街に人に…出会いにラブ♡セン! 震災の悲しみ、あったから三品万麻紗さん:朝日新聞DIALOG

街に人に…出会いにラブ♡セン! 震災の悲しみ、あったから
三品万麻紗さん

By 小原悠月(DIALOG学生記者)

 マアサ流を作りたい——

 監督、役者、映像制作、ナレーター……多岐にわたる活動に全身全霊を尽くすモチベーションの根源にあるのは、人と人とのつながりでした。宮城県出身の三品万麻紗さん(23)は東日本大震災を経験したことをきっかけに、高校時代から地域に密着した作品をつくり続け、現在は映像制作会社に所属しています。映像作家をはじめ、舞台演出家や役者としても活動してきた三品さんのバイタリティーあふれる思いを聞きました。

 インタビューに入る前に、まずは、この動画をどうぞ。時は、8年前にさかのぼります。三品さんが高校生のとき、監督として企画から演出、出演、音楽までを手掛け、「私、この職種で生きていく」と確信させたという作品です。

ラブ♡セン~ツール・ド・東北 高校生ver.~ 河北新報社とヤフーが東日本大震災の復興支援及び震災の記憶を未来に残すことを目的として2013年から開催している自転車イベント「ツール・ド・東北」。高校2年生だった三品さんが、第1回のPR動画として制作に携わりました。

地元愛を宣言 ポジティブ高校生

——「ツール・ド・東北」を制作するきっかけは。

 たまたま知り合った映像制作会社の方から「東北の高校生を使って何か映像をつくりたいんだけど、万麻紗ちゃん、監督やってくれない?」とお誘いがありました。私は祖母を津波で亡くしているのですが、一方で震災を通して知り合いが増えたり、「被災した地元を私たちが何とかしなきゃ」という地元愛が生まれたり、震災を経験したからこそ、いいこともありました。こういう高校生のポジティブな化学反応も発信するべきじゃないかと「地元愛を宣言する」という意味で「ラブ♡セン」という題名の動画を制作しました。夜遅くまでビデオ通話で出演者、セリフ、場所のすべてを高校生だけで決めていましたね。

——映像制作に興味を持ったきっかけは。

 学生時代、映画「花より男子」にはまりました。DVDボックスを買ったくらい(笑)。そのDVDボックスに入っていたメイキング映像に、たくさんのスタッフの姿が映っていたんです。ご飯を用意する人、カメラの脚を支える人、出演者が海に飛び込んだ後にタオルをかけてあげる人……それぞれの得意分野を持った人たちが、ひとつの作品をつくるために集まっていることに憧れ、自分も裏方に入りたいと思ったのがきっかけです。カンヌ映画祭でグランプリ受賞経験のある河瀨直美監督は、家族をテーマにした作品を撮る際、出演者を1カ月前から家族として住まわせたそうです。自分が演技しているのか、ここで家族として生きているだけなのか、その感覚を役者にマヒさせる。これが、フィクションなのに、フィクションじゃないものを映し出す河瀬流です。私もマアサ流じゃないけど「自分しかできないものをつくりたい」と思ったのがさらに強いモチベ―ションになりました。

広告映像どっぷり 役者はお休み

——現在の活動について教えてください。

 ピラミッドフィルムという広告の映像制作会社でディレクターとCMプランナ―をしています。舞台やPR動画は自分の力でできるようになってきたので、いままで触れてこなかった表現分野にどっぷりつかり、勉強中と称して舞台はお休みにしています。他にも、会社のCMの出演やナレーションの仕事もしています。今は神奈川県藤沢市の江ノ島の近くに住んでいます。地方創生に関心が強いので、課題とか魅力のたくさんある辻堂に関して何かできればいいなと思い、仕事以外の活動は模索しているところです。

——演じる側もしているんですね。

 中高生から映像制作に携わりたいと思っていました。しかし、大学時代にミュージカルサークルに関わる中で「役者の方が圧倒的に面白い」と思いました。役者で生きていきたいとも考えたのですが、当時自信がなかったので、自分が監督になって名を知れ渡らせてから自分を出演させた方が早い、と思うようになりました。クドカン(宮藤官九郎)さんは監督としても役者としても活躍していますが、ああいう人になれればいいなと目論んでいます。

——つくる側と演じる側のそれぞれの魅力とは。

 私は文化をつくる人間になりたいと思っています。完成品よりも、成長したり失敗したりという作る過程の方に関心が強い。監督という立場は、みんなが成長したり思い出を作ったりする場を提供できますからね。自分が監督として集めた人たちが化学反応を起こしているのを見るのは、楽しいし、うれしいなと感じますね。

 一方、演じる側の面白さはお客さんのリアクションです。一番楽しいことは、やはり自分が舞台の上でギャグをやったときに笑いがとれたときです(笑)。舞台の上でダンスや歌を歌っているときにお客さんと目が合ったとき、リアルタイムでコミュニケーションがとれることを実感しました。映像作品だとリアクションがどうしても受け取りにくいところがあります。人とつながることはやはり楽しいです。

やり遂げたい みんなと一緒に

——幅広い活動の原動力は。

 一人で何か活動するよりもみんなと一緒に活動することだと思います。人とのつながりにすごく関心があるので、立場に関係なく人と一緒に何かをやり遂げたい。それが飲食店でもお花屋さんでも学校の先生でもいいんですが、たまたま今までは映像や舞台の制作をしていただけで、自分の職業や肩書にこだわりはありません。私のインスタに映画「Yoshio&Nodoka」の予告編があるんですが、あれは舞台をたまたま見に来てくれた映画監督からお声かけいただいて出演しました。ご縁に恵まれて新しい分野にチャレンジできていることもあるので、モチベ―ションの根源にあるのが人とのつながりです。

——仕事をしていて、よかったこと、大変なことはありますか。

 自分の力では会うこともできないような人に会えることです。PR動画をつくったときは地元の方に「新聞で見たよ」と言われ、舞台をつくったときは「今度うちでも舞台やってください」と言われ、作品を通して知り合いが増えることはとてもうれしいです。

 一方で大変なこともたくさんあります。CMって正直、見たくないですよね? CMは嫌われ者だと思われていますが、本来は伝えたい何かを持っている人と、情報を受取る人たちの架け橋となるものです。どうやったら見ている人に心地よく情報を映像で伝えられるのか日々模索しています。

銭湯で公演 牛乳瓶カランカラン

——作品をつくる上で大切にしていることはありますか。

 舞台に関しては、あえて劇場ではない場所でやることです。実際に都内のお寺や銭湯で公演をしました。銭湯の常連さんなど地元の人の、その場所にある記憶や思い出を舞台に生かすことを考えています。

 今まで舞台とか劇場に足を運びづらかった人たちの敷居を下げたいという思いがありました。お寺で公演したときは、題材の元となった日蓮宗のお寺でやったのですが、お線香の香りが舞台にマッチしていました。銭湯で公演したときは、牛乳屋さんの女の子の話です。どうしても、牛乳を売っている銭湯でやりたいなと思って。女の子が牛乳瓶をカバンに詰めて走るときに、カランカランと鳴る音もすごいきれいだったんです。上演前後に銭湯に入れる無料入浴チケットをつけました。場所を選ぶきっかけは作品によってまちまちですが、場所の選び方は自分が本来の魅力を伝えたいと思った場所です。

拝啓 2018年12月、大学4年生で制作した藤沢市のPR動画「拝啓」が「藤沢市キュンとする♡動画コンテスト」で最優秀作品賞を受賞しました。藤沢市に住む青年が町を出るまでを映像と音楽とコピーで構成した1分ほどの物語です。

「いつか絶対、家族と帰ってきます」

——地元・藤沢市のPR動画「拝啓」を制作したきっかけと狙いを教えてください。

 地方で映像を作っている人に話を聞くという大学の卒業テーマを研究していて、所属していたインタビュー研究会で学んだ手法を生かして藤沢市の人にインタビューしたいと思ったのがきっかけです。

 藤沢市は若い人が出て行ってしまう現状があるということを聞いていました。しかしとても刺激がある街で、人同士の交流も柔軟です。出ていったとしてもいつか結婚したり、別の土地で挑戦した後に帰って来たりするんじゃないかと思って、動画の最後に「いつか絶対、家族と帰ってきます」というコピーをつけました。若い人たちが出ていく現状にどうにか寄り添えないかと考えて作ったのがあの映像です。

愛した場所が 自分の居場所

——地域に関わる作品を作り続ける背景は。

 根源にあるのは東日本大震災を経験したことです。震災の経験に加えて転勤族で宮城県内を6回も引っ越していたこともあり、「居場所や帰る場所」にすごい関心が強くなっています。みんな故郷を好きな気持ち、故郷愛があると思っているけれど、故郷が田舎であればあるほど過疎地域になって、街として機能していない地域も少なくない。そんな中、地方創生に対してできることはないかなと考えたときに、自分は政治でも農業でもなく、表現の分野であったということです。

 私にとって「ふるさと」は必ずしも一つに決めるところではないと思っています。よくどちらご出身?と聞かれるのですが、宮城県内を何度も引っ越していることもあり正直、答えづらい。私にとって自分が帰る場所だと思ったら帰る場所です。大学時代のミュージカルサークルも、今所属しているピラミッドフィルムも帰る場所。自分が少しでも愛した場所、感謝したい場所が自分の居場所、「ふるさと」になっていくと思います。

10年後、私は生きてる? だから今

——10年後、どのような自分を思い浮かべますか。

 正直、考えていません。むしろ自分が生きているとあまり思っていません(笑)。

 東日本大震災やその前の宮城県沖地震など、私は自然災害に巻き込まれることが多くて、そのたびに「いつ死ぬかわからない」と思いました。未来がどうなっているかというよりも、今日の私が何をしていたいかを大切にしたいです。

——10年後どんな社会になればいいですか。

 少しでも傷つく人が減ってほしいです。モノをつくるときに「ポジティブ思考になりましょう」というテーマが基盤にあります。私も元気がなくなってしまうときがあるのですが、そのときは音楽や映画、舞台、アニメなどから元気をもらっています。自分の制作した広告のおかげで、あるメッセージを受け取ることができたということが増えるといい。コロナ禍で自殺者が増えているそうです。そういった人たちにポジティブな情報を発信していって、みんながネガティブにならない社会に少しでもなればいいなと思います。

「ふるさと」 東京育ちの私でも
小原悠月(DIALOG学生記者)

 「ふるさと」という言葉を定義するとき、いろんな解釈があると思います。「生まれ育った場所」や「実家」「思い出の場所」……。

 しかし、私にとって生まれた育った場所も東京、実家も東京、今住んでいるところも、祖父母の家も、思い出として記憶にあることも東京ばかりです。帰る場所はいつも近くて、「帰省」という言葉に憧れを抱くほど、帰るという感覚がわかりませんでした。

 三品さんにとって「ふるさと」とは、“自分が少しでも愛した場所、感謝したい場所”。

 震災の経験、上京してきたこと、たくさんの作品の制作に携わってきたことなど、三品さんを形作る一つ一つの経験が、この言葉に結び付いていると感じました。いろんな土地に出向きいろんな人と出会ってきたからこそ、それぞれの居場所により感謝と愛情をもって“ふるさと”と呼べるのだと思います。

 私にとってふるさとは東京だけだと思っていました。しかし今回三品さんのお話を聞いて形を問わず、自分がふるさとと思えばふるさとになるものだと気付かされました。

 さまざまな機会を大事にして、一つ一つの居場所に常に感謝と愛情をもって、自分が「ふるさと」と言える居場所を増やしたいと思います。


三品万麻紗(みしな・まあさ)

 1997年、宮城県多賀城市出身。高校時代から本格的に地元・東北を舞台にした映像制作に取り組む。慶應義塾大学総合政策学部在学中に演劇、ミュージカル、音楽劇など舞台演出家・役者として活動し、卒業後は広告映像制作会社ピラミッドフィルムに入社。現在はディレクターとして活躍する傍ら、役者やナレーターとしても活動。映像制作を通して東北や現在の拠点・辻堂の地方創生に力を入れている。

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