ハーバード大から被災地へ アート×テック 日常に届ける丹原健翔さん:朝日新聞DIALOG

ハーバード大から被災地へ アート×テック 日常に届ける
丹原健翔さん

 「アート版Netflix」など個性的なアイデアで、芸術の魅力を発信し続けている丹原健翔さん(28)。日本のアート市場の課題や、今の活動に取り組むきっかけとなった東日本大震災の被災地での経験について、思いを聞きました。

絵画をストリーミング その日の気分で

——現在の活動を教えてください。

 アマトリウムという会社を立ち上げ、テクノロジーを活用してアートの新しい価値の創造に取り組んでいます。

 具体的には展覧会の企画や、多様性をテーマにしたアートスペースの運営、アートコレクターのアドバイザーといった仕事をしています。

 現在、特に力を入れているのは、VALLという絵画のストリーミングサービスの展開です。一言で言えば、Netflix、Spotifyのアート版。月額料金を払ってアプリで作品を選ぶと、モニターや額縁の中に絵が映って楽しめます。絵を提供してくださった若手アーティストには投影された時間に応じて報酬が支払われる仕組みです。

VALLの仕組みのイメージ

アート市場に10倍のお金を

——様々な事業に取り組んでいる中で、軸となる目標はありますか。

 僕のビジョンとしてあるのが、才能のある若手アーティストたちがつくり出す価値を最大化すること、そして彼らが食べていけるようになることです。これまでは、その実現のために、アート関係者がどう若手をすくい上げてくれるかっていう話をしていたと思うんですね。若手アーティストの作品をどうギャラリーで展示してもらうか、コレクターにいかに買ってもらうか——。でもアート市場そのものを大きくするという、ボトムアップの方法もあると思っています。要はアートに興味がない、興味があるけど分からない一般の方々を「アートをもっと楽しみたい」という気持ちにしないといけない。

 日本のアート市場って今、めっちゃ小さいんですよ。アメリカが世界のアート市場の4割、中国、イギリスが2割ずつを占めている中で日本は1%ほどなんです。でも日本のアート市場を拡大することは実現可能だと考えています。なぜならバブルのころは富裕層がアートを買う文化があったから。それがバブル崩壊やリーマンショックで小さくなって、1%だけになったんですね。

 だからこそ、逆に仕組みをいい感じに作れば日本のアート市場を世界の10%を占めるくらいに拡大することができるかもと。単純計算で今の10倍ですよね。もしアートシーンに10倍のお金が回ったら、アートの教育に使われるかもしれないし、若いアーティストが使えるリソースが増えるかもしれない。アートが金になるとわかれば、いろんな人が協力してくれるかもしれない。ビジネスが得意な人も入ってきて、いい循環が生まれます。

VALLに込めた思い
 一般の方がコレクターと同じように絵を買って、家に飾るのはハードルが高い。でも、こういうサービスがあれば、毎朝の気分や来客の予定とか、何らかの理由で気楽にアートを飾ることができる。VALLには1000点以上のアート作品があるので、自由に好きなものを見つけてほしい。「アーティスト名とか歴史とか詳しくないけど、私はこの絵が好き」とか「私は作品を選ぶときに色使いを特に気にしてるんだ」とか、そういう気づきがあってくれたらいいな、と思っています。

美術館ではなく 日常で楽しむ

——より多くの人にアートに興味を持ってもらうために、どのような取り組みを行っていますか。

 VALLは、病院の待合室や老人ホーム、企業の社員用ラウンジでも利用していただいています。

 アートって聞いて、イメージするのは美術館ですよね。アートは非日常で見るものだと思われているんですけど、本来は日常にあるものとして歴史上は価値がありました。パーティーにはパーティーに合う絵が、寝室には寝室に合う絵がある。絵画はそういうふうに空間を定義するために使われてきた歴史がある。そしてアーティストもそれを意識してつくっていた。だからモネなどの巨匠の絵も、家に飾ることで新たな良さや面白さを発見できるし、美術館で体験できないアートの力を感じることができます。

 僕自身も家に絵を飾っているのですが、毎日いろんな瞬間でいろんな絵の表情を見ているうちに、「こういう見方ができるんだ」と飾って3カ月後に初めて気づいたこともある。VALLを通して、美術館ではできないアートの力を体験してほしいです。

好きなバンドは言えるのに…

——サブスクリプションサービスなどを通して、人々がアートに興味を持ち、作品を買うようになるというのが目標なんですね。

 そのシナリオがどこまで実現できるかは、やってみながら確かめていこうと思っています。でも僕はみんなにアートの好き嫌いを映画や音楽と同じくらい気軽に言えるようになってほしい。例えば音楽。好きなバンドいます?

——あ、はい。

 じゃあ好きな画家います?

——それだと、ちょっとすぐに言えないですね。

 僕はそれだと思うんですよ。好きなバンドだと言えるのに、好きな画家を聞くと「素人なので、わかんないです」って言われることが多い。アートの話題になると知識がない人は話しちゃいけないような雰囲気がある。でも「アートわかんないけど、とにかく私はモネが好きなんだ。好きだからいいじゃん」っていう文化になってくれたら、すごくいいなと思っています。

 僕のアメリカの知り合いに、アメリカ中を旅行するのが趣味っていうおばあちゃんがいます。旅先で、その土地のご飯を楽しむとかあるじゃないですか。それと同じように、そのおばあちゃんはまず地元のギャラリーを探す。そして「食事はスーパーでいい。その代わりに私は現地のアーティストの作品を1枚ずつ買っていくんだ」と。そのおばあちゃんは全然プロのアーティストとかではなくて、ただアートが好きなだけなんです。でもそういうふうにアートの好きな人が増えていけば、発表の場も増えるし、どんどんやれることって増えていくと思います。

被災地で知った 計れない価値 

——現在の活動は、東日本大震災の被災地でのボランティアがきっかけということですが、どうして被災地に行くことになったんですか。

 高校生の時から心理学が好きで、心理学研究が充実したところに行こうと、世界のトップレベルと言われるハーバード大学に進学することに決めました。でも、入学する2011年の3月に東日本大震災があって。9月から大学に行き始めたんですけど、1年が終わるときに、震災があった中で、机上の空論みたいな理論や体系ばかりを勉強しているのは正しいのかな、と思うようになりました。

 結局、僕がなぜ心理学を発展させたいと思っていたかというと、いろんな人のために活用されるべきだと考えていたからなんです。そのころ震災に関する講演に参加して、「緊急の復興活動は一区切りついた。これからもっと大事にしないといけないのは心のケアだ」という話を聞きました。「心のケアは、見えない被害。これをどう扱うのかが今後の課題」だと。そんな話を聞いて、動かないわけにいかんと思って、休学して東北に行ったんです。そこで心のケアをする団体に入って、ボランティアをすることになりました。3、4カ月目でその団体の職員になって、気づいたら石巻を中心に2年間いました。

 心のケア活動と併行して、知り合いの映像祭を見に行くこともあって。その時に映像作品が一発で被災者を変える、その人たちのためになるところを見たんですね。「震災から2年経っても毎日睡眠薬を飲んでたけど、その映像を見ると心が落ち着いて、初めて薬なしで寝ることができた」とか、そういうことを聞いて、心理学で扱ってきた定量的な価値、計れる価値よりも、定性的な価値、計れない価値がすごく大事だなと思ったんです。

 アートを見たときの感動や、寄り添ってもらえたときの安心感は今の心理学では計れないんですよ。僕は計れないから、ないがしろにしていた。でもそういう価値の大切さを知って、大学に戻ってアート、美術史を学ぶことにしました。そして美術史を学びながらパフォーマンスアートを始め、今の活動に至るという流れですね。

 アートってポジティブな感動を与えることもあれば、寝込むくらい人を落ち込ませることもある。それだけ人を変える力を持っているのに、価値が数字で表せないから、ないがしろにされてしまう。自分がパフォーマンスアーティストとして、アメリカですごくお金のまわっているアートシーンを見てきたからこそ、日本では力のあるアーティストが力を発揮できる場がないことに、やるせなさを感じました。

才能あるアーティスト 羽ばたいて

——日本のアーティストが力を発揮できる場がないとは具体的にどういうことですか。

 例えば大学を卒業して制作を始めても、制作する場所・アトリエがない。つくったとしても発表する場がない。ギャラリーは世の中にたくさんあっても、若手を扱うギャラリーは少ない。

 30才に近づいて家族を持つことや、実家から独立することを意識したとき、アーティストとして食べていけないから、活動を断念したり、就職したり、自分の中で制作を小さいものにしてしまう人が多い。でも、その人が制作することに最大の才能があるんだったら、その人にはただただ制作してほしい。不自由なくアーティストが生活できて、多くの人に彼らの作品が届く世界を思い描いています。

おうちタイム増え アート買う人も

——コロナ禍によってアート市場に変化はありましたか。

 確実にアートシーンは打撃を食らっています。

 アメリカとかイギリスだとギャラリーの3~4割がつぶれるっていう話があったりとか。でもリーマンショックやバブルと違ってコロナ禍で経済は悪くなっているわけではない。勝つ人がもっと勝って、負ける人がもっと負けている。飲食店は今すごくつらいと思うけど、Netflixとかはめっちゃ伸びている。リモートやデジタルの分野も。つまりお金を持つ人が増えたんですよ。それによってアートを買う人が増えているので、市場としてはそんなに下がっていない。でも世に格差が生まれた。お金になるアーティストたちと、これからっていう若手アーティストの差が大きくなっていて、僕は課題だと思っています。

 そして僕の会社や事業でもすごく打撃はあります。アートスペースではなかなかイベントが企画できなくなりました。VALLというサービスも、そもそも人がオフィスに行かないから使われなくなってしまったり、なかなか営業しにくくなったりと課題は多いです。一方でおうちタイムが増えて、いろいろな人がアートを買うようになっています。

アートの力 再び東北に

——今後の目標を教えてください。

 震災の話に戻してしまうんですけど、僕の中でもう一度、東北の方で何かしたいという思いがありますね。ある意味、東北で気づいた心理学の課題に対応するように、アート業界に僕は入ってきた。アートの力というものを前よりは扱えるようになった今だからこそ、改めて東北に戻って向き合いたいって思っています。

 しばらく東北に行ってませんが、やっぱりまだ心のケアの必要性はありますし、それは当分変わらない。例えば、阪神淡路大震災の心のケアだって今も小さく行われているんです。そういうのってきっと、残念ながらなくならないので、向き合わないとなと思っています。震災から10年目っていうことで、ずっとやらなければと思っていたものを、そろそろ具体的に行動に移したいと考えています。

言葉に詰まった私 これからは
魚住あかり(DIALOG学生記者)

 「アートの話題になると知識がない人は話しちゃいけないような雰囲気がある」とは、まさにその通り。丹原さんに好きな画家を聞かれて言葉に詰まった私にぴたりと当てはまりました。

 美術館は好きでよく行くのですが、ただただ高尚なものとして作品を眺めるだけだったのかもしれません。お話にでてきた素敵なおばあちゃんのように、これからはもっと自由にアートを楽しみたいなと思います。


丹原健翔(たんばら・けんしょう)

 オーストラリアのタスマニア州で育ち、中学生のとき日本に帰国。灘高校を卒業後、心理学を学ぶために米国ハーバード大学に進学する。2012年に大学を休学し、宮城県石巻市を中心とした被災地で心のケアを行うボランティア団体に参加。復学後は美術史を学びながら、パフォーマンスアーティストとして活動する。帰国後はアマトリウムやVALLを設立し、若手アーティストの支援やアートスペースの運営を行う。

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