震災です。災害が起きると、全国の社会福祉協議会(社協)が、ボランティアを求めている人とボランティアに来た主に個人とをつなぐ災害ボランティアセンターを被災地に設置します。東日本大震災では、そうして参加したボランティアの総数が約133万人に上りました。一方、NGOやNPOのなかには、災害ボランティアセンターと連携しつつ独自に動いた団体も多かった。例えば、中央共同募金会のボランティアサポート募金の助成を得て活動した団体のボランティアの総数は約525万人でした。東日本大震災のような大災害の被災地支援では、各地域での支援の見込みを調整し、全体を俯瞰 ( ふかん ) した情報が必要になります。そのためには、災害ボランティアセンターよりももっと大きな枠組みが必要ですが、各団体をつないでコーディネーションできる中間支援組織が日本にはありませんでした。そこを担える組織としてJVOADを立ち上げました。

—— これまでにどのような活動をしてきましたか?

JVOADの連携元年は熊本地震が起きた16年です。当時はJVOADがまだ準備会だったこともあり、認知度は非常に低かったのですが、支援団体のコーディネーションが必要だということを熊本県内の中間支援組織にご理解いただき、協力して進めることになりました。その結果、本震の3日後に情報共有会議を開くことができて、県内外から300以上の団体が集まりました。

熊本地震で被災した熊本県御船町にトイレカーを設置(2016年)

被災者ニーズは多岐にわたります。例えば、泥かきや家の片付けには一般のボランティアが大きな力を発揮しますが、避難所にいるお年寄りのケアには専門知識のあるボランティアが必要です。会議では、最初の1時間は全体の情報共有を行い、続く1時間は避難所や在宅避難者の問題など、ジャンル別の課題について対策を話し合いました。こうしたコーディネーションは、東日本大震災のときよりも整えることができました。

専門家の絶対数が足りない

—— 日本の災害支援の課題はなんですか?

支援団体の数をもっと増やさなければいけません。18年の大阪府北部地震では約5万の家屋が一部損壊し、瓦がずれて雨漏りをする被害が続出しました。5万軒の瓦工事をすぐにするのは無理なので、ブルーシートを屋根に張る支援をしました。ただ、屋根に上ってブルーシートをかぶせるのは慣れていないと難しいので、専門技術を持った複数のボランティア団体が大阪に入って支援しました。ところが、直後に西日本豪雨があり、大阪が地元の団体以外は、広島や岡山、愛媛などの支援に回ることを余儀なくされました。支援団体の絶対数が足りません。災害が頻発している今、こうした技術系の専門団体を増やしていくことは大きな課題です。

大阪府北部地震で情報共有会議を開催(2018年)

それと同時に、研修などを積極的に企画して、避難所の運営支援ができる人も増やしていく必要があります。たとえば、災害救助法が根拠となり、避難所には公費で洗濯機を置くことができますが、そうしたことは、普通は知りません。洗濯ができる環境が整わないと、生活に支障をきたすだけでなく、不衛生です。また、集団生活の場ですから、女性専用の干し場を設置する視点も必要です。避難所の運営にはいろいろなノウハウがあります。また、被災地に入ってコーディネーションする際には、被害の状況を全体的に把握し、どのくらいの期間、どんなニーズがあって、どのような支援が必要かを調整しなければなりません。それにも一定の訓練や経験が必要です。

—— JVOADと内閣府は5月に「行政・NPO・ボランティア等の3者連携・協働に関するタイアップ宣言」に調印しました。

災害が発生すると、もともと持っていた人間力や地域力は著しく低下します。それが元に戻るまでの間、行政はもとより、民間からも様々な支援を被災地に届けますが、バラバラに行うと支援の漏れやムラが生じます。それを防ぐには、行政とNPOがタッグを組み、情報共有することが重要です。

また、行政の側から見ると、ボランティアとの連携はずっと重要課題でしたが、いったい誰とどのように連携すればいいのかという問題がありました。JVOADは17年の九州北部豪雨、18年の大阪府北部地震、西日本豪雨、北海道胆振東部地震のすべてで情報共有会議を設立し、行政とNPOとの窓口としての機能を果たしています。また、18年に内閣府が作成した『防災における行政のNPO・ボランティア等との連携・協働ガイドブック』の構成にも、委員としてかかわりました。

タイアップ宣言に調印する山本順三防災担当相(当時)と栗田さん

西日本豪雨の際、被災者の敷地内に流れ込んだ土砂の撤去作業が必要になりました。こうした土砂は、国と地元自治体が費用を分担して撤去できる制度があり、このとき初めて適用されました。ただ、査定などの行政手続きが必要で、作業にすぐ取りかかるわけにはいきません。そうなると、屋内の貴重品を早急に取り出す必要がある家はNPOが担当し、行政がそれ以外のところを担うように仕分けるのが有効です。官民の特徴を生かした連携をするため、環境省とJVOADと全国社会福祉協議会が初めて連名で全国の都道府県に通知文を送りました。

こうした官民連携が必要な課題は、土砂の撤去以外にもたくさんあります。そこで、内閣府と民間で、緊急時はもちろん、平時から全国レベルでの情報共有会議を開く必要性が理解され、今回のタイアップ宣言につながりました。行政、NPO、ボランティアなどによる被災者支援活動がより円滑に効果的に行われることが目的です。

個別の状況に合わせて活動できるのが、ボランティアの醍醐味

—— 栗田さんがボランティア活動に携わったきっかけはなんですか?

1995年の阪神・淡路大震災です。当時、私は名古屋の大学の事務職員でした。ここには社会福祉学部があり、震災で障害者が二重の苦しみを受けているという報道を見た学生が、自分たちにできることはないかと窓口を訪ねてきました。そのときたまたま窓口にいたのが私で、社会福祉学部を持つ大学として取り組むべきことがあるのではないかと考えました。その結果、60人ぐらい寝泊まりできる大阪の関連施設を無償提供してもらい、2カ月間、学生が自由に出入りできるようにして、学生主体の支援活動を始めました。学生は延べ約1500人が参加しました。それがボランティアとしての原点です。 当時は、被災者一人ひとりにどうやって支援の手を届けるか、学生と一緒に模索しながら対応しました。例えば、約2000人が避難している神戸市の盲学校から炊き出しをお願いされたとき、学生たちは事前に避難所に出向いて、何が食べたいかを調査しました。すると、焼き肉を食べたいという人が圧倒的に多かったのです。学生たちはドラム缶を半分に切った焼き台を用意し、復興し始めた精肉店から肉を調達し、焼き肉を振る舞いました。すごく晴れた日で、匂いがよく、みんな出てきて、楽しかったですよ。暗いところで、冷たい弁当を1人で食べるのはよくない。一人ひとり、一つひとつの避難所の状況に合わせられるのがボランティアの醍醐味 ( だいごみ ) 。それに気づける社会は、素晴らしいと思います。私にとっての先生は、学生たちでした。

九州北部豪雨で大分県日田市の災害現場を視察(2017年)

—— 今の若者に伝えたいメッセージはありますか?

自分の大事な人を亡くしたり、家を失ったりという人生の一大事には、被災者は「助けて」と叫んでいいのです。その声を聞いて、「私たち、助けられます」という手がどれだけ挙がる社会なのかが重要です。ただ、「助けて」と自ら声を上げられない人たちもいます。よっぽどアンテナを張って見ていかないと、取り残される人が必ず出ます。ボランティア活動がもっとしやすく、手が挙がりやすい社会を作りたい。しかし、阪神・淡路大震災の頃と比べて、若者のドライさが少し気がかりです。スマホもいいけれど、もう少し、人と直接交わることに意味を見いだしてもらいたい。我々は、そういう若者たちにも思いを届けていきたいです。よく暑苦しいと言われますが(笑)。

栗田暢之(くりた・のぶゆき)
特定非営利活動法人全国災害ボランティア支援団体ネットワーク代表理事。1964年岐阜県生まれ。阪神・淡路大震災を機に設立した認定NPO法人レスキューストックヤード代表理事を務め、50カ所を超える自然災害の現場で支援活動を展開。地域防災力の向上や災害ボランティア・NPOの育成などにも携わっている。中央防災会議専門調査会委員や地方自治体などの各種検討会委員、岐阜大学、至学館大学の非常勤講師も務める。

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