やり抜く力と柔軟さ 金融の世界で 社会貢献でゴールドマン・サックス証券社長・持田昌典さん×朝日新聞DIALOG:朝日新聞DIALOG
2020/07/08

やり抜く力と柔軟さ 金融の世界で 社会貢献で
ゴールドマン・サックス証券社長・持田昌典さん×朝日新聞DIALOG

By 藤崎花美(DIALOG学生記者)
写真:ゴールドマン・サックス社提供

 「明日へのLesson」は、次代を担う若者と第一線で活躍する大人が対話するシリーズ。今回は、ゴールドマン・サックス証券社長の持田昌典さん(65)に、外国人材を支援するITベンチャー企業である株式会社LincのCEOの仲思遥さん (29)、 ホームレス支援の認定NPO法人Homedoor理事長の川口加奈さん(29)がオンラインで話を聞きました。

 持田さんは、ゴールドマン・サックス日本法人のトップを約20年間務めており、本社経営委員会のメンバーとしてCEO以下、約30人のメンバーに唯一日本人として名を連ねています。そんな持田さんですが、大学まではラグビー漬けの毎日で勉強はせず、英語は全く話せなかったそうです。どんな逆境にも負けない「勝負魂」に迫りました。

ホームレスを救う 行動する少女は29歳になった

ラグビー漬け 就職後も前へ前へ

 私は証券会社で働いていた経験があり、金融業界は勝負の世界だと感じていました。その世界で生きる持田さんの仕事観や人生観についてお聞きしたいです。

持田 ゴールドマン・サックスは株式会社なので、株主のためが第一。そのためにお客様、社員、その他のステークホルダーの役に立つために働いています。株主のために会社の時価総額を上げないといけないし、お客様に貢献して満足を勝ち取らないといけない。これはどこのリーダー、社長でも同じです。

 ちょっと違うのは、僕は慶応の幼稚舎からエスカレーター式で大学まで進学していることです。両親は大学を出ていないのですが、思うところがあったみたいで、成り上がりスピリットから相当お金をかけて、僕を幼稚舎に入れてくれました。幼稚舎では、ぼーっとしているくせに生意気な子がたくさんいる。日本の本当に頑張っているリーダーのバックグラウンドとしては珍しいと思います。

 ですが、そこから苦労しました。高校1年で母を亡くし、その後は父の会社の経営が傾きました。のほほんと暮らしてきた環境をすべて失い、人生が変わりました。加えて、ずっとラグビーをしていたので勉強をやってこなかったんです。なので、足し算引き算くらいはできましたが、三角関数はわからないし、英語は全く話せませんでした。

 大学を卒業し、第一勧業銀行に入りました。入ったら周りは東大卒が多くて驚き、そこから勉強を始めました。社費でペンシルベニア大学ウォートン校に留学したのですが、はじめはみんなからバカにされました。ですが、一生懸命勉強して最初のセメスターで学年のトップ5%に入りました。そうしたらみんなびっくりしたんです。この時に、やったらできると自分に自信がつきました。そこで留学後は第一勧銀に戻るのではなく、ゴールドマン・サックスで勝負しようと決断しました。

 私も日本に留学生として来ました。外国だと慣れないことが多いと感じています。外国人として、どのように戦ってきたのですか。

持田 後には引けなかったということが大きいですね。第一勧銀から留学に行くために、年間6~7人しか通らない試験に合格しました。なので、帰ったらエリートなんです。ですが、それを蹴ってゴールドマン・サックスに入ったわけですから、相当な心構えはありました。どんなことをしても負けられないと。効率とか考えず、どこまで働けるかだと思っていました。

 アメリカ人から、たいていの日本人は覚えてもらえていないことがほとんどでした。でも、僕はペンシルベニア大学でもラグビーをやっていたので、比較的覚えてもらえたのは幸運でしたね。ゴールドマン・サックスに入ってからは、ずっと会社にいるし、恥ずかしがらずに仕事に関することはなんでも聞くし、嫌がられていたと思います。ですが、仕事のメモを作って、先輩に見てもらうと、赤ペンで英語を添削してくれて、紙が真っ赤になって返ってきました。そういう良い先輩たちがいて、今でも仲がいいです。

 ニューヨークで働いた時はいろいろありましたよ。でもそんなことにはめげませんでした。自分で取ったリスクですからね。日本人ってニューヨークに行くと、ニューヨーカーとして生活し続けたいと思う人が多いのですが、僕の焦点は定まっていました。自分の付加価値は、日本でゴールドマン・サックスに貢献することだと思って帰ってきました。その後、異例の速さで出世することができました。今も昔もずっと覚悟を持って気合が入っています。気持ちは衰えていません。

仲 思遥(なか・しよう) 1991年生まれ。中国・瀋陽出身。小学校と大学時代を日本で過ごす。慶応義塾大学法学部卒業後、野村証券を経て2016年に株式会社Linc(https://www.linc-info.com)を起業。

中国人と日本人のはざま だから架け橋になる

若い世代よ グリットを抱け

 経営者として意識していることや強いリーダーの条件について教えてください。私は強いリーダーと強い組織は違うと思っています。

持田 おっしゃる通り、強いリーダーが強い組織とイコールではないのは、そうだと思います。ですが、強いリーダーが強い組織をつくる可能性は高いと思います。いろいろ準備して、目標を定め、安易に目標を変えずに様々な角度から、ステップ・バイ・ステップで努力していました。ですが、漠然としていたんです。数年前に心理学者のアンジェラ・リー・ダックワースの話を聞きました。その時にすごく納得したんです。彼女は、アメフトの選手からビジネスパーソンまで様々な分野で成功している人の特徴を分析しました。その結果、安易に目標を変えず、軸がぶれないという特徴が浮かび上がったそうです。彼女はこの力をグリット(GRIT)、やり抜く力と名づけました。僕の周りにもこの人できそうだけど、なんかだめだよねと感じる人がいました。そういう人って、頭がいいので時代の流れや変化をとらえて、それを理由に自分の目標を変えちゃうんですよね。いろいろ言い訳をつけて他のことに向かっちゃうんです。それを彼女はだめだと語りました。僕は、昔からあまりぶれなくて、決めたらやるっていうことをやってきたので、功を奏しているのかもしれません。

 ベンチャー企業にはどのように向き合っていますか。

持田 日本は歴史的にベンチャー企業が育ちにくい環境でした。一つはベンチャー企業にお金がいかなかったということ。海外に比べてリスクマネーを貸すという市場がありませんでした。あとは、日本は大企業中心の国なので、ベンチャー企業で始めようとしたことも大企業がすぐにまねをして参入してきます。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンにお金を入れて再生に取り組んだこともありましたが、リーマン・ショック以降、投資を控えていました。2年くらい前からそろそろ大丈夫だろうと思って投資を始めました。小さいところに3億円とか5億円とか入れていったんです。ところが、なかなかベンチャー企業は育ちません。日本の若い子たちにはグリットが足りていないのかな。少し甘いところがあるのかもしれません。あとは、面白いビジネスだとやっぱり大企業が入ってきます。なかなか難しい挑戦ですが頑張ってほしいです。機会があればどんどん投資したいですね。ただね、日本のアントレプレナー(起業家)はマザーズあたりに上場して、自分のシェアで10億円とか500億円くらいできると途端に満足しちゃうんですよ。だんだん朝起きる時間が遅くなり、夜遊ぶ時間が長くなります。お金ができて余裕ができるとだらけてしまうんですね。

川口加奈(かわぐち・かな) 1991年、大阪府生まれ。大阪市立大学卒業。認定NPO法人Homedoor(ホームドア)理事長。14歳でホームレス問題に出合い、19歳でHomedoorを設立。「ホームレス状態を生み出さない日本の社会構造をつくる」を掲げて活動中。

教会で炊き出し ボランティアへ一歩

川口 私が普段接するホームレスの方は、所持金が数十円とか数円の世界です。お金や競争社会について、どのような考えをお持ちですか。

持田 僕はお金がないことの苦しみを経験したことがあります。社会に出て世の中をよく知らないなか、父の会社が倒産しました。もともと東京の松濤という高級住宅地に住んでいましたが、追い出されました。ですが、友達は広尾や青山に住んでいたので、見えを張って恵比寿のそばに住みました。そうしたら、家賃が高くて払えませんでした。高いところに住んだのがいけないのですが、キャッシングとかして結構ギリギリの生活を送っていました。ラグビーで死ぬほど走らされるより、お金がないほうが苦しいと身をもって経験しています。

 ホームレスの人に接したこともあります。2000年くらいにボランティア活動で、六本木の教会で炊き出しのおにぎりを作ったり、新宿の公園におにぎりを配りに行ったりしました。その時に感じたのは、ボランティア活動をすると自分の気分がよくなるということです。ですが、当時は自分のことを考えるのに精いっぱいで、親身になって考える余裕はありませんでした。最近は、一歩踏み出して何が起きているのかを勉強して、家庭環境が厳しい子どもたちのために時間やお金を使うようになりました。

川口 新型コロナウイルスの影響で困窮状態の人が増加しています。今後の日本経済や金融市場について、どのようにお考えですか。

持田 テクノロジーが進んでいるから全部在宅勤務になるとか、やっぱり対面での人とのつながりは大切だからあまり変わらないなど、いろいろなことが言われています。僕自身も、この3、4カ月は大騒ぎでわかりませんでした。今、若干落ち着いてきて考えているのは、オンラインもオフラインも残るハイブリッド型になるだろうということです。それが50:50なのか、60:40なのかはわかりませんが、90:10とか10:90ではないと思っています。そのためには柔軟な対応が必要なので、世の中に合わせにいくことを考えています。リーダーとして次を予言する必要はないと思っていて、お客様や世の中に柔軟に対応する組織を作ろうと思っています。いち早く世の中にフィットしたら勝てると思います。

働き方変容 どんな人にも門戸

川口 柔軟に対応することの大切さを感じました。誰でも働きやすい形が最適化された状態になるといいなと思います。

持田 テレワークが導入されたことによって、サービス残業や上司がいるから残っているとかいう日本人特有の文化はなくなると思います。コロナの影響ってすごいことですよね。

 コロナの影響で新卒採用制度も変わってきています。

持田 どのように変わるかという点についてはいろいろな人が言っていますが、変わることは確かだと思います。今後、テクノロジーと人間がどのようにミックスされていくか、それによってどのような人材が求められるのか、難しいです。企業にとってどういう人を採用するのか、どういう人を育てるのかは勝負です。会社ではいつも白熱した議論になります。簡単に正解が見つけられない問題ですからね。僕が日本に帰ってきた当時、ゴールドマン・サックスは日本では無名の会社でした。その時に僕は東大出身の人を徹底的に採用しました。「東大マニア」ともいわれましたね。今はそんなに学歴にこだわっていません。時代によっていろいろな採用方法があります。現在も絶えず議論している内容です。

 人口減少に歯止めがかからない中で、経済成長を維持するために外国人材の採用は進むと思います。ゴールドマン・サックスも外国人が多く働いているイメージですが、将来の外国人材に求めていることはありますか。

持田 外国人材だけでなく、性別や出身地などは、全く関係ないと思います。より優秀な人材に働いてもらいたいという願いだけです。ある人にこういうことを言われて、僕はダイバーシティーについてクリアになったことがあります。逆説的なんだけど、「ある国のある都市で生まれた人は絶対に優秀ではないし、仕事の効率性も高くないことが決まっている」ということだったら、僕の会社もどこの企業もその国・都市の出身者を採用しませんよね。絶対だめだってわかっているのですから。ですが、そんな国も場所も人種もありません。ない以上、様々な出身の人がゴールドマン・サックスで働きたいと思ってもらえるような会社にならないと競争力は落ちます。いろんなバックグラウンドを持った人を色眼鏡で見る必要はありません。どんな人にも門戸を開くのは当然だと思っています。外国人もそうですね。例えば、ゴールドマン・サックスはある国の人に冷たいという評判が立っただけでも、ディスアドバンテージになります。いろんな方に魅力を感じてもらえる会社にならないとだめですね。

ゴールドマン・サックスでは、困難を抱えた子どもへの無償の学習支援を行っているNPO法人「Learning for All」をサポート。写真は、その施設を訪れた際の様子。

社会の役に立つ 気づいた大切さ

川口 今後のキャリアについてはどのようにお考えですか。

持田 僕、もう65歳なんですよね。普通だと定年です。ありがたいことに、このまましばらくやってほしいという声もありますし、自分としては他の人に任せたほうがいいという気持ちもあります。なかなか複雑な感じなんです。今日も、僕よりずっと若い本社のナンバー2とそんな話をしました。昔は後継者づくりをああしろ、こうしろと言われたけど、最近はもう言われないね。お前ずっと行けみたいな感じで。後継者づくりはしなきゃいけないんだけど、まぁ微妙ですな。今の質問が一番答えにくいというか、僕も答えがわかっていない。

 あとは、自分で京都の八瀬というところに4000坪くらいの土地を買って庭園をつくっています。入園料を元に恵まれない子供たちに寄付しようと思っています。来年4月オープン予定で進めていたのですが、コロナの影響で収益が見込めないので一時停止しています。

川口 すごい構想が出てきて驚いています。再開が決まったら、ぜひうちで支援している「おっちゃん」たちも働かせてください。

持田 そういう話もしていました。庭園にはメンテナンスが必要なので、児童養護施設出身で働く先に困っている人たちに仕事を提供したいなと思っていました。6、7年前に京都のタクシーの運転手さんと意気投合してやろうとなったんです。

川口 ホームレスの支援活動では、多くの企業から支援していただいている半面、自己責任なんだからほっとけよ、みたいな冷たい言葉も浴びています。多くの方に自己責任だけではないところも理解してもらいながら活動していきたいと思っています。

持田 僕の生い立ちは結構恵まれていましたが、途中から急に大変になりました。落差がすごかったんです。裕福な暮らしも貧しい暮らしも経験したからこそ、いろいろなことを感じることができます。お金がないことがどれだけ苦しいことかわかります。慶応のラグビーの練習だって死ぬほど肉体的につらいのです。それでも過酷なトレーニングをするより、経済的に苦しいほうがつらいのです。

 ゴールドマン・サックスの中にも少数派ですが僕をかわいがってくれる先輩がいました。彼らはすごいお金持ちなんです。家もたくさん持っていました。それでも一生懸命働いているんです。疑問に思って、なんで働いているのか尋ねてみました。そうしたら、全部寄付するためだと。若い頃にこういうことを聞いたので驚きましたね。この人は何を言っているのだろう、と全くわからなかった。ところが自分もお金を稼ぐようになってから寄付をするようになって、社会の役に立つという、自分の存在意義が生み出されることに気がつきました。

 2030年の社会はどうなっていると思いますか。

持田 わからないですね。自分が何をしているかもわからないんですから。考えたこともありません。ただ、いろいろな人たちに平等に機会が与えられて、その人の努力や実力によってそれなりの幸せ、リターンが得られる社会になっていればいいなと思います。フェアな社会になってほしいです。加えて、楽しいことが多いともっといいなと思いますね。

豪快・愚直 強いメンタル
仲思遥さん

 私自身、もともと証券会社でバンカーをやっていたので、持田さんやゴールドマン・サックス社に関しては存じ上げておりましたが、良い意味で持田さんは私の想像通り、個性あふれる豪快な方でした。

 特に印象に残っていることは持田さんのリーダーシップ論です。「目標を立てたら、愚直にやり抜く」。簡単に聞こえますが、とても大変なことです。持田さんは周りの誘惑や目先の変化に動じず、変に目移りしないぶれない軸と強いメンタルを持っており、私が理想とする「ビジョンを貫き通す」経営者の姿と重なっておりました。

 また、持田さん自身、いち外国人として様々な困難を乗り越えながら単身アメリカに留学し、就職してきました。その経験は、留学生として来日した自分と重なる部分が多く、そんな持田さんの「国籍、文化、肌の色に関係なく、優秀な人材には機会を与える」という価値観は、今後の時代に経営者が持つべきスタンスだと思いました。

情熱と、場を和ませる力
川口加奈さん

 今回、持田さんとお話をさせていただき、パッションと柔軟性から生み出されるリーダーとしての力強さを見ました。ゴールドマン・サックス社を長く牽引し、日本法人の基盤を築いてこられたその情熱と、取材中にウィットに富んだ一言で場を和ませる力。また、コロナによる影響への対応について質問すると、周辺状況や他社の動き方を見ながら判断する、柔軟性を大切にしたいとおっしゃられたのが印象的でした。日本を代表するリーダーである持田さんが、自身の生い立ちから率先して教育格差の問題に取り組んでおられる姿にも感銘を受けました。

 私は大学在学中に起業したため、一般企業への就職経験がなく、リーダーシップのロールモデルも得られず、自身のあり方について悩むことも多くあります。そういう中で、今回、持田さんとお話をさせていただき、ロールモデルを間近で体感させていただきました。間違いなく、これからの人生に大きな影響を与えていただいた貴重な90分でした。

「勝負魂」圧倒された

 DIALOG学生記者の藤崎花美です。私は以前、持田さんの著書を読んだことがあり、「人間はどんなことでもやりすぎると飽きる。そこからが勝負」という言葉が印象に残っていました。私は比較的、反復作業は苦手ではありません。ただ、飽きてくると心を無にして行うことがほとんどでした。この持田さんの言葉を読んだとき、心を無にするのではなく、どんな一瞬も勝ちにこだわり常に上を目指せと言われているような感覚を覚えました。実際、持田さんのお話を今回聞いて、持田さんの全身からみなぎる「勝負魂」に圧倒されました。

 取材前、持田さんはゴールドマン・サックス日本法人代表を約20年間務めているレジェンドであり、どんな方なのだろうかととても緊張していました。取材が始まると、冗談も交えながらお話してくださり、いつの間にか緊張を忘れ、話に引き込まれていました。持田さんの覚悟とやり抜く力が、圧倒的なキャリアを生み出したのだとじかに感じることができました。私自身これから社会人になり、いろんな困難に直面すると思いますが、持田さんの「勝負魂」を思い出して自分を鼓舞し続けていきたいと思います。


持田昌典(もちだ・まさのり)

 1954年、東京都生まれ。77年慶応大学経済学部卒、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入社。85年米ペンシルベニア大学ウォートン校経営学修士課程修了、同年ゴールドマン・サックス社入社。2001年から現職。

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