批判のあふれる この世界で批判すること 解放すること〈前編〉:朝日新聞DIALOG
2020/08/08

批判のあふれる この世界で
批判すること 解放すること〈前編〉

By 魚住あかり、渋谷優花、古川遥(DIALOG学生記者)

 批判したり、批判されたり——世の中には、攻撃的な言葉があふれています。批判とは、本来どうあるべきなのか。フランスで哲学セミナーを主宰するマリオン・ジュネーブルさんと、東京大学教授の梶谷真司さんが、「批判すること 解放すること」をテーマにオンラインで対話。古代ギリシャにさかのぼるという「批判精神」について考えました。 アンスティチュ・フランセ日本と朝日新聞DIALOGの共催。司会を務めるのは、東京学芸大学大学院修士課程に在籍する古野香織さんです。

 自分の意見を疑う勇気を持つこと、そして、反対意見を述べるだけでなく代替案を示すこと。この二つを大切にすることで、社会を実際に変革する役割を担うことができる——マリオンさんは、冒頭の講演で、こう語りました。

■マリオンさん講演(骨子)→末尾に要旨
・クリティークに二つの意味 「自立的な思考」「誹謗(ひぼう)中傷」
・評論家精神ではなく批判精神で世界と向き合う
・自分の無知や誤りに向き合う覚悟を
・苦しみからの解放 社会を変革するために
・問いを立て、議論を組み立てる
・敬意を払い、考えをぶつけ合う 討議にルールを

マリオン・ジュネーブル氏 哲学セミナーを企画・開催するThaéの共同設立者。パリのパンテオン・ソルボンヌ大学で哲学修士号取得。現象学と環境倫理を研究する。2013年から、プロフェッショナルが直面する様々な問題を共に考えるためのワークショップなどを主宰。著書に「一月に一つの言葉」(未邦訳)。

自由で、より正しい社会へ

 梶谷さんは「フランスには批判精神が根付いているイメージがあります。しかし、良い批判と悪い批判があり、真に有意義な批判が、いつでもできるわけではないことがわかりました」と応じます。そして、解放という批判精神の目的について、こんな質問を投げかけました。

梶谷さん 何から解放されてどこに向かうのかが重要だと思いますが、フランスではどういう方向に解放することが課題なのでしょうか。

マリオンさん 解放の向かう先は、自由で、より正しく、理性的な社会です。権威当局が正しくないことを提案している、または自由を侵害していると思ったとき、それに異議を申し立てるのです。

梶谷さん (批判精神を発揮するための)議論のルールを挙げていただきましたが、互いに対等な立場に立って自由に議論する、というのは理想主義的ではないかと思います。例えば、アジアでは若い人が年長の人に対して自由に意見を言うのは難しいことがあります。また、議論は明白な事実に基づくべきだ、と言いますが、その事実にアクセスできる人も限られているのではないでしょうか。

マリオンさん 議論のルールは、 生き生きとした本心からの会話を制限してしまうかもしれない、ということは理解できます。一方、明確なルールなしに批判精神は発揮できません。フランス人は議論好きで、体系的な枠組みがなければ、簡単に世俗的な会話に陥ってしまうからです。日本では、なかなか意思表示をしないというふうに聞きました。言葉が出てくるように、信頼関係を醸成しなければいけないと思います。

梶谷真司氏  東京大学教授。専門は哲学・医療史・比較文化。著書に「シュミッツ現象学の根本問題」「考えるとはどういうことか」など。近年は哲学対話を通して学校や企業、農村で「共に考える場」を作る活動を行っている。

間違えながら 真理に向かう

 司会を務める古野さんも、日本の若者を取り巻く状況を紹介しながら、議論に参加します。

古野さん 日本では「批判」というとネガティブなイメージがあります。評論家精神と批判精神はどう違うのでしょうか。また、日本では、自分の意見が間違っていないか、周囲からどう思われるかを気にしてしまい、発言を躊躇(ちゅうちょ)する若者も多いと感じます。若者が批判精神を持つまでのステップについてどうお考えですか。

マリオンさん 評論家精神は、文句や不平を言うことにとどまります。自分が正しくて相手は間違っていると考え、攻撃的で無責任な議論を生みます。反対に、批判精神の持ち主は意見の不一致を恐れず、しかも建設的でいられます。批判精神は問いを立て、論証し、しっかりとした意見を述べることです。そして、その三つは学ぶことができます。まずは、失敗を恐れないことです。「間違うことは人間的だ」という有名なラテン語の格言があります。間違えることは、全知でない人間の証(あかし)なのです。間違えながら、真理に向かっていくのです。

正解知るのが良い生徒 フランスでも

 批判精神を育む教育は、日本でもフランスでも、できているのでしょうか。梶谷さんがたずねます。

梶谷さん 日本の学校では、生徒は間違ったことを言うと怒られるようなところがあります。先生も「間違ってはいけない」というプレッシャーの中で仕事をしています。日本の教育現場では、何か正しいことがあって、それを伝えるのが先生の役割だと思われていて、それが先生自身を縛っています。先生は間違えられない。だから、生徒も間違えないように育てる。フランスの学校はどうですか。

マリオンさん 朗報かどうか分かりませんが、フランスでも同じような状況です。間違えてもいい、失敗してもいい、ということはありません。正しい問いではなく、正しい回答を知っているのが良い生徒とされています。日本と同じように失敗への寛容度はとても低く、批判精神が育つ環境とは言えません。

表現の自由 相手への敬意を伴う

 さらに、議論は「表現の自由」へと広がります。日本では、新型コロナウイルスの感染が広がる中、外出する人や営業を続ける店を攻撃する「コロナ自警団」「自粛警察」と呼ばれる動きが目立ったことが背景にあります。

コロナ自警団・自粛警察 新型コロナウイルスの拡大拡大を防止するためとして、政府が出した自粛要請に応じない店舗や市民を監視し、SNSなどで糾弾・攻撃する人たちのこと。子どもが外で遊んでいると通報したり、営業している店に誹謗中傷の貼り紙をしたりする行為が全国で起きた。

古野さん 自由に、批判的に発言するのは大事ですが、どこまでの発言や表現を許容していくべきなのでしょうか。

マリオンさん 批判精神を正しく理解すれば、批判は常に誠意のもとで行われるため、表現の自由と対立することはありません。表現の自由には、「相手を尊重して表現する」という義務が伴います。相手への敬意を示さず、倫理を考えないで表現すると、それは単なる中傷になってしまいます。批判は、相手が間違いに気づけるように手助けしますが、中傷は相手を傷つけることが目的です。批判する際には、それが善意なのか悪意なのかを問い続ける必要があると思います。

古野香織氏  東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程在籍。朝日新聞DIALOG、株式会社POTETO Mediaなどで教育関連事業に携わる。日本シティズンシップ教育フォーラム副代表。専門は主権者教育など。

「正義」は時に間違う 倫理が重要

 フランスでは2018年、イエローベスト運動という反政府デモが始まり、全土に広がりました。古野さんは、友人から「フランスでは、選挙で政治を変えられない無力感が社会運動につながっている」という話を聞いて、フランスの若者のほうが批判精神を行動に移すケースが多いのではないか、と感じたといいます。

イエローベスト運動 2018年、フランスで燃料税の引き上げ方針をきっかけに、全土に広まったデモ。車に常備することが義務付けられている黄色いベスト(ジレジョーヌ)がシンボル。生活に車を使わざるを得ない地方の住民や、中低所得者の不満が背景とされる。パリなどでは治安部隊との大規模な衝突が起き、逮捕者も多数出た。

古野さん 日本よりも、フランスの若者のほうが感度が高いように感じるのですが、批判精神が育まれた結果なのでしょうか。批判精神を行動に移すことの意味について、ご意見をお聞かせください。

マリオンさん フランス人は文句が多く、いつもストをしていることで有名なのは知っています。ただ、教育で批判精神が育まれたわけではありません。批判精神を発揮するには表現の自由が必要で、表現の自由は民主主義の根幹となる権利です。フランス人は民主主義のために歴史的にも戦ってきました。デモに参加するのは「私は反対です」と述べる勇気を持つことです。従って、デモや革命は批判精神の延長にあるとも言えるのです。

 続いて、梶谷さんが「正義」について問いかけます。「コロナ自警団」も、自分たちは「正義」のつもりなのではないか、との指摘です。

梶谷さん 自粛を求めるために誰かを傷つける発言をした本人は「自分は正義を体現している。正義に反している人間を罰することは良いことなのだ」と思っているのではないでしょうか。マリオンさんは「倫理は相手への敬意だ」とおっしゃっていました。正義は、批判精神において一番大事なものではない、ということでしょうか。

マリオンさん 正義の名のもと、倫理的ではない行動を起こす人もいます。批判精神にとっては、正義よりも倫理が重要です。正義の「番人」として働くのが、倫理なのです。

【後編】私たちにできること


マリオンさん講演(要旨)

 フランス語のクリティーク(critique)という単語には二つの意味があります。一つ目は自立的な思考、もう一つは誹謗(ひぼう)中傷です。

 フランスで行われる議論は多くの場合、評論家精神から行われています。評論家精神とは評価をおとしめる目的で異論を唱えたり、物や人の至らない点を指摘したりすることのみを行うことで、誹謗中傷の意味を持ちます。一方、批判精神は、世界と知的に交渉するやり方であり、分別のある理性や有効な議論に基づいた、自立的な思考のことなのです。

 では、その批判精神について見ていきましょう。

 私たちが批判精神を発揮するためには、まず自分を顧み、自分の意見を疑うことを学ぶことから始まります。何かを判断する際、必ずしも適切な情報にアクセスしているとは限りません。実生活であっても、SNS上であっても、社会的立場や、属する集団により、情報を中立的に判断できないことを知っておく必要があるのです。自分の無知や誤りと対峙(たいじ)する覚悟をもち、自分にとっての当たり前に疑問を持つ勇気が必要になります。

 また、ドイツの哲学者テオドール・アドルノは、批判精神は、私たちが漠然と感じている社会的な縛りからくると確信し、批判精神の目的とは解放だと考えました。解放されるためには、①私たちが社会に何を負っているのかを知り、➁なぜうまくいかないのかを指摘した上で、③代替案を提案すること、を心がけましょう。

 なぜなら、これは批判のための批判のようなむなしい目的で行われるわけではないからです。批判精神は、社会を実際に変革するという解放的な観点において、批判を行うのです。

 批判精神を養うには、討論を行う前に、問いの立て方と議論の組み立て方を学ぶ必要があります。

〈1〉問いを立てる…複雑で難しい状況を前にして、批判的な視点で現実を問い、ふさわしい言葉で質問の形にすることです。

〈2〉議論を組み立てる…一つの問題について、相反する考えをぶつけることです。そのために、自分の意見、反対意見、さらに三つ目の立場を設定します。

 また、ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバマスが考察した「討論の倫理」によると、相手に敬意を持ちつつ、倫理的な討論を行うための、グループの3原則と個人で実践する4原則は以下の通りです。

〈1〉グループのための3原則
・参加者全員が議論に同じようにアクセスできる
・関係者全員が自由に自分の立場を表明し、擁護できる
・参加者は、その場でもっとも優れた理性的議論の力を認めることで誠意を示す

〈2〉個人のための4原則
・理解しやすいことば
・真実であること
・誠実さ
・正当性

 批判精神を養うことで、自分自身の思考が、認識、信頼性ともに進歩し、より世界に対して開かれたものとなることを理解しつつ、今日の話を今後の討論に生かしていただければ幸いです。

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