DIALOG 日本の未来を語ろう :朝日新聞デジタル

「トゲトゲ」があるから 心に刺さる
作家・あさのあつこさん×朝日新聞DIALOG

By 杉山麻子(DIALOG学生記者)

 「明日へのLesson」は、次代を担う若者と第一線で活躍する大人が対話するシリーズ。今回は、野球少年たちの成長と葛藤を描いたベストセラー小説「バッテリー」で知られる作家あさのあつこさん(65)に、雑誌・ウェブで活躍する作家の岸田奈美さん(28)、地方発のデニムブランドを立ち上げた山脇耀平さん(27)が話を聞きました。

 あさのさんは、緑豊かな山々に囲まれた岡山県美作市に住み、執筆活動を続けています。映画・テレビドラマ化された「バッテリー」も、岡山の地方都市が舞台。あさのさんの作品を読んで育ったというインタビュアーの2人に、あさのさんが語った作品への思い、「いま」と「未来」への洞察とは——。

自分の中に、書きたい誰かがいる

岸田 あさのさんの作品には、大人になったときに大事にしないといけない考え方が書かれています。でも、子どもが読んでも、すっと入ってくる。

あさの 作品を作るときに、こういうことを伝えようとか、主張しようとか、誰かに向かって告げたいとか、そういうのではなくて、自分の中に書きたい誰かがいて、姿がはっきりわかっている人を書く。そうすると、舞台が後から迫ってくる。それは中学、高校だったりするし、お江戸物語だなってなると、江戸が範囲になる。近未来になったりもする。あまりテーマは考えていない。

 ただ、やっぱり無意識のうちに今現在に影響されないわけがないんですよ。今、私がこの社会とか、この時代に感じていることを吸収するというか、感じた上でその人物が出てくる。言葉は、それによって出てくると思う。やっぱりその人物、生まれてきた人にふさわしい文章って、ありますね。時代物を書くときは言葉の制約がすごく出てくる。カタカナ言葉って、ほぼ使えない。「このニーズに合わせて」なんて言わないじゃないですか。

岸田 このニーズに(笑)! この戦(いくさ)のモチベーションは……とか。

あさの そうそう(笑)。

岸田奈美 1991年生まれ、神戸市出身。関西学院大学卒。株式会社ミライロの創業メンバー、広報部長を経て2020年3月に作家デビュー。自分が愛するものについて、「100文字で済むことを2000文字で伝える」をモットーに、車いすユーザーの母、ダウン症の弟、亡くなった父の話などを講談社「小説現代」の連載や文藝春秋2020年1月号巻頭随筆などに執筆。コルク所属。
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山脇 登場する人物像は、書き進めていくうちに見えてくるものですか?

あさの そうです。書くっていう作業は、その彼なり彼女ではない誰かと、一緒にその期間を生きるということなので、やっぱり見えてくるじゃないですか。こういうしゃべり方をするんだなとか、こういう癖があるんだなとか。長く付き合えば付き合うほど、彼、彼女自身も変わってきますよ。それにちょっと遅れて、半歩遅れて、それを見て追いかけて書いている感じなので、最初から彼はこういう人で、こういう事件が起こって、こういうふうに解決した、みたいなのは、言えないですね。

岸田 あさのさんの作品は、登場人物の価値観に、中学生だとか高校生だとかって分かる揺れ動き感がある。すごくリアル。

あさの 人の変化は、個々それぞれじゃないですか。30代だから、60代だから、中学生だからという決め方って絶対にできない。その人物の抱え持っていたものと、どういう生き方をしているかとか、どんな環境かっていうことで、変わってきますよね。そこら辺をどのくらいまでリアルにすくいとって、自分の中に落とし込んで書くか。そのまま書いてしまうと収拾がつかなくなってしまうので、加工して、少しでも人に伝わるように加工する作業は、大事だと思います。

書きたい 一色でない物語

山脇 解釈が多様であればあるほど良かったなってなりますか?

あさの そうですね。誰が見ても泣けるとか感動できるとか、ノーと言えないとか、そういう話ではないものを書きたい、っていうのがあります。一律でない、一色でないというか。やっぱり人によって、あるいは見る方向によって、色が変わるというか。10代の時にピンクだったものが、実は紫だったとか、変わってくるということは、色が重なっているということだと思うんです。

岸田 キャラクターの好き嫌いについて、いろいろな議論がある。それ自体がうれしいということですか。

あさの 議論を巻き起こせるということは、小さな種ですけど、種をまけたっていうことが、うれしい。みんなが「泣けるよね」「いいよね」って言ったら、そこで終わりじゃないですか。でも違うものって、絡まりあって一つにはならない。

山脇 作品は読者のものでもあるというか、いろいろな解釈があるって、大事なことだと思いました。

あさの そうですね。トゲトゲがいっぱいあるものって、もしかしたら人を傷つけるかもしれない。でも食い込んで、引っかかったものは消えることがない。心地よくて、つるんとしたものって、そのまま残らないんじゃないかな。だから、小さなところに、些細なところに引っかかって抜けないような作品を書きたい。

山脇耀平 EVERY DENIM共同代表。1992年、兵庫県加古川市生まれ。筑波大学社会・国際学群社会学類卒。デニム産地の岡山県倉敷市児島地区に根ざし、自社で企画・デザインする国産デニムを届ける。Forbes誌が選ぶ「アジアを代表する30歳以下の30人」に選出された。
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「嫌い」も魅力 誇っていい

岸田 TwitterとかSNSを見たら、9割はいい感想ですけれども、 1割、2割は「こんなの文章じゃない」とか「作家じゃない」とか言われたり……落ち込むんです。

あさの どんな文章を書いても、文句を言う人はいるんですよ。でも、嫌いから好きまで振り幅があるっていうのは、一つの作品の魅力だと思うんです。みんなが一様に一律に感じてしまうっていうのは、のぺっとした同じ表情しかしていないということ。そういう振り幅が作品にあるということは、私は誇っていいことだと思うんですよね。私はもう見ないようにしています(笑)。

山脇 業界の中で評価されるということもあると思うんですけれども、受け止め方は?

あさの そうですね。書評の場合は、けなすために書評を載せるってことは、あんまりない。いろいろ、まどろっこしかったとか、もうそろそろシリーズものだから慣れてきたんじゃないかとかいう話は聞くことがあるんですけれども、ただ、私はあまり人の評価は気にしない。だんだんおばちゃん、亀の甲羅に毛が生えてくる。自己防衛で。やっぱり一番大事なのは、プロになって書き続けられるかどうか。人に悪く言われたからってやめちゃうんだったら、プロではない。そこに尽きる気がします。

岸田 仕事でも、社長をやり続けるとか、作り続けるとか、し続けることを選ぶべきだなって思います。

山脇 起業家も似ているところがあります。

あさの ジーンズに対する惚れこみようというとおかしいですけれども、確としたものが、あるわけじゃないですか。それに出会うべくして出会ったのか、運が良かったのか。例えば、弟さんがいなかったら、どうなっていたか分からないですし、広島に行っていたらどうなっていたか分かんないですし、それは偶然のようで、必然なのか、とか。そこら辺も、人間ってすごく面白い。物書きも「きっかけは何ですか」ってよく聞かれるんですよね。ここでこういう賞に応募したからとか、たまたま出版社が読んでくれてとか……きっかけは、多分、私はものを書いていたことかなって、デビューできたかは別として。偶然だと思ったものが、必然であったというものは、ある種、強いんだと思います。

本は「個と個」 思考を耕せ

岸田 思ったことをちゃんと伝わるように伝えることと、それを受け取って自分の中で消化する力が試されている。SNSの時代だから、一人ひとりが作家なんだと思う。

あさの 本は、個と個。誰かが、ここで泣けるよって言ったら泣くものではないし、この本が宝物だと思っていたものが、ほかの人にとっては結構どうでもよかったりするじゃないですか。それと人と人との関係は、すごく似ていて、自分がすごく素敵だと思った人が、憎まれる相手だったり、嫌われる相手だったりすることもある。だからこそ、本を読んだときに、自分の思考って、耕せると思うんです。今回(新型コロナのパンデミック)のように、国としての、あるいは世界としての問題が起きた時に、それを受け止めて、自分はどう思うのか。人に丸投げしないで、国がこう言ったからこうなんだとか、思考停止して従うだけではない。自分なりに考える訓練は、すごく大事。自分はどう思うのか、どう感じるのか、何を伝えようとしているのか、どんな言葉を使おうとしているのかっていうことを含めて、自分を鍛え上げていかないといけないと思います。

都会にはない 底なしの闇

岸田 東京には結構行かれますか?

あさの 行きますね。月に一度くらいは。すごく刺激的で、本屋さんに行ってもドキドキしちゃうくらい。「東京すげー」って思うんですけど、3日いたら疲れて「帰ろう」みたいに(笑)。

岸田 東京に住もうとは思わないんですか?

あさの デビューしたときはありましたね。出版社の9割が、東京なんですよ。東京にいたほうが、刺激にしろ情報量にしろあったんですけれども、今となっては青山のお洒落なマンションを仕事部屋にして書いている私は……全然、思い浮かばない(笑)。

山脇 フィットしていましたか? 美作の町が。

あさの 美作の空気であるとか、諸々のにおいであるとか、音であるとか、そういうものを自分の中で物語にするときに糧にしているので、特に時代小説のときに。例えば、江戸時代にあったはずの底なしの闇というか、人工の光が全く届かないあの暗さって、都会にいては、ないような気がするんです。でも私の周りにはいっぱいある。夜の山道なんかを、犬を連れて歩いていたりすると、私は第六感とかないんですけども、でも、人ならぬものの気配とか、草むらにぽーっと蛍が飛んでるときの、ものすごい明るさとか、雨が降ってきたときのにおいであるとか、乾いた土の上に落ちるにおいであるとか。五感が刺激されるんですよ。文章力は、書けば書くほど上がる。しっかり本を読んだり、取り入れたり、書き続けたりすることで、研ぎ澄まされていくと思うんです。でも、元になる五感、何をにおったのか、何を見たのか、どういう色だと思ったのかとか、そういうものは、美作で鍛えられたのかなっていう気がするんですよね。

 初夏の昼下がりに川辺を歩いていて、夕立が来たことがあって、乾ききった風景が、雨が降るところだけ鮮やかになる。雨を先頭にして、緑が濃くなって、色が濃くなって、それがどんどん近づいてきて。私は濡れちゃったんですけれども、同時に草のにおいとか、田んぼの土のにおいとか、急になき出したカエルの声とか、一斉に風景が反転するというか、くるっと変わっちゃう。そういう経験を何度かしたことがあって、そういうものが、すごく生きているなって思っています。

山脇 みずみずしさ、感受性って忘れがちになっちゃう。

あさの それは、触れてないからですよ! 触れたら、きっと、私が特に感受性が鋭いとか、そういうことではないと思います。でもそれは、もしかしたら、音楽にしたい方がいらっしゃるかもしれないですし、絵で、色で表現したいという方もいらっしゃるかもしれないんですけど、私はそれを文章にしたいと思っただけで、そう思わなくても、感じるものが絶対あるんだと思います。

岸田 文章かもしれないし、それがジーンズのデザインかもしれないし、映画になるかもしれないし。

自分は何者なのか 10代は哲学的

あさの 表現するって、そういうことだろうなって思うんです。よく「作家になりたい」って子がいるんですよ。高校生の時は多いですよね。「どうしたらいいですか」っていう質問が出るんですけども、書くっていうのは、ともかく周りを見る。風景だけじゃなくて、人もそう。誰かと待ち合わせをして、例えば、相手が遅れてきた時に「何だ、5分間損したな」っていうんじゃなくて、その5分間で目の前を通り過ぎる人を見る。なんでこんなに必死に走っているんだとか、妙にちぐはぐなファッションだなとか、あんなに背が曲がったおばあさん、若い頃どうだったんだろうかとか。いろんな人を見ながら思うことを、やってみたら?って指摘するんです。

山脇 今の10代、20代の人たちを見て、感じることはありますか?

あさの 自分が10代の頃と基本的なことは変わってないと思います。駆使するツールは違う。でも、人が変わっているわけではない。10代って、哲学的な年代だなって思うんですよ。自分は何者であるかとか、人はどう生きるかとか、幸せとは何か、愛とは何か、人間とは何かとか、死とは何か、なぜ人、自分を殺してはいけないのか、生々しく向き合う。目をそらすにしても、気づかないふりをしても、哲学的な問いかけが一番近くにある年代だなって思っていて。往々にして、大人は、それを「青臭い」とか「青春の残照だ」とか「今のうちは、そういうこと言うよね~」とか、そういう言葉で片付けちゃう。片付けられてしまうことに、向きあわざるを得ない。だから、すごく何かを表現したくて、どこかに突破口、出口を求める。

37歳でデビュー 焦る必要なかった

山脇 37歳でデビューされました。大変だったこと、逆に創作に生きていること、ありますか?

あさの 物書きにはなりたかったんですけれども、結婚して、子どもが3人の子育てをしていて、デビューの機会もなくて、今ほど新人賞などの賞もないし情報も入ってこないし、簡単に情報を入手できるようなツールもなかった。そういう中で、自分より若い人たちがデビューして、活躍している。置いていかれているとか、私はまだ1作も書けていないという焦りが、すごくあった。でも、焦りながら、なんで自分が物書きになりたいのかを忘れていたんですよね。ともかく早くデビューしたいとか、作品をちゃんと書いて発表できる場が欲しいとか、そういうことばかり考えていたのがデビュー前だった、という気がします。

山脇 生活の忙しさとかもありましたか?

あさの ありましたね。子どもたちがちっちゃくて、年子で男の子なんです。で、一番下が女の子で、37歳っていうと、その子が小学校に上がるか上がらないかでした。うちの旦那は歯医者さんだったんですよ。だから病院の手伝いも、事務もやっていたりして、自分に言い訳ができるわけですよ。私はこんなに忙しい。子育ても、母親としても。別に誰が待ってるわけでもないし、言い訳の材料がいっぱいあった。

でも、そのときに藤沢周平さんの「橋ものがたり」っていう短編集を読んで、すごく面白くて。藤沢さんの作品って、すごく平易な、私たちが日常に使っているような言葉を使って成り立ってる。平易な言葉で書かれていながら、人がリアルに立ち上がってくる。藤沢周平さんの対極にある辺見庸さんもすごく好きで。「もの食う人びと」とか。自分たちが現実で使う言葉とは別で、急進的で、研ぎ澄まされた文章なんですよ。尖っているから突き刺さる。2人の作品を読んで「理屈じゃない、書きたいんだ」ってわかった時に、原点に返れたのが、30代後半でした。例えば、スポーツ選手って限界があるじゃないですか。40歳になって、もう一度チャレンジっていうのが難しいものはありますよね。だけど、ものを書くっていうのは、90代でもデビューできる。そういう意味では、焦る必要なんてなかったんだなって、今にして思うんですよ。

「絶対的な誰か」に流されるシナリオ

山脇 朝日新聞DIALOGは、2030年の未来を考えるコミュニティーです。2030年の日本や世界はどうなっていると思いますか。

あさの 10年後、こんなふうになっていますとかは言えませんが、2020年っていうのは、大きな分岐点だと思っていて、個人が個としての思考をちゃんと持ち得るのかどうかで、ものすごく変わってくるような気がするんです。一番怖いのは、絶対的な誰かを求めること。戦前ではないですけれども、例えばヒトラーみたいな。人を鼓舞するような言葉で、しかも意味もないから余計あおりやすい、「答えはこれだ。みんなついて来い」っていう、すごくリーダーシップがあると言うか……そういう人たちがわーって行ってしまうのではないか。それが私の最悪なシナリオなんです。

 もう一つは、一人ひとりが思考の力を取り戻して、ゴタゴタしながらも、自分たちにとって幸せとは何かとか、自分にとってはこんな国がいいんだって、進まないながらも、少しずつ国を作り替えていく。一つ目の、流されるシナリオは嫌だなって思いますが、流された時に何が生まれていくのかを書きたい。ヒトラーのような人が出てきて、独裁体制が敷かれるみたいな簡単な話ではなくて、そういうプロセスを丁寧に追いながら、どこで人が国をたがえるのか、そこらへんを書いてみたいなって、すごくありますね。

山脇 読んでみたいです。

あさの そうですね。来年あたり……

岸田 本当に書くんですか!

あさの 本当に書くんです(笑)。連載なんですけれども。エンターテインメントとして、読んで面白いものを書いてみたい。

山脇 楽しみにしています。


心の杖となる言葉 もらった

岸田奈美さん

 あさのさんが生んだ作品「バッテリー」に、中学生の私は時間を忘れ、無我夢中で没頭しました。私もいつか、こんなに愛しく記憶に残り続けるキャラクターと物語を、世に残したい。心のどこかでそう思っていました。

 作家になった今年、あさのさんにお会いできたことに運命を感じました。これからずっと、孤独で楽しい創作の世界で生きていくために、心の杖となる言葉をたくさんもらいました。私がいつか、書けなくなったとき。あさのさんが言っていた「書くというのは、五感を使うこと。落ち着いて景色を見つめれば、明るさ、色、においなど、いろんなものが見えてくる」を、思い出していきます。

 緊張している私たちを、とびきりの笑顔と明るさで迎えてくださったあさのさんは、まるでお母さんのようでした。「バッテリー」で血の通ったキャラクターを生み出したお母さんは、迷いながら未来を進む、私たちの背中を押してくれるお母さんでもありました。

書きたい衝動 筆をとる覚悟

山脇耀平さん

 人の感情や社会の仕組みと同じように、世の中には一言で片付けられることなんてなくて、白黒はっきりしたことなんかなくて。すべては複雑にできていて、非合理に満ちていて、だからこそ物語が意味を成す。

 あさのさんの作家への姿勢からそんなことを学びました。

 自身から湧き上がる書きたいという衝動と上手く付き合い、覚悟を持って筆をとる。ときにそれは厳しく、著者としての自分の私生活を脅かすことも少なくない。それでも答えのない作品を生み出す「作家」という職業を心から楽しんでいる。ああ、だからこの方はプロフェッショナルなんだと衝撃を得たのです。

 約30年という積み重なったキャリアは、いまもみずみずしさを持って、あさのさん自身の個性を輝かせている印象でした。

 言葉を交わした短い鼎談の中で確かに突き動かされた僕は、きっと、これからもあさの作品の多くの読者と同じく、彼女が生み出す豊かな世界について語らずにはいられないのでしょう。


杉山麻子(DIALOG学生記者)

 私は大学でソフトボール部に所属していました。ソフトを始めた中学1年のときに「バッテリー」に出会い、主人公の巧のようなピッチャーになりたいと思っていました。ですが、当時身長が140㎝しかなく、すぐにその夢は絶たれました。それでもショート、主将として、巧とバッテリーを組む豪のように、どんな時も、他人を思いやる人になりたいと心がけていました。それもまた、難しかったのですが(笑)。何度も読み返しましたし、私の心に引っかかって抜けない作品です!

 鼎談は、岸田さんのラブコールから始まりました。「あさのさんの作品をきっかけに、作家を目指したと言っても過言ではない」と。あさのさんは少し驚いていましたが、インタビュアーの2人がどんな人なのかを最初から最後まで丁寧に見ているように私には見えました。人となりを見る。ものを書くときもそんなふうにしているのかなと思いました。あさのさんのスタイルを垣間見ることができたような気がします。

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