
東日本大震災から11年。朝日新聞DIALOGは、復興支援に取り組むUR都市機構とともに、福島県双葉町を学生が巡るスタディーツアーを実施しました。津波被災と原子力災害で全町避難を強いられた町。今年6月の一部避難指示解除を前に、公営住宅や町役場の仮設庁舎の整備が進む一方、被災当時のまま時が止まったような街並みも残ります。当時、小学生だった学生たちが、この町を巡り、町の未来に思いをはせました。

(右下)100円を投入して駅から軽快にこぎ出す
(左下)駅近くにも壁画が点在する
復興シンボル軸 シェアサイクルで
ツアーに参加したのは、黒澤太朗さん、西岡真子さん、寺澤愛美さん。2020年3月に全線復旧したJR常磐線の双葉駅で下車した3人は、新しい駅舎とロータリーを見て「すごくきれいだよね」と話しました。駅のシェアサイクル・ポートから自転車に乗り、海近くの双葉町産業交流センターを目指します。
「復興シンボル軸」となる広い道路を走ると、あちこちから重機の音が響き、着実に復興が進められていることが伝わってきます。途中には、民間プロジェクト「FUTABA Art District」の一環で制作された大きな壁画もあります。
産業交流センターのバルコニーからは、青く穏やかな海や震災遺構の浪江町立請戸小学校が一望できました。「この一帯は津波にのまれたのですね。その上での原子力災害。自分の目で見ておくべき場所だと感じました」と黒澤さん。3人は幼かったころの記憶をたどり、大きな揺れや、その後の混乱を思い起こした、と言います。

働く・暮らす 拠点づくり
駅に戻った3人を迎えたのが、URの後藤亮さんと伊比友明さん。URが双葉町で取り組む事業として、宅地整備などの「復興拠点整備事業支援」、自治体の建築物整備をサポートする「建築物整備事業支援」、ハード面だけではなく豊かな暮らしを取り戻すための「地域再生支援」の説明を受けました。
原子力災害の被災地域は、広大な土地の除染に長い時間がかかります。このため、津波の被害に見舞われた地域よりも復興が遅れました。発災から6年後の17年、双葉町は特定復興再生拠点区域(復興拠点)を定めることになりました。これにより、避難指示を解除して居住可能とするエリアの整備がスタートしたのです。
そして、URは町と連携して「働く拠点」「住む拠点」づくりに着手。URが土地の造成と基盤整備を担うのは「働く拠点」として据えた新産業創出ゾーンの中野地区、そして駅西側の公営住宅計画地の双葉駅西側地区です。公営住宅はこの秋、一部入居開始が予定されています。

後藤さんは、急ピッチで進められる公営住宅計画地の特徴的な整備をこう解説します。「住宅の建築と並行して、新たに整備し直す必要がある下水道管や電線を通す管など地中に埋設するインフラ工事や道路工事も急ピッチで進めています。同じ場所で複数の工事があって関係者も多いので、工程の調整などに気を配っていますね」

(左下)災害公営住宅・再生賃貸住宅の計画地=双葉町復興推進課提供
(右下)住宅の完成イメージ=双葉町復興推進課提供
■双葉町 全町避難から帰還に向けての歩み
2011年 3月 東日本大震災 全町避難
……
2019年10月 双葉駅西側の「住む拠点」起工式
2020年 3月 駅周辺など避難指示 一部解除
JR常磐線が全線開通
2020年 9月 原子力災害伝承館がオープン
2022年 1月 帰還に向けた準備宿泊開始
2022年 6月以降 復興拠点の避難指示解除(予定)
豊富な知見を生かして、全国各地のまちづくりや地域再生に取り組んできたUR。新しい住宅地は全86戸の住居と診療所に加え、住民同士が交流できる軒下共有スペースや川沿いのテラスなども設けられると言います。
駅前を「人が集まる場」としてとらえ、ロータリーをあえて駅から離し、代わりに大きな広場が設けられます。「イベントを開くとか、みんなで集える場所にします。一度バラバラになってしまった町ですから、コミュニティー形成を念頭に設計しているのです」と後藤さんは語ります。

震災時の街並み そのまま
続いて、駅の東側へ。開発が進む地域とは対照的に、震災時のままの街並みが残ります。
図書館や児童館、消防団屯所などが点在。児童館の下足箱には子どもたちの靴が残されていて、ここが被災地でなかったなら、にぎやかな声が聞こえてきそうです。消防団屯所の時計の針が指していたのは、午後2時50分の少し手前。あの日から止まっているのです。3人はそれぞれをじっと眺めては、地元を離れた人の寂しさや悔しさに思いをはせているようです。
寺澤さんが静かに口を開きます。「震災のことは知り合いにも軽々しく聞けないと思っていました。とてつもない体験をしたら、よそ者の言葉で傷つくこともありますよね。ずっと気になっているけれど、関わり方が難しいなと……。お二人は復興支援に外から加わって、どう感じていますか」

復興支援 関わることから
うなずきながら聞いていた後藤さんは「大変な経験をされたみなさんの日常に、普段通り、肩肘(かたひじ)を張らずに関わっていく。それが、巡り巡って復興のお手伝いになっている気がします。最初は分からなかったのですが、現地に足を運ぶだけでも違います。自分にできる何かでいいというのが、僕のイメージです」と語ります。
伊比さんも「復興の旗振り役の周りには、協力・応援する人、見守る人もいます。関わりかたは様々で、町の今の情報をチェックするだけでも立派な後押しです」

(左下)伊比さん=中央=が手にしているのはプロジェクトのオリジナルステッカー「あちこちに置いてもらって、広めています」
(右下)後藤さんのスマホには最盛期のバラの写真。「春と秋に咲くから、ぜひまた見に来てください」
駅前にバラ、イルミネーション
双葉町では、この地に愛着を持つ町民の思いに、至るところで触れることができます。建設中の役場仮設庁舎の仮囲いには、町民から読み札を募集して作られた「ふたばふるさとカルタ」が描かれ、来訪者の目を楽しませています。
まちづくり会社「ふたばプロジェクト」を主体としてURがサポートする「ふたば、ふたたび☆まちなかガーデンプロジェクト」もその一つ。東側ロータリーには、町民になじみの深いバラが植えられた憩いの場があり、避難先で暮らす町民が苗を植えたプランターも駅舎に沿って並べられています。
ソフト支援を担当する伊比さんは「バラの植樹イベントには、町民や町内事業者など50人ほどが集まりました。ここを離れて生活しているからこそ、町とつながる仕掛けは不可欠です。今後も関係人口を増やす取り組みを進めていきます」と語ります。

復興の火 ともす・つなぐ
こうした取り組みで大切なのは、人を巻き込むことだそうです。原子力災害の被災地では、道路や建物だけ整えても人は戻らないからです。伊比さんは続けてこう語ります。
「なんだか変わった、明るくなった、と思ってもらえるところから始めればいい。例えばアートは復興ののろしのようなもの。のろしが上がれば、人が集まりますよね。でも、それだけでは火はつきません。たき火に例えると、大きな薪に火をともすには、小さな枝から少しずつ火を大きくしていきます。その小さい枝が、花やイルミネーションのようなまちづくり活動です」。息の長い活動のコツは、小さな活動からゆっくり進めること。そうすることで、人がついてこられるのだと言います。
「長く継続させるために、最初から全速力で進めずに、次はこうしていきたいという余地を残してやっていく感覚ですね。手探りだからこそ、走りながらどんどん軌道修正していきます。そして簡単には消えない火が起こせたら、新規の人たちでも続いていくでしょうから」

「胸のつかえが取れた」「自分も何か」
除染で取り除いた土などの中間貯蔵施設にも足を運びました。トラックで次々に土などが運び込まれ、放射線量が安全なレベルであることを確認しながら処理され、広大な敷地に貯蔵されていきます。処理した土を活用しながら米や野菜を育てる実験など、未来に向けた取り組みも学びました。
復興に対して新たな価値観が芽生えたという3人。寺澤さんは「胸のつかえが取れました。いろいろな取り組みがあって、町や企業の連携に興味を持ちました。やっぱり、知ることからですね!」
西岡さんは、堅く考えすぎていたのかも、と振り返ります。「アートとかお花とか、双葉町の復興って、すごくポジティブで温かい。自分でも何かできるかもしれないという気持ちになりました。また絶対、来たいと思います」
黒澤さんは「『復興』という言葉に身構えていたな、と思いました。一歩ずつの積み重ねが大切で、小さなことがつながり合っているのですね。みなさんとの話の中で未来のヒントを見つけたい」とセッションへの意欲も語りました。
