「ちょっと月旅行へ」の時代 地球を外から見つめれば宇宙飛行士・向井千秋さん:朝日新聞DIALOG
2021/07/07

「ちょっと月旅行へ」の時代 地球を外から見つめれば
宇宙飛行士・向井千秋さん

By 大奈えり(DIALOG学生部)

 若い世代が各界の著名人と対話する「明日へのLesson」。今回はアジア人女性として初めてスペースシャトルに搭乗した宇宙飛行士・向井千秋さん(69)を招きました。対話に臨んだのは田中沙弥果さん(29)と石橋拓真さん(23)。田中さんは一般社団法人Waffle(ワッフル)の設立者で、IT分野のジェンダーギャップ解消を目的として活動しています。石橋さんは東京大学医学部の学生で、宇宙での医学・健康課題について学ぶ学生コミュニティー「Space Medicine Japan Youth Community」の設立者です。

 月は、ハワイのような旅先になる——。そんな未来図を描く向井さんの言葉から、「明日」を考えるヒントをお届けします。

自己実現へ 二つのキーワード

 「私がお話しするというか、若いお二人の話を私が聞きたい!」

 対話は、向井さんのエネルギッシュな一言から始まりました。まず田中さんが問いかけました。「女性が長く働く社会をつくるために、真っ先に改善すべきことは何でしょうか」

 この問いに対して、向井さんはこう答えました。

長い目で見ると文化のレベルから改善しないといけません。女性の環境だけ良くしようと思っても頭打ちになるからです。ダイバーシティー(多様性)とインクルージョン(包摂)を進めることで、男女問わずに皆が幸せに自己実現ができるようになります。

 ダイバーシティーとインクルージョンは、性別、国籍、年齢といった外的属性や職歴、価値観などの内的属性にかかわらず、個性を重んじて社会的に包摂していく考え方。IT化が進んだいま、私たちは場所や時間にとらわれず様々な環境で活動することができます。外的・内的属性の異なる人々とともに働き、学ぶ機会も多くなります。ダイバーシティーとインクルージョンは改めて認識すべき視点なのだと思います。

田中沙弥果(たなか・さやか) 一般社団法人Waffle Co-Founder/CEO。大阪府出身。2017年、NPO法人「みんなのコード」に加わる。2019年、IT分野のジェンダーギャップを埋めるために一般社団法人Waffleを設立。2020年には日本政府主催の国際女性会議WAW!2020にユース代表として選出。2020年、Forbes JAPAN誌の「世界を変える『30歳未満30人』」に選ばれる。

ガラスの天井 本当にある?

 そして、話題は「ガラスの天井」へ。

 「ガラスの天井」は本当は存在しないかもしれないのに、目に見えない天井の高さを理由にして活動範囲を狭くしてほしくない。日本人だから、女性だから、を言い訳にしない。自分が飛べるところまで飛べばいい。

 女性のキャリア形成に関して、必ずと言っていいほど話題に上がるのが「ガラスの天井」、つまり「見えない障壁」です。最近では女性だけでなく、マイノリティーに関しても用いられる表現です。向井さん自身は「人生の中で何事に対しても『女性だから』と考えたことはなかった」と前置きをし、上のように述べました。向井さんの言葉は、自分次第で天井を高めることができるかもしれない、と思わせてくれます。

 そして、東京理科大学の特任副学長を務める向井さんは、理系女性の就職について選択肢の多様化を提言しました。「薬学部だから製薬会社」というような専攻の特性を直接生かした進路だけでなく、「『生物系から自動車会社』とか異分野に進んだほうが面白い仕事ができる可能性がある」と語ります。そうした先例を増やすことで、その後に続く女性進学者が理系を選択することへの抵抗を少なくすることができます。

石橋拓真(いしばし・たくま) 神奈川県出身。2017年に宇宙医学分野の振興を目的として学生コミュニティー「Space Medicine Japan Youth Community」を設立。一般向けのウェビナーや学生向けのスタディーツアー、教科書の翻訳プロジェクトなどに取り組む。2018年、国際宇宙会議(IAC)にJAXAから派遣。2020年から有人宇宙開発振興を目的としたHomer Spaceflight Project、成層圏で“炎越しの地球” を撮影するEarth Light Projectメンバー。

【石橋拓真さん】宇宙にこそ医学がいる

キッチンと宇宙 つながっている

 ここで田中さんから石橋さんへ質問のバトンが渡り、宇宙空間へと話題が広がります。

 「宇宙飛行士を志す者として、マルチタスク能力を磨きたいと考えています。そのために自粛期間には週1回、料理をしています」と話す石橋さん。この発言を受けて、向井さんは宇宙空間と日常生活の共通点について語ります。

 料理ってアートなんです。冷蔵庫を開けて、今ここにあるものでできる料理は何?と考えてみる。宇宙では、やろうと思った事柄に必要なリソースが10個のうち8個しかないとしてもミッションを達成しなきゃいけない。つまり、手元にあるものだけで価値あるものを生み出さないといけない。リソースは有限だけど、発想は無限に生むことができます。

 宇宙とキッチンに共通点があるという指摘に、田中さんも石橋さんも驚いたようです。宇宙空間で、限られた物資を活用しミッションの完遂に取り組む宇宙飛行士。リソースは有限であることを意識し、正確な知識に基づいた発想を駆使して課題解決に挑みます。柔軟な発想力を日々養うことが必要なのだとわかります。

郷に入っては…それだけではダメ

 さらに石橋さんからは、こんな質問が。「アメリカの宇宙開発の現場に加わり、先例がないなかで心がけていたことはありますか」

 「郷に入っては郷に従え」とよく言われるけれど、それだけだとダメ。自分を失うばかりになってしまいます。いったん相手の考えを受け入れてから、自分の考えを発信していく必要があります。いくらNASAのシステムでも100%完璧な状態のものはない。問題に気づいたら自分から発言して、議論を行い、良い文化をつくっていく。新しい世界に飛び込んで貢献できることを探すのです。

 まずは相手を知ることで、自分がその場でどのように動くべきなのかを知ることが大切なのでしょう。しかし、全てにおいて相手の調子に合わせているのでは、改善すべき部分はそのままになります。国際的な場面で意見を求められる際、日本人は“I agree with you”という意味で“Me too”を多用することがたびたび指摘されています。アウェーな環境においても、自分はどう考えてどう行動するかを常に意識する。

 石橋さんも、向井さんが語った「どっぷりつかるけれども、染まりきらない姿勢を持つ」という表現が響いた様子です。

スペースシャトル・コロンビアから実験モジュールに入る向井さん=1994年7月、JAXA/NASA

気づかないバイアス いくつも

 対話の終盤に、石橋さんから宇宙開発の深奥に迫る質問が飛び出しました。

 「向井さんは『宇宙医学は究極の予防医学』と話されており、私もそう信じています。地球の医学に還元するために、宇宙の視点から研究する活動を続けているのですが、『地上で研究するだけでよいのでは』という声もあります。向井さんはどのようにお考えでしょうか」

 この質問に対し、向井さんは間髪入れずにこのように述べました。

 地球では私たちは「重力文化」の中で生きています。私たちの体を形作る要素として1Gの重力が知らないうちに関与している。私たちにはアンコンシャス・バイアス(無意識に生じる思い込みや偏見)がいくつもあるけれども、重力もその一つ。自分の体がなぜこのようになっているのかが、宇宙という、重力というバイアスがない環境で研究すると、よく見えてきます。

 既存の狭い環境の中で試行錯誤していても、大きく飛躍することにはなかなかつながらない。環境を変えれば、さらに良い考え方・発想を見つけることができるかもしれません。昨今、COVID-19の感染が世界的に拡大したことからもわかるように、地球上の人類はつながり合っています。地球も宇宙の一部であり、宇宙開発には国際協力が不可欠です。各国が持ち味をうまく掛け合わせ、地球を悩ませる問題も「宇宙規模」で考えることで解決の手がかりが見つかるかもしれません。

 偏見に気がついて取り除く努力をしてこそ、ようやく見えてくることがある。アンコンシャス・バイアスを取り除くとどのように向き合うことができるか。自分の生活に身近な懸念も、視点を変えると思考が整理されるかもしれません。

夢へ羽ばたく 恐れず、身軽に
大奈えり(DIALOG学生部)

 「より高いハードルに挑戦し、想定を飛び越えよう」

 「地球って宇宙の一部なんだよね」

 ——耳にして改めて気づかされることもある。

 向井さんといえば「アジア人女性初の宇宙飛行士」です。医学博士でもあり、現在は東京理科大学の特任副学長も務めています。どのような方だろうと少し身構えていましたが、お話を始められた姿はまさにチャーミング! たちまち向井さんの虜(とりこ)になりました。

 宇宙という想像しがたい空間で仕事をされた志と経験をうかがい、「人を助けたいから医者になって、地球を見たいから宇宙へ行った」という言葉の素朴さと強さに胸を打たれました。自分が何かを始めたい、やってみようと感じるきっかけがあるとき、それを後押しできるのも抑制してしまうのも、自分自身であることを改めて感じました。

 「地球は宇宙の一部である」「私たちは思い込みや潜在意識の中で生きている」。こうした言葉を受けて、これまで考慮していなかったことや、未知だったことに関して、より視野を広げて考えようと思うことができました。

 常に自分を省み、限界を決めずに様々なチャレンジを続ける向井さんの姿勢は、想定を大きく上回る達成を予感させます。その身軽さと好奇心に胸をくすぐられ、向井さんは私の人生におけるロールモデルの一人になりました。


向井千秋(むかい・ちあき)

1952年生まれ、群馬県出身。慶応大学医学部卒。94年、日本人女性初の宇宙飛行士としてスペースシャトル・コロンビア号に搭乗。宇宙医学など82テーマの実験にあたる。2012年、JAXA宇宙医学研究センター長。15年から東京理科大学特任副学長を務める。

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