官僚のち医師 みんなが幸せな社会へ 一歩ずつ木下翔太郎さん:朝日新聞DIALOG

官僚のち医師 みんなが幸せな社会へ 一歩ずつ
木下翔太郎さん

By 小原悠月(DIALOG学生部)

 医学部から霞が関の官僚へ。異色の経歴を背景に、内閣府で高齢社会対策、子育て支援などの政策を立案。現在は慶応義塾大学の精神科医として、また企業や文部科学省で産業医として活躍する木下翔太郎さん(31)。官僚時代の経験を生かして「オンライン診療」「認知症とお金」について、医療政策を提言できるよう研究を重ねています。精神科医として患者を見つめるまなざしは、同時に社会をも見つめていました。

——現在の活動を教えてください。

 慶応義塾大学医学部精神・神経科学教室に所属していて、精神科医として外来などの臨床業務に従事しています。また文部科学省とベンチャー企業で産業医をしています。大学所属ということもあり、並行して研究を進めています。

 僕の場合は行政官をしていた経験があるので、医療政策的な研究テーマをやらせていただいています。一つは「オンライン診療」、もう一つは「認知症とお金」の問題です。

認知症 資産140兆円 狙われるリスク

————「認知症とお金」について教えてください。

 もともと、少子高齢化に関心があって行政に入りました。その後、精神科医として働き始めてみると認知症患者数が増加していることもあり、認知症をめぐるさまざまな問題が増えているということを改めて実感しました。

 かんぽ生命の不正販売問題ってわかりますか? 高齢者や認知症患者に対して、判断能力が低下していることをいいことに商品を不正に売りつけるという問題が実際に起こっています。そこで現在、金融機関と共同で研究して、認知症と疑われる方に対してのトラブル予防策を考えたり、行政の経験を生かしてどんなトラブルがあるかをまとめて本にしたりして、啓発や発信をしています。

■かんぽ生命の不正販売問題
 かんぽ生命の保険商品について、顧客に不利益が生じる販売手法が広がっていた問題。かんぽ生命の特別調査委員会の報告書(2019年12月)によると「高齢者を対象とした、意向把握・確認等が必ずしも十分とはいえない募集活動」「同一人に対し、多数の保険契約を締結させる募集活動」などが横行していたとされる。過剰なノルマや顧客軽視などがあったとして、金融庁から3カ月間の一部業務停止命令を受けた。

 一番問題なのは金銭問題です。お金の問題は切実で、生活に直結しますよね。退職金をたくさんもらっても、詐欺などにあって老後の資金がなくなっちゃうと、その人の人生が大変なことになる。

 今、認知症の人が600万人います。国民の20人に1人の割合ですが、ますます増えるでしょう。認知症の人が持っているお金というのが総額で140兆円と言われています。結構な額ですよね? 日本の当初予算の100兆円よりも大きい額です。それらのお金が特殊詐欺や悪質商法のターゲットになってしまいかねない。

 ほかに小さな例でいうと、認知症が進むと遺言状が作れない、成年後見人に誰がつくのか、後見人がつくと家族にとってお金があまり動かせなくなるなど、お金のトラブルが増えています。

————家族とのコミュニケーションも大事ですね。

 その通りだと思います。本人がこうしたいという意思を家族がわかっていないといけない。認知症が進行した後だと本人のしたいことが実現できなくなってしまう。あらかじめどのような問題があって、それを防ぐためにどうしたらいいのかということをお互いが話し合っていればいいですね。

 その意味でも若い世代にもこの問題を知ってもらうことが重要で、そのために本やメディアで情報発信をしています。

オンライン診療 進めるために

————オンライン診療については、他国と比較した研究を行っていますね。

 日本は海外と比べてオンライン診療の規制が厳しく、医者が導入したくてもできないという問題があります。

 規制に関して厚生労働省が定めたガイドラインがあり、対象となる疾患が限られていたり、保険診療できる疾患が決まっていたりするなど、以前はオンライン診療の対象となる疾患の範囲が少なかったのです。

 コロナ禍を機に規制緩和が行われ、対象疾患は広がりました。一方、直接診た場合より診療報酬が安い状況は変わらず、開業医にとっては経営的に厳しい。精神科の例で言うと、同じ患者さんを診るのに2000円くらい違います。それを1カ月にすると相当大きい差になるので、「やりません」ということになる。オンライン診療を受けたい患者が受けられないという状況になっていると思います。

 去年発表した論文では17カ国・地域の規制を比較しました。その結果、対面診療よりもオンライン診療のほうが安いのが日本と中国の一部で、他の国は同等の価格か、むしろオンライン診療のほうが高かったりします。日本が他国と比べオンライン診療が進まないのは診療報酬の問題だろうと思いますね。

——慶応義塾大学病院ではオンライン診療を導入していますね。

 精神科の患者さんの中には、例えば症状として、外出するのが怖い方、公共交通機関に乗れない方、引きこもりの方が結構います。そういった方々が家で診療を受けることができるのは患者さんにとっても安心感がありますし、実際「オンライン診療があってよかった」と言ってくれる人がいます。救われる患者さんが確実にいます。

 今回コロナ禍を通じてオンライン診療の規制が緩和されたので、公的機関から予算をもらって大きな研究をやっていく予定です。オンライン診療でも、対面診療と同じ質の治療結果が出るということをアピールしていきたいです。

少子高齢化を痛感 霞が関で政策づくり

——医学部で勉強しながら官僚を目指したそうですが、初めて聞きました。

 周りの学生の中で研修医にならなかったのは僕だけでしたね。

 大学5年生のころから病院実習で県内のいろんな病院を回りました。その際、少子高齢化が深刻だということを痛感し、社会全体の課題としてアプローチしていかなければならないと思いました。少子高齢化をテーマにまとめた論文がコンテストで賞を受賞したこともあり、先輩の勧めもあって官僚にチャレンジしました。

——医学部卒業後、内閣府に入りました。

 少子高齢化問題に関心があったので、高齢社会問題をまとめた白書づくりや、子育て支援の政策を担当させてもらいました。とてもやりがいがありました。

 人事課では職員の採用研修も担当したのですが、働く人のメンタルヘルスは大事だと改めて感じました。知識として知っていたのですが実際に周りの人が悩んでいるのを見ると、この問題は大事だなと。それが、後に精神科医になろうと思ったきっかけでもあります。

——行政で学んだことについて教えてください。

 行政にいる人たちは9割9分、まじめで優秀で日々苦労しています。社会問題が解決できないでいるのは行政が怠慢だからではない。日本の持つ複雑な課題は前例がないため解決が難しいところがあります。

 特に高齢化問題において日本は世界トップの高齢化率。世界中どこを見ても前例がありません。理想論になりすぎるのではなく、変えられるところとはどういう部分で、何をしたらいいのかなど現実的な観点からの政策過程を学べたと思います。

 日本は行政に余力がないと思います。実際、先進国で日本は公務員が一番少ない国という研究結果が出ています。今まで政治は人件費カットのために公務員を減らし行政を縮小してきましたが、それでは新しい課題が出てきたときに対応できないと思います。

 働き方改革は余力づくりの一つだと思っています。健康と余力をつくりながら新しい課題に対応できるくらいのゆとりを持たせるようにしないと今後はまずいのではないかと思います。

午前3時まで仕事…そして医師に

——官僚から精神科医としての新たな道に。どうして戻られたのですか。

 官僚として働く中で、行政で変えられるものもあるけれど、少子高齢化問題は行政だけでは変えられない部分があり、理想論通りにはいかないと感じました。また一番忙しい国会会期中には午前2時、3時にタクシー帰りが当たり前という状況。自分自身、体力が求められる働き方は向いていないと思ったのと、自分は調べたりまとめたりすることが好きなのでもう少しインプットするまとまった時間を確保したいと思い、医者として働くことを決めました。

——霞が関の働き方改革についてどう思いますか。

 官僚の働き方は問題だなと思っています。最近注目されてきたので良かったですが、それまでは論文やメディアを通して啓発を行っていました。自分で仕事をコントロールできないところがあります。そうなると組織の問題だと思います。必要な仕事の優先順位をつける、そもそもの仕事量を減らす、増員や配置換えを柔軟にする。ここにもっと関心が向いてくればいいですね。

 それと、産業医をもっと活用してほしいですね。産業医を活用すれば医者に無料で相談できます。僕が官僚として働いていた時、産業医の方に会ったこともなかった。医者に相談したら「負け」「恥ずかしい」というような風潮がありました。

 ただ、海外の場合、調子が悪かったら抗うつ薬を処方してもらうなど、医者はもっと気軽な存在のようです。因果関係は定かではないですが、幸福度が高いと言われるデンマークでは抗うつ薬の処方量は世界トップレベルと言われています。日本でも医者に早めに相談するのが当たり前の文化をつくりたいですね。

日本の幸福度 ゆとりのある生活から

——2030年、ご自身はどうなっていたいですか。

 2030年になると認知症患者は800万人くらいに増えると推計されています。そして、認知症の人が持っているお金の総額が215兆円になると言われていて、これは国家の当初予算の倍に当たります。

 そうなると認知症とお金の問題はさらに深刻になっていると思います。今後問題にならないように啓発を続けていきたいですし、その時までには発信力のある立場に立てればいいなと思います。

——2030年、どのような社会になっていればいいと思いますか。

 日本は経済的に豊かだと思うのですが、幸福度は高くないと言われています。

 今後、高齢化が進むにしたがって経済が縮小するのは止められないと思います。だからといって悲観的に思うのではなく、今ある働き方改革やメンタルヘルスの問題などを変えて、現状を肯定していけるような社会になればいいなと思います。

 そのためにも一つひとつの問題を解決していき、ゆとりのある生活を取り戻していくことが必要になってくるのではないか、と思いますね。

認知症 若い世代も当事者
小原悠月(DIALOG学生部)

 いつ家族が認知症になるかわからない。60代半ばで認知症になるケースもあります。

 私は今回のインタビューを機に、初めて家族でお金の話をしました。

 親の収入、相続がどうなっているのか、保険がどうなっているのか、認知症になったら……。初めて家族でオープンに話し合いました。

 日本では家族の中でお金の話をすることをタブー視するきらいがあると思います。しかし、いつまでもタブー視していては、いざというときにトラブルを招きかねない。最悪の場合、特別な固い絆で結ばれていたと思っていた家族の関係をも、いとも簡単に壊してしまいます。

 未来の話だから……と後回しにするのではなく、今すぐにでも起こる問題という意識をもって、もっとフランクにお金のことを話せる文化をつくっていくべきなのではないでしょうか。

 高齢化が進む社会だからこそ、私たち若い世代が当事者意識を持つべきではないかと思います。


木下翔太郎(きのした・しょうたろう)

 1989年、神奈川県出身。千葉大学医学部在学中に国家公務員採用総合職試験と医師国家試験に合格。卒業後は内閣府に入り、高齢社会対策、子育て支援などを担当した。現在は慶応義塾大学医学部精神・神経科学教室に所属。文部科学省や企業で産業医をする傍ら、医療政策や予防医療を研究。著書に『国富215兆円クライシス 金融老年学の基本から学ぶ、認知症からあなたと家族の財産を守る方法』(星海社新書、2021年)、共著に『企業は、メンタルヘルスとどう向き合うか』(祥伝社新書、2020年)がある。

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