ステイホーム 孤独な夜に——ラジオがあれば、つながれるニッポン放送社長・檜原麻希さん:朝日新聞DIALOG
2021/09/22

ステイホーム 孤独な夜に——ラジオがあれば、つながれる
ニッポン放送社長・檜原麻希さん

By 内田早紀(DIALOG学生部)
ニッポン放送の檜原麻希社長(中央)と井上佳央里さん(右)、広屋佑規さん=東京・有楽町、迫和義撮影

 家族が寝静まったころ、独りラジオを楽しむ——。そんな夜を過ごしたことはありますか? スマートフォンが普及し、タイムフリーで番組を聞けるアプリやサービスが登場し、ラジオが改めて注目を集めています。

 今回の「明日へのLesson」は、ラジオ局・ニッポン放送の檜原麻希さん(60)をゲストに迎えました。インタビュアーは井上佳央里さん(31)と広屋佑規さん(29)。井上さんは誰でもラジオのような音声配信ができるアプリ「Radiotalk」運営会社のCEO。広屋さんはオンラインで演劇を配信する「劇団ノーミーツ」を主宰しています。ラジオのヘビーリスナーでもある2人が、ラジオへの愛とリスペクトをもって檜原さんに問いかけます。

やりとりする魅力 色あせない

 ラジオは「お便りだけが頼り」。リスナーとのインタラクションがあって成立しているメディアです。

 3人は長年のラジオリスナーという共通点から、早速、好きなラジオ番組の話で盛り上がります。「オールドメディア」と言われることもあるラジオ。「ラジオの魅力は変わってきたのでしょうか」と尋ねた井上さんに、檜原さんは「インタラクション」という普遍的な価値を強調しました。

 ラジオは、パーソナリティーとリスナーとのやりとりが魅力的なメディアです。はがき、ファクス、メールと時代によって方法は変わっても、「パーソナリティーとリスナーとの一対一の関係性という基本は変わっていない」と言います。

 劇的な変化は、スマホやパソコンでラジオが聞ける「radiko」がスタートし、聞き逃し聴取などのサービスが拡充したこと。「スマホが普及してパーソナルなラジオ端末となって、いつでも好きなときに聞けるから、リスナーが離れない」と檜原さんは今のラジオ界を説明しました。

 SNSの時代ならではの楽しみ方も生まれています。井上さんは「Twitterでリスナーだけが分かるハッシュタグを使って、出席を取るみたいにコメントするのが面白い」と話します。アメリカでラジオ放送が誕生してから約100年。新たな魅力を発揮しているようです。

仕事中の檜原さん=ニッポン放送提供

コロナ禍 「いつも通り」届ける

 ラジオは「ながらメディア」。それが心地いい。

 いつもの日々を変えた新型コロナウイルス。ラジオ界への影響はどうだったのでしょうか。

 緊急事態宣言が大都市を中心に繰り返され、多くの人が「ステイホーム」で苦労した中、ラジオは「いつもの時間に、いつものパーソナリティーが『いつも通り』を届けられた」と檜原さんは言います。それは、音声メディアの新たな強みでした。「(スタジオではなく)リモートな場所からの放送でも声だけだから違和感がなくて、リスナーに寂しさを与えなくてよかった」

 井上さんは「音声があるだけで、部屋が居心地よくなりますよね」と、改めてラジオのよさを実感したようです。

 「目が疲れても、まだ耳があるよね」と笑うのは広屋さん。視覚情報が多いゆえに疲れることもある映像とは一線を画す、「アイズフリー、ハンズフリー」は今のライフスタイルに合っているのかもしれません。

井上佳央里(いのうえ・かおり) 1990年東京都生まれ。大学で放送を専攻し、2012年にインターネット事業を運営するエキサイトへ新卒入社。UGCやC2Cをはじめとしたメディア事業、課金事業のプロデュース・ディレクションを経て、2017年8月に社内ベンチャー制度で「Radiotalk(β版)」をリリース。2019年3月にXTechの子会社として設立されたRadiotalk社の代表取締役/CEOに就任。2019年5月に毎日放送系MBSイノベーションドライブから約1億円、2020年10月にSTRIVEをリード投資家とした4社から約3億円の資金調達を実行。

【明日へのLesson】届け熱狂 手のひらのラジオから

素人でもスターに 才能の宝庫

 「強い熱狂」が一部にあれば、やっていける時代。ヒットの法則が変わってきた。

 来年55周年を迎える深夜番組「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)をはじめ、長寿番組が多いのもラジオの特徴です。さまざまなパーソナリティーが、個性を生かしたトークでリスナーの支持を得てきました。「誰もがパーソナリティーとなれる時代に、プロと素人の線引きはあるのでしょうか」と広屋さんが聞きました。

 「面白い人は、いろんなところにいます」と檜原さんはうなずきます。「誰かが意図的に発掘することが必要ですが、発見される運も含めて『才能』なのかもしれません」

 マスメディアが選んだものだけが流行とみなされる時代は、インターネットの登場で変わってきています。誰でもラジオ配信を始められる井上さんのRadiotalkについて、檜原さんは「新しいラジオスターの宝庫かもね」と言います。

 広屋さんは「3.11(東日本大震災)の後、ラジオがリスナーに寄り添って言葉を投げかけていた」ことで励まされたそうです。パーソナリティーの才能は、リスナーとの信頼関係を築くことにある、という話題で盛り上がりました。

広屋佑規(ひろや・ゆうき) 1991年生まれ。劇団ノーミーツ主宰、株式会社Meets代表。コロナ禍の中、「NO密で濃密なひとときを」をテーマにオンライン演劇を主軸に活動する「劇団ノーミーツ」を旗揚げ。短編Zoom演劇作品のSNS総再生回数は3千万回再生超え。旗揚げ1年ながら、長編オンライン演劇公演の観客数は、自主公演やサンリオピューロランド、HKT48とのコラボ公演を含め累計3万人を超えた。文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS ACCゴールド、AMD Award 優秀賞など受賞。

チャレンジ精神 下町ロケット

 何かと組むことに抵抗はない。やってみないとわからないから。気分は「下町ロケット」です。

 ニッポン放送では「オールナイトニッポンX(クロス)」で、短尺動画を配信するバーティカルシアターアプリ「smash.」とのコラボを行うなど、さまざまなチャレンジを続けています。その背景にあるチャレンジ精神について、檜原さんは語ります。

 「新しいもの好き」はニッポン放送の社風だと言います。「時代の1番バッター」というコピーがあるように、常に新しい可能性を探っています。

 一例が、井上さんのRadiotalkとのコラボ企画。Radiotalkで募集したトークで最優秀賞に輝いたパーソナリティーが、ポッドキャスト「オールナイトニッポンi」のパーソナリティーに挑戦することができるというものです。檜原さんは、「みなさんのような方と連携することで可能性が広がっていく」と意欲的でした。

愛されながら カッコよく

 最後に井上さんが質問しました。「10年後、辞書で『ラジオ』と引いたとき、何と定義されていると想像されますか」。檜原さんの答えは——

【ラジオ】名詞:イマジネーションを育成し、脳を活性化する音声フォーマット。

 カーラジオをはじめ「ながらメディア」として楽しまれてきたラジオ放送。檜原さんは「音だけという制約が、CMやラジオドラマなど魅力的な音のクリエーティブ作品を生み出しています」。

 想像力をかきたてるのは、リスナーに押し付けるのでも迎合するのでもない絶妙な距離感。それを檜原さんは「一枚オブラートを挟んでいるような」距離感と形容しました。

 ラジオは「愛が生まれやすいメディア」だとうなずく井上さんと広屋さんに応えて、「愛されながらカッコいいものを作っていく」と決意を語りました。

失った「雑談」ここにあった
内田早紀(DIALOG学生部)

 私はコロナ禍の中でラジオを聞きはじめました。

 毎日聞くほどハマったのは、そこに「雑談」があったからです。友だちと偶然に会って話すことがなくなった今、パーソナリティーの話に耳を傾ける時間は、ほっとするひととき。場所を超えて、時間を超えて、誰かの話し声が届く。

 つながっているけれど、独り——。その感覚は不思議で、喜びと諦めが同居しているように思います。

 私には及びもつかないラジオ愛を持っている3人は「しゃべる」という普遍的な行為の持つ力を信じているように感じました。誰かに伝わってほしいと願い、言葉を重ねる。その思いを受け取ってきたからこそ、今度は届ける側へとなったのかもしれません。

 人はどうしようもなく独りで、自分の気持ちを100%、誰かに伝えきることはできません。それでも伝えたくて言葉を紡ぎ、言葉を交わし、私たちはつながろうともがきます。その行為のいとしさと愚かさを、しゃべり散らかし笑い飛ばしていくのが、人間の強さだと思います。

 そんなことを考えながら今日も独り、ラジオを聞きます。


檜原麻希(ひわら・まき)

 株式会社ニッポン放送代表取締役社長。1985年 慶應義塾大学卒業後、ニッポン放送入社。2009年デジタル事業局長、2011年編成局長、2015年取締役編成局長、2016年営業担当取締役、2018年常務取締役。コンテンツビジネスやインターネット放送などラジオと通信の融合を進める。丸の内発のラブソング専門局「SuonoDolce」の開設やオールナイトニッポンの新ブランディングなどプロデュースに力を入れてきた。2019年、在京キー局初の女性社長に就任。幼少期、高校時代は親の駐在のためロンドンとパリで過ごし、帰国子女のはしりでもある。

pagetop