廃ガラス/草花 永遠のはかなさ 心にしまって周防苑子さん:朝日新聞DIALOG

廃ガラス/草花 永遠のはかなさ 心にしまって
周防苑子さん

By 安田吏架子(DIALOG学生記者)
写真はいずれも周防さん提供

 繊細なガラスの中にたたずむ可憐(かれん)なドライフラワー。プロダクトデザイナーの周防苑子さん(32)は、廃材と草花を組み合わせたオリジナル商品「ハコミドリ」を滋賀県の琵琶湖畔で手掛けています。幼少期の経験や地方育ちならではの疑問から生まれたプロダクトに関する話や、コロナ禍で改めて感じた創作への思いなどを聞きました。

 朝日新聞DIALOGでは「2030年の未来を考える」をコンセプトに、社会課題の解決を目指す若きソーシャルイノベーターの活動を継続的に紹介しています。

植物を三角ガラス容器に挟み込んだ「植物標本」

いまの儚さを封じ込める 蜷川実花さん

実家は生花店 短命な花たちの末路

——現在の活動を教えてください。

 現在は廃ガラスと植物を組み合わせて作ったプロダクト「ハコミドリ」のデザイナーとして活動しています。この活動には6年ほど取り組んでいて、2020年11月末まではカフェ事業も兼ねていました。ですが、ありがたいことに、ハコミドリの制作依頼が増えてきて、12月からハコミドリのお仕事一本という状況になりました。プロダクトの制作や発表、撮影、取引先への発送、梱包(こんぽう)業務や打ち合わせなどをする日々を送っています。

——ハコミドリが生まれたきっかけは何でしたか。

 実家が滋賀県で生花店を営んでいて、お寺や生け花の先生のお宅が主なお取引先でした。新鮮なお花しか販売につながらない商売だったので、日がたった花は店頭でテイクフリーにしたり廃棄したりと、短命な花たちの末路を見てきました。一方で、親戚が経営するガラス工場では、定期的に2トンほどの容量のごみ箱に、解体した家屋などから出たガラスがバンバン捨てられていました。「花もガラスもまだ使えるんじゃないか」という疑問が自分の中で生じたんです。その後、アパレル業界への就職のために上京して、出会ったステンドグラスの作家さんたちの作品を見て、ハコミドリのアイデアを思いつきました。

アートへの思い リユースは免罪符

——ファッション業界はいまサステイナブルな洋服作りに注力しています。ハコミドリはそういう意味で時代の先駆け的なプロダクトだと思うのですが、環境問題への意識はあったのですか。

 お花やガラスが捨てられることはもったいないなと思っていたのですが、環境問題に特別に興味があったわけではありません。私にとってリユースは、アートを生業(なりわい)にするための免罪符みたいなものです。芸術は私の中でなくてはならないものですが、それは誰かのおなかを満たせるものではないので。もったいないから廃材などを使って作品を生み出して、それが誰かの生活を潤すならお金に替える、という自分の中のルールに沿って活動しています。

 どちらかと言うと、自分は手先が器用なほうだと思っていて、アートやデザインなどもの作りにもずっと興味があったので、自分に世の中を変えていける手段があるとしたらその分野かなとは感じていました。

 プロダクトに関しても「リユースをしているものだから、ハコミドリを買う」のではなく、「魅力的だから買ったところ、これって廃ガラスからできているんだ」と、あとから気づかれるほうがうれしいです。実際、手に取ってくれるお客様の中には廃ガラスからできていることを知らない人もいます。インスタグラムなどで見て、純粋に「いい感じ」と思って買ってくれているんです。それでいいと思っています。

——ハコミドリの存在意義はコロナ禍で変わりましたか。

 コロナ禍でおうち時間が増えたので、インテリアの需要が上がっていると体感しています。購買意欲がお客様の中で上がっているのだとしたら、プロダクトの精度をもっと上げていかないといけない、と背筋の伸びる感じがしています。ここで私が手を抜いたら、応援してくださっている人が私に失望するだけでなく、個人作家そのものに対しても失望してしまうので。今までも手を抜いたことはありませんが、今まで以上にミスが許されない感じがしています。

「植物標本」に込めた思い
 実家の生花店では花束を見る機会が多かったのですが、個人的には、ぎゅうぎゅう詰めの花束より1本の花の葉脈やトゲなどをゆっくり観察したいなと思っていました。滋賀にUターンしてから生け花を習うようになって、1本の花を引き立たせることを考える中で、ガラスに1本だけを入れることを思いつきました。植物の奥深さを楽しんでもらいたいと思っています。

地元愛 でも葛藤と違和感

——滋賀で生まれ育ち、京都で大学時代を過ごした後は就職で東京に行って、滋賀に戻るというUターン生活をされていますね。

 滋賀に関して言うと、県民性がおおらかで幸福度が高いということを、滋賀を出て感じました。一方で、滋賀には文化や刺激が足りないなと、4年半の東京生活で感じましたね。私は田舎育ちであることがコンプレックスだったんです。京都の芸術系大学に進学する、就職で東京に行くと話したとき、周りには「何でなん? 滋賀でいいやん」と言われました。そこにじんわり疑問を感じていて、それも今の活動につながっています。

——東京から帰ってハコミドリの活動を行おうと思ったのも、ご自身の滋賀に対する思いが強かったからですか。

 そうですね。私は家族や友人にすごく恵まれていたと思うのですが、ずっと葛藤や違和感があって、もろ手を挙げて「滋賀大好き」みたいなことは言えませんでした。それはやっぱり、刺激や文化が足りないことに対する諦めのようなものが地域に漂っている感じがしたからです。だからこそ、そこを逆手にとって、滋賀県だったら声高に何か新しいことを始めれば絶対に目立てるっていう自信がありました。

1枚の絵でハワイへ 新たな世界

——プロジェクトを始めるときの壁はありましたか。

 そんなになかったですね。おおらかな県民性で、東京みたいにお店は多くはないですし。「よそは、よそ」という空気感ですね。東京で培った仕事のスピードや、自分の武器である行動力を生かしてSNSを使って活動すれば目立つだろうという勝算がありました。実際、メディアに取り上げてもらう機会が増えて、目立つことに成功したんです。注目されると、自分と同じように地方で何かを始めた少数派の人たちが集まってきてくれて、仲間もすぐ見つかりました。地方の閉鎖的な感じをあまり意識せずにやってこられました。ただ、クラウドファンディングを始めたときは、クラウドファンディングの仕組みを知らない人が詐欺だと勘違いして、説教されたことはありました(笑)。

——行動力は元からあったのですか。

 後天的なものだと思っています。小さい頃はすごく静かな子どもでした。小学4年生の時、あるパンメーカーの絵画コンテストで入賞し、全国から集まった初対面の子たちと一緒にハワイに行ったんです。そこで友達を作ったり、現地の人とコミュニケーションを取ったりすることで、人見知りが治ったんです。家族や親戚、自分の通う小学校以外にも世界があると知った経験でした。

 その経験でアートの力を感じて、芸術系大学という進路を選択しました。通っていた高校は、医学部などに進む生徒が多い進学校で、自分は勉強が得意じゃないなと。アートやメディアで世の中に一石を投じたいと思ったんです。大学で学んだことや出会った人は、今の活動を続けるモチベーションになっています。

終わりなきこの思い 支え合って

——コロナ禍で多くのアーティストの仕事にも変化が起きています。ハコミドリにできることは何かありますか。

 活動を止めないこと、発信を止めないことだと思っています。とにかくやり続けることですね。まだまだアーティスト歴は浅くて、SNSのフォロワーも特に多いわけではありませんが、地方でやっている自分の姿を発信していくことで励まされる人がいればいいなと思います。

——アフターコロナ時代、挑戦したいこと、発表したい作品はありますか。

 これまでは実用的な作品を作りたいという思いがありました。飾るだけでなく、便利だと感じるものにしたいと。絵画などの領域には畏怖(いふ)を感じていたんですよね。心は癒やせるけど便利ではなく、値段も高め……。自分の中に、そういう理由を並べて絵画の領域に手を出していませんでした。でも、コロナ禍でお客様から「ハコミドリのリリースを楽しみにしているし、すごく癒やされている」との声が届くようになると、絵画などの分野を避けるのは違うんじゃないかなと思うようになってきました。お一人でも「周防さんのアート作品が欲しい」といってくださる方がいるのであれば、思い切って挑戦したいです。

——2030年はどんな社会になっていると思いますか。

 コロナ禍での経験を生かして、やさしい社会になっているといいなと思います。私の周囲には自営業者が多いのですが、個人事業主を支援する国の給付金を受け取れなかった人もいました。もどかしさや悔しさを、受け取れなかった本人だけでなく周りも痛感しています。仕事を畳まざるを得なくなった人たちの分まで、思いをくんで活動していきたいです。そして自分がもし活動できなくなった時に「あの時、周防さんに助けてもらった」と手を取り合っていける、そんなつながりを作家同士、個人事業主同士で築いていきたいです。

私たちも、生まれ変われる
安田吏架子(DIALOG学生記者)

 役目を終えた廃材や草花が新たに周防さんの手によって輝きを放つように、人もまた様々な場所、環境で輝けるのだろうと感じました。疑問や行動力を糧に次々と新たな環境に飛び込んでいく周防さんは勇猛果敢で、太陽のように明るい方でした。

 無限の可能性を秘めた私たちは、アフターコロナ時代もきっと強く生きていける、大変な時代を生き抜いたゆえに培われた寛大さで、誰かにもっとやさしくなれる。そんな希望が、周防さんとお話していると目に見えてくるようでした。


周防苑子(すおう・そのこ)

 1988年、滋賀の生花店に生まれ、幼い頃から植物に囲まれた日々を送る。京都精華大学を卒業後、東京で会社員として働き、2014年夏に帰郷。同年11月、ソロプロジェクトとして「ハコミドリ」設立。家屋解体時の廃ガラスと、生花市や山々で採取した草花を掛けあわせたプロダクトを制作中。2016年春、琵琶湖畔にアトリエ「VOID A PART」を構え、新たな展開も進めている。

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