人類が持つ冒険の遺伝子 困難な時代を切りひらく冒険家・プロスキーヤー 三浦雄一郎さん:朝日新聞DIALOG
2021/04/13

人類が持つ冒険の遺伝子 困難な時代を切りひらく
冒険家・プロスキーヤー 三浦雄一郎さん

By 徳田美妃(DIALOG学生部)
(左)オンライン取材に応じる三浦雄一郎さん=ミウラ・ドルフィンズ提供(右)高度順化のため、ベースキャンプ近くを登る三浦さん=2019年1月、アルゼンチン・アコンカグア、金子元希撮影

 「明日へのLesson」は、次代を担う若者と第一線で活躍する大人が対話するシリーズ。今回のゲストは冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(88)。ケガや病気を乗り越えてきた不屈の挑戦者は、自宅でリハビリに励みながら、東京オリンピックの聖火ランナーを務めることを目標にしています。

 インタビュアーは、慶応義塾大学で医療政策や予防医療の研究に取り組む精神科医の木下翔太郎さん(31)と、映画監督で映像制作会社のディレクターを務める亀山睦実さん(31)です。

 現代は不確実で予測困難なVUCA(ブーカ)の時代と呼ばれ、未来を不安に思う若者も多いのではないでしょうか。いつの時代も変わらず大切にされること、するべきことは何か。数々の困難に打ち勝ってきたからこそ語れる、若い世代へのメッセージは——。

88歳 めざすは欧州最高峰

木下 2020年6月に特発性頸髄硬膜外血腫を発症しリハビリ生活をされているとうかがいました。コロナ禍ではどのような生活でしたか。

三浦 この病気は回復まで時間がかかるそうです。発症から1年近くたち、杖なしでも一人で20メートル歩けるようになりました。外出時もウォーキング用のストックを活用して階段をゆっくり上り下りできます。リハビリも徐々に頑張っていきたいです。

亀山 86歳で南米大陸最高峰であるアコンカグアに挑戦した直後、「90歳でエベレストに行く」と話していました。現在88歳。今の目標を教えてください。

三浦 90歳のエベレストは無理で、キリマンジャロへの挑戦を目標にしていました。しかし、今このような状況ですから目標をぐんと下げました。もし、今年東京オリンピックがあれば、富士山五合目での聖火リレーでランナーを務める予定で、挑戦したいです。また、ランナーに挑戦する傍ら山登りも開始して、目標にする欧州最高峰エルブルースにもチャレンジしたい。

亀山睦実(かめやま・むつみ) 1989年生まれ、東京都葛飾区出身。2012年に日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業後、2016年に映像制作会社のノアドに入社。映画の監督・脚本や、WEB、CM、TV、MV、2.5次元舞台のマッピング映像など、いろいろな映像作品の企画・演出を担当。映画『マイライフ、ママライフ』は2020年11月、第14回田辺・弁慶映画祭で観客賞を受賞。主な映画・ドラマ作品は『ゆきおんなの夏』『追いかけてキス』『12ヶ月のカイ』など。

挑む 風当たりが強いほど

木下 今までいろいろなことにチャレンジされてきました。人と違うことや誰もしたことのないことをするなかで、風当たりとなるものはありましたか。

三浦 パラシュートを使用した富士山での直滑降は、いろんな人から「日本の聖地でそんなふざけたことをするのか」とか「そんなことできるわけがない」などと非難されました。エベレストへの挑戦の際にはもっと強い風当たりがありました。しかし、批判や悪口は成功への強い思いへの刺激になりました。「自分で立てた計画や実現したい夢を諦めない」「失敗すれば批判通りになってしまうから、どうしても成功したい」という思いが強まり、もっと頑張りたいという気持ちにつながりました。

木下 長くチャレンジするなかで、うまくいかなかった時期はありましたか。

三浦 いくつも、いくつもありました。プロスキーヤーになってからアドベンチャーを伴ったイベントを計画しましたが、周りから批判があったり、資金集めに苦労したり。スポンサー集めでは、行っては断られる、の繰り返しでした。

木下翔太郎(きのした・しょうたろう) 1989年、神奈川県生まれ。千葉大学医学部卒業後に内閣府に入り、高齢社会対策・子育て支援などの政策を立案。現在は慶応義塾大学医学部精神・神経科学教室に所属し、精神科医・産業医として勤務する傍ら、医療政策や予防医療などを研究する。著書に『国富215兆円クライシス 金融老年学の基本から学ぶ、認知症からあなたと家族の財産を守る方法』(星海社新書)ほか。

失敗には原因 それを考える

亀山 新しいことに挑戦するときは失敗がつきものです。失敗したときのメンタルのリカバリー方法について三浦さん流の秘訣(ひけつ)を教えてください。

三浦 失敗は成功へのスプリングボード、バネです。全部うまくいくわけはありません。失敗はいくつもありました。失敗には原因があるので、原因を考えることが解決へつながります。失敗にとらわれていても進まないので、失敗を糧に乗り越えていくことを考えてみてはいかがでしょうか。致命的な要素でない限り、失敗はいくつあっても、越えていけば夢に近づけます。

亀山 いろんな挑戦を成し遂げた後、燃え尽き症候群になったと聞きました。

三浦 50代で7大陸の最高峰をスキーで滑って目標を全部達成した感じになりました。のんびりしようとぶらぶらしているうちに、どんどん太ってくる。いろんな病気、メタボにもなっているときに、(ヨーロッパアルプスを滑った)父や、オリンピックに出た息子の姿を見て、「これで俺はいいのか?」と、目標を立てて挑戦しようという気持ちになりました。

ミウラ・ドルフィンズ提供

たまたまロープ 命拾い

亀山 冒険は一般的にリスクが多いとか、未知、怖いものというイメージを持たれ、避けがちになってしまうと思います。未知のものへのマイナスな先入観をなくすために試されたことを教えてください。

三浦 冒険は今まで誰も経験したことがない、記録がない、新しいストーリーをつくるものです。未知の要素を、自分で越えられるもの、越えられないものに振り分けます。その中で、すり抜けられる要素もあります。そこに向かって集中して、通り抜けていくことが重要だと思います。

亀山 冒険をしているときに自分の判断力がさえて、いい結果につながったことはありますか。

三浦 例えば南極に行ったとき、頂上直下で一休み。出発する前に、ふと「登山用のロープをつないで登ったほうが安全だし、カメラにも映える」と思い、僕はロープを結んで一歩踏み出した。その途端、すとーんとクレバスを踏み抜いて10メートルくらい落ちた。さっき結んだロープが支えてくれて、それで命拾いした。ロープをロックしなかったら、死んでいた。クレバスに落ちるという失敗をしましたけど、最悪にならずに済んだ。その後、雪崩に巻き込まれたときも、もう助からないと思ったが、気がついたら雪崩の上で浮かんでいました。そのときは自分の力じゃなくて神様、仏様が「まだ、あんた人間やりなさい」と拾い上げてくれたのかなと。それに近いことが何回もありました。運のいい巡り合わせもあるんだなと思いました。

木下 大きな挑戦は信頼できるチーム、仲間を集めることが大事だと思いますが、人選びで見極めるときに大切にされていることはありますか。

三浦 人柄といいますか、「こいつとなら友だちになれる」という感覚を大切にしています。人柄がいいと思う人は、いくつもそのような経験をしていますから、それが裏付けとなって力を発揮してくれます。いいチームができたと、いつも思っています。

亀山 仲が良くても、この部分では意見が合わない、となるときはどうしますか。

三浦 山登りの場合は頂上を目指す。私の場合はスキー滑降など「目的達成まで応援したい」という人が集まっています。ただ、意見や判断の違いはあります。そのときは、議論しながらお互いに納得できるところにもっていければいいなと思って進めています。

次男の豪太さんと=ミウラ・ドルフィンズ提供

周りと話す 一人じゃ迷う

木下 いろんな仲間とチャレンジしてきたなかで、自分の子どもや孫世代も含まれていると思います。世代の違いなどを感じることはありますか。

三浦 年齢の差は全然考えてないですね。やはり「年をとった」と感じることもありますが、気分的には30代。そのつもりで頑張り続けています。若い連中から力をもらうことが多かったと思います。

亀山 人生100年時代と言われています。その言葉をどう受け止めますか。

三浦 100歳まで、あと12年しかない、私自身、長生きしたいと思って生きているわけではありません。自分のやりたいことがあるから生きています。どこまで生きられるかわかりませんが、今の時代なら100歳を超えても同じような気持ちで生きることができる、挑戦できると思っています。

亀山 やみくもに目標を見つけようとして、迷走することもあります。きちんとした目標を見つけるために、必要な要素とはなんでしょうか。

三浦 いろんな人と話すことですかね。一人じゃ迷い込んでしまうので、友だちなり、先生なり、あるいは先輩なり、そういう人たちとただしゃべっているだけでもいい。無駄話をするうちにハッとやりたいことが見つかることがあります。さらに、いろんな人のやっていることをよく観察して、あいつはこういうことをやっている、ということが刺激にもなります。

ミウラ・ドルフィンズ提供

あの山を越えれば——未知への好奇心

木下 体力と健康は大事です。三浦さんなりの健康法、ルーティンはありますか。

三浦 歩くことですね。ただ、歩くことだけではなくて足に重りをつけて、ザックを背負って歩いていました。最初は片足1キロずつ、だんだん重さを上げて8~10キロまで挑戦したり、背中に30キロ背負ったりしていました。そこから世界につながりました。そうやっている間に、いろんな病気、メタボなどがいつのまにか消えていました。

亀山 体を動かす以外に食事など気を付けることはありますか。

三浦 嫌いな食べ物がありません。特に肉が大好きです。ステーキを1キロ食べる自慢もしていたくらい。このごろは食べ過ぎて体重が増えて困っていますが、好きなものをいっぱい食べることは大切です。まず食べる、それに見合う運動をするということですね。

木下 三浦さんは、どんなときに幸福を感じますか。

三浦 意外と平凡なことですね。おいしいものを食べているとき、楽しい友だちとバカ話をしているとき、家族と団らんするとき。今日も、これから中華料理を食べに行こうとか。とっても平凡な中に、楽しいことがいくつもあると思います。

木下 山に登る、冒険をするのは、何が原動力ですか。

三浦 人類がずっと持っていた遺伝子ではないかと考えています。あの山を越えていこう、あの森の向こうは何だろうとか。未知の世界に対する好奇心。越えていくこと、行動することは人類が持ち続けているものだと思います。

いま若かったら…AIフル活用

木下 未曾有の危機の中で、子や孫の世代に何を残していきたいですか。

三浦 僕自身が次の時代へ新たなチャレンジをして、扉を開いてきた。子どもたち、次の世代に対しても、常にチャレンジ精神をもって、その時代のいろんな問題、テーマにぶつかって、新たな扉を開いていってもらいたい。

木下 新しいことにチャレンジしようとする若い世代にメッセージを。

三浦 いつの時代も、時代、時代のテーマがあります。これにチャレンジすることが今を生きている我々の、特に若い世代の最高の生きがいじゃないか、と思っています。

亀山 今はいろんなテクノロジーがあります。三浦さんが、このタイミングで20代、30代だったら、どういうことに挑戦したいですか。

三浦 AIの時代。これをフルに活用して、病気、民族の紛争、貧困……そんな人類の抱えているいろいろな問題の解決にチャレンジできるんじゃないかな、と思います。

わは思う 挑戦しねばまいね
徳田美妃(DIALOG学生部)

 「わは思う 挑戦しねばまいね」

 突然の方言、失礼しました。三浦さんは私の母校である青森県立弘前高等学校の大先輩。ふるさとを思い出して、津軽弁が出てしまいました。

 文系選択、音楽専攻の私は宇宙物理学に興味を持ち、数Ⅲと物理を学ぶかどうか、春休みに入って1カ月間、悩んでいました。友人に相談した結果、今から始めても遅くないことに気づき、学び始めました。

 三浦さんは、悩んだときには周りの人と雑談してわかることも多くある、と指摘していました。他者と話すことで学ぶことは私自身、実体験を通して納得する部分が多くありました。

 インタビュアーのお二人だけでなく、そのご家族にも温かい言葉を投げかけていた三浦さん。その人柄に触れて、私の中のふるさとが声をあげました。冒頭の「わは思う 挑戦しねばまいね」は津軽弁で「私は思う 挑戦しなければならない」という意味です。

 三浦さんは「冒険は、人類のずっと持っていた遺伝子」と話しましたが、冒険は人類の限界へのさらなる挑戦だと感じました。88歳の三浦さんがさらなる挑戦をしているのに、20歳の私が負けてはいられません。仲間を大切にして相談しながら、日々挑戦をしていきたいと思います。


三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)

 冒険家・プロスキーヤー。1932年、青森市生まれ。1964年、イタリア・キロメーターランセ(現在のスピードスキー)に日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年、富士山直滑降。1970年、エベレスト・サウスコルで8000メートル世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、記録映画『THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST』はアカデミー賞を受賞。1985年世界7大陸最高峰のスキー滑降を達成。2003年、次男・豪太さんとともにエベレスト登頂、当時の世界最高齢登頂記録(70歳7カ月)を樹立。2008年に75歳で2度目、2013年に80歳で3度目のエベレスト登頂(世界最高年齢登頂記録更新)を果たす。記録映画、写真集、著書多数。

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