

持って生まれた能力こそ全て——そんな世界は、みんなに優しいのだろうか?
若い世代と著名人が対話する「明日へのLesson」。今回は「ハーバード白熱教室」「これからの『正義』の話をしよう」などで知られる米ハーバード大のマイケル・サンデル教授を招きました。この春に日本語版が出版された「実力も運のうち 能力主義は正義か?」で、サンデルさんは能力至上主義の限界と、未来へのヒントを示しました。1時間の英語インタビューで得た、若い世代の気づきとは。
学ぶことが幸せ あのころの気持ち もう一度
中塩由季乃(DIALOG学生部)

「歌を上手に歌うための唯一の動機、あるいは第一の動機が、他者との競争や比較だとしたら、それは歌うこと本来の喜びや幸福感を、私たちから奪ってしまうのです」
“If the only motivation or the primary motivation for singing well is to compete and compare how well we sing, then this may deprive us of the joy and happiness that comes from singing and enjoying music for its own sake.”
日常生活の中で喜びや幸福感を覚えるのは、どんなときだろう。
テストで良いスコアを取って、父に褒められたとき。就職活動で「大手」と呼ばれる企業から内定をもらったとき。友人に歌を褒められたとき。私はサンデルさんの本を読み終えて、自分の感じる喜びや幸福感の中には、いつも誰かによって作られた基準や評価、誰かとの競争や比較が存在することに気づきました。
そして、サンデルさんとの対話の後、こう感じました。本当に大切なことを、競争や比較、それに伴う優越感や劣等感、焦燥感によって見失ってしまっているのではないだろうか——。
勉強不足 自分を責めた
私は子どものころから英語の勉強が好きでした。中学生のころは、知らない単語を覚えることや英語の文章を読むことで、見たことのない世界の広さを感じました。それがうれしくて、幸せでした。
それが、高校生になると、英語の勉強は良い大学に入るための手段になり、大学生になると、良い企業に入るための手段に変わっていってしまったのです。良いスコアを取れなかったとき、自分の勉強不足を責め、落ち込むことが増えました。
競争の傷痕に 優しさ届いた
「教育システムを能力主義的な競争に変えてしまうと、学ぶことそれ自体への愛が薄れ、自分は本当に何を学びたいのか、自らに問いかける能力も失われてしまうのです」。サンデルさんのゆっくりとした優しい口調は、私の過去の競争の傷痕をなでてくれているようでした。
サンデルさんとの対話で私は、英語に詰まることもありました。他のインタビュアーがすらすらと質問するのを聞いて悔しさを感じた一方、自分の力を出し切って全てを伝え、新たな世界へ視野を広げられたことで、満ち足りた気持ちになりました。
忘れかけていた、学ぶことの喜びや幸福感を、これからも感じていたい。そのためには、能力主義という考え方の外側に出る必要があると強く感じました。
日本に移民が増えたら…壁をつくらないために
岸峰祐(DIALOG学生部)

「移民を受け入れようとする社会は、移民を単なる労働力不足解決の手段と見なしてはいけません。単なる経済的な用立ての話ではないのです」
“Any society that is welcoming immigrants has to remember that immigration is not only a solution to labor shortage. It's not only an economic arrangement.”
私は、「安い労働力」として扱われがちな、海外からの移民の受け入れについて質問しました。
まず、私はサンデルさんの「少子高齢化が進む社会で、若い働き手を増やす方法は、実は三つあるのです」という回答で、目が覚めました。なぜなら、そもそも労働力不足を補う方法は他にもあるのだ、と提示されたからです。
サンデルさんが挙げたのは「出生率を上げること」「女性により高い地位の仕事を与えること」、そして最後に「移民を受け入れること」でした。どれも日本が直面している大きな課題ですが、このうち少子化対策や女性の活躍促進が行き詰まっているからこそ、日本は移民に頼る方向に傾いているとも考えられます。
移民を「労働力」と見るからこそ、彼ら彼女らと平等に向き合えないのではないでしょうか。まずは、次の世代が生きやすい社会にしていくことが大切だと考えさせられました。
違いから学ぶこと 放棄していた
サンデルさんは「移民の受け入れで大切なのは、偏見を克服し、喜んで違いから学ぶ姿勢を身につけることだ」ともおっしゃいました。それも、新たな発見でした。
日本以外の国から来た人の行動が好ましくなかったり、言葉が通じにくかったりすると、フラストレーションを感じることがあります。対話をすれば解決するのかもしれませんが、私は「そこまでしなくてもいいか」と思って、嫌な気持ちを解きほぐせずに持ち帰ることもよくありました。しかし顧みると、「違いから学ぶこと」を放棄していただけかもしれません。
自分にとって「普通」ではない人たちへの違和感を乗り越え、相手の立場に立って考え、対話する。そうすることで、新しい発見や考え方も生まれてくる。違う文化的背景を持つ人々が日本に来ることは、学びの機会が増えていくことなのかもしれない、と思い直しました。
学べる恩恵に感謝 社会のために私は
現在、私は社会学の分野をベースに、移民に関する歴史や各国の現状について、日本とアメリカの大学で学んでいます。サンデルさんは「大切な学問分野ですね。がんばってください」と励ましてくれました。
これからの日本社会の重要課題の解になりうる学問を学べる環境にいるからこそ、学べることの恩恵に感謝し、自分の学びを将来、少しでも社会に還元していけるように、今後も学びを深めていきたいと思います。
思い込みの罠から逃れる 真摯に柔軟に
西田裕信(コンサルティング会社勤務)

「(社会の変革が)難しいということには賛成しますが、逆に理想の社会の実現のためには何が必要だと思いますか?」
“I agree with you that it's difficult, but what would we have to change about our society to make that hope more possible?”
サンデルさんからの予想外の逆質問に、私はすぐに答えることができませんでした。
「不平等がなく、一人ひとりが尊厳ある仕事を得る社会を実現するのは難しいのではないか」。これが、私が投げかけたサンデルさんへの問いです。サンデルさんは、能力主義から解放されるためには差異を受容することが必要だと著書の中で述べていましたが、一方で、人や社会の価値観を変えることは簡単ではないのではないか?という疑問を拭えなかったからです。
答えのない問い ともに考える
インタビューの前は、この問題に対して、サンデルさんはある種の明確な解を持っているだろうと思っていました。しかし、返ってきたのは予想外の「逆質問」でした。
「それは……分かりません」と答えを絞り出すと、サンデルさんは「もう少し具体的な例を挙げて考えてみましょうか」などと助け舟を出してくれました。その場で具体的な答えにたどり着くことはできませんでしたが、サンデルさんは時間をかけてこの疑問と向き合ってくれました。
海の向こうの読者の一人でしかない私の疑問。それを真摯(しんし)に受け止め、自身の考え方を柔軟に変えようというサンデルさんの姿勢に、感銘を受けました。サンデルさんは「こちらに向かったほうが良いと思うが、読者のみなさんはどう思う?」と、一緒に考えようとしているようでした。
多様性・個性を大事に 本質を見る
サンデルさんはインタビューで、音楽や芸術をたびたび例に挙げていました。ある意味、本の執筆はサンデルさんにとっての一つの表現方法なのかもしれないと思いました。考えの共有であり、方向性の提案であり、受け手への投げかけです。
インタビューを終えて、私は、無意識のうちに本や音楽や芸術などの媒体ごとにその主張をひとくくりにし、「こういうものだ」という思い込みがあったことに気づきました。「平等な社会」の実現のためには、一つひとつの物事、一人ひとりの人間に対して、思い込みやレッテルから逃れ、その本質を見る必要があると思いました。
全員が同じような社会に属して、同じような方向を向く。そんな旧来型社会の罠(わな)から脱して、多様性・個性を大事にしていくには、より柔軟に会話していく力が必要とされていると感じました。
世界への警告 若い世代への訓示
黒澤太朗(DIALOG学生部)

「私たちは、成功に対する考え方を変えなければいけない。大学に合格したり、いい仕事を得たりして成功した人たちが、決して謙虚さを失わないように」
“We have to change attitudes towards success, reminding those of us who are successful, who win admissions to university and who got good jobs, to make sure we don't lose our humility.”
私は幸運なことに「難関」と言われる大学に入り、そこで学んでいます。入試を突破したから、と言ってしまえばそこまでです。しかし、その背景には、自分の努力だけではなく、家族の支えや、経済的な環境、育った地域などさまざまな要因があるのだということを、入学以降、痛感するようになりました。
カリスマ講師・評判の参考書…
成功した人は「難しい問題を理解したから」「多くの知識を暗記したから」など、自分の努力を肯定するような思考に至ってしまいがちです。もちろん、受験を戦うのは自分一人ですし、その奮闘の軌跡は輝き続けます。
しかし、そこまで頑張れたのは自分の力だけではないはずです。カリスマ講師の授業を受け、評判の参考書を購入し、模試に何度も挑めた。チャンスに恵まれていたということを、サンデルさんの言葉で、改めて思い返しました。
分断をなくす 力強いまなざし
サンデルさんは、成功した人々とそうでない人々の差によって生まれる社会の分断が、世界中で顕著になっている、とも指摘しました。私は昨年、大学でアメリカ政治を学んでいましたが、アメリカ社会の分断は、大統領選挙に代表される政治的イベントによって、より鮮明になりました。
拡大する不平等を是正し、成功に対する考え方も変えていかなければいけない。サンデルさんの力強いまなざしは、世界への警告にも、次の世代を担う自分たちへの訓示のようにも見えたのでした。
見える壁 見えない壁 夢をあきらめない社会に
徳田美妃(DIALOG学生部)

「富裕層だけでなく、すべての社会的・経済的背景を持つ学生に、才能に見合った公平な教育の機会を提供する。公正で公平な社会は、その道を見いださなければならないのです」
“A fair society and a just society has to find a way to make sure that students from all social and economic backgrounds, not only affluent backgrounds, have a fair opportunity to get education worthy of their talents.”
私は3歳からピアノを始め、出身地の青森から東京に出て、国立大学の教育学部で音楽を学んでいる。
「音楽大学で学びたい」と思っていた時期もあったが、その道は選べなかった。
まず、経済的な面で私立大学が選択肢から外れた。そして、国立の音楽大学はさらに「狭き門」だった。
芸術分野だと、特別なレッスンを受けた生徒が受験で有利になることがある。しかし、レッスンを受講するだけでもお金がかかり、加えて青森のような地方だと、その機会自体が限られている。
「私にはピアノの素質があるのか」「この分野で食べていけるのか」といった葛藤もあったが、気づかないうちに選択の幅自体が狭められていたことも否めない。
見える壁、見えない壁——。結局、国立大学一本に絞った受験となり、不合格だった場合の進路について、先が見えず、とても不安だった。
芸術的な能力 ないがしろでいいか
音楽を専攻しているからこそ気になったことが、もう一つある。「アメリカの入試は、学問的な活動だけでなく、社会貢献活動やダンス、音楽、スポーツといった活動も考慮に入れるのです」というサンデルさんの言葉だ。
日本の大学入試では、そうした個人の力が十分に測られていないように思う。音楽、美術などの科目は、そもそも共通テストの選択科目ですらないし、その結果、ないがしろにしてしまう人も多い。
しかし、点数だけで全てを測っていいのだろうか。創造力や思考力、芸術的な能力は点数化が困難だが、新たなものを生み出したり、生涯にわたって学びを楽しんだりするうえで大切だ。
教育格差をなくすため できることは
私は教育学部で学んでいるため、教育における機会格差には強い関心がある。
お金がなかったり、地方出身だったりといった理由で、夢をあきらめないようにする。点数だけでは測れない個人の潜在的な力を、もっと伸ばし、生かせるようにする。
生まれ育った環境によって大きな機会格差を生まないように、恵まれない人への支援体制を整えたり、能力を公平に評価する基準を考えたりしていかなくてはならない。