

12月、街にあたたかい光が満ちるクリスマス。家族でケーキやチキンを囲み、サンタさんからのプレゼントが届くことをドキドキしながら眠りにつく。そして新年を迎えると、お寺や神社に初詣に行く。
あれ? 日本人って無宗教? 宗教って分かっているようで、よく分からない。けれども、実は身近なものなのかもしれない。
そんなモヤモヤを抱えながら、「明日へのLesson」の取材で築地本願寺宗務長・安永雄玄さん(67)を訪ねました。僧侶でありながら元銀行員、元人材コンサルタント、グロービス経営大学院大学教授の肩書も持ち、お寺改革に挑みます。対話したのは国際協力の分野で活躍する田才諒哉さん(30)と、ホームレス支援に取り組む市川加奈さん(28)。宗教の話から、上司との付き合い方にまで話が広がり——。

世間のアカにまみれ…でも
ぶつかって、ケンカして、少しずつ理解が進んでいく。
安永さんは2015年に築地本願寺の代表役員・宗務長に就任。境内にインスタ映えするカフェを設けたり、参拝者をサービスの受け手と位置づけて顧客管理システムを導入したり。参拝者を5年で倍増させました。
一方、全国に多くの門信徒(信者)を抱える伝統宗教の「業界」で、こうした改革を手がけることに迷いはなかったのでしょうか。
市川さんが問いかけます。「既存の組織に入って新しいことを始めようとすると、反発があると思います。そういった反発をどのように乗り越えたのですか」
安永さんは「私のような、世間のアカにまみれてきたビジネスマンがお寺の代表に立つ。それは強い反発がありました」と振り返ります。
まず、取り組んだのは言葉を共通化することでした。ビジネスの言葉を徐々に浸透させ、コミュニケーションを取るようにしたと言います。「何百年も続いてきたのだから、お寺はつぶれません」という人に対して「金もうけを目的にしなくてもいいけれど、支出が収入を上回っていれば、いつかつぶれるよね」といった話をしたそうです。
「試されるのは忍耐力。ふわっと関わって、理解が進むことはない。ぶつかって、ケンカして、少しずつ理解が進んでいくのだと思います」

幸せを追求 もうけも大事
宗教法人もNPOも株式会社も、幸せを求める点では同じ。
宗教とビジネス。この二つは、相いれるのでしょうか。
社会課題にビジネスとして取り組む市川さんが、日ごろの疑問をぶつけます。「『社会に良いことをしているのに、どうしてお金がかかるのですか?』と言われることが多くて……。『お寺は、お金をもうけてはいけない』といったまなざしを感じたことはありますか」
安永さんが、うなずきます。「お寺も『もうけてはいけない』と、よく言われます。でも、『もうけ』の定義は何か。支出と収入の差を言うのなら、もうけがなければ組織の活動を続けていくことはできません」
そして、ファストファッションの例を挙げます。「例えばユニクロは『世界中のあらゆる人々に、良い服を着る喜び、幸せ、満足を提供します』というミッションを掲げます。『もうけを極大化する』なんて言っていません。私たちも『親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教義を伝えて、自他ともに心豊かに生きられる社会の実現に貢献する心豊かに生きられる社会を実現していく』というのが目的です。人々の幸せを目指す、という点では一緒だと思います」

「怖いところじゃない」説く
自分の気持ちを大切に、宗教と関わっていけばいい。
宗教離れ、お寺離れが進んでいると言われます。一方、IT化が急速に進む社会で、宗教に救いを求める人もいます。
田才さんが尋ねます。「カフェを見て、お寺のイメージと違うなと思いました。どのような思考のフレームワークで改革に取り組んでいますか」
安永さんは「既存の組織を壊す意図はなくて……」と笑います。ただ、いつも訪れる人の視点で考えているそうです。「お寺は、信者さんがいなければ成り立ちません。門信徒はどんどん減っていますが、若い世代もパワースポット巡りには熱心だし、縁起がいいと言われると行くし、宗教心は残っています。相手によって教義を最初から説いたりせず、まず『怖いところじゃない』と説いています」
日本人はクリスマスもお正月もお祝いして、自分を「無宗教」だと思っている——。この見方について、安永さんは異を唱えます。
「日本人は宗教心にどっぷり漬かっていると思います。それは『日本教徒』のようなもの。クリスマスも正月もこだわりなく祝うなんて、キリスト教やユダヤ教だとあり得ません。異教の神を拝むのは死を意味するからです」
「都合のいいときに神様にすがる。それでもいいのでしょうか?」と市川さんが尋ねます。
安永さんは「不安な時代。明日、病気で死ぬかも……とさいなまれている時代。頼れるものがあったほうがいい。科学が発達してもコロナのような感染症は起きるし、大地震も予測がつかない。安らぎを与え、落ち着かせてくれるのが宗教だと思います」。

差別のバイアス 誰にでも
違いを認める。ダイバーシティーにはエネルギーがいる。
浄土真宗は約800年前、親鸞によって開かれ、数々の弾圧を受けながらも現代まで続いてきました。異文化への迫害や排斥……。話題は、ダイバーシティーに移ります。
「分かり合えないのは世の常なのでしょうか」という市川さんの問いに、安永さんが答えます。「日本社会は、同一歩調を強います。みんなと同じでないと排斥される。だから差別が横行し、いじめも起こる。異物を排除する文化を変えないといけません」
そして、そのためには個人レベルで意識することが大切だ、と言います。「人間のバイアス(偏見)は、自覚しないと直らない。まずは差別のバイアスを持っていることを認識しなければいけません。私は差別主義者じゃないと思っていますが、そんな私も、実は偏見や予断なく過ごしているのかと反芻(はんすう)しています。常に自己認識との闘いじゃないでしょうか」
おじさんを味方にするには
闘いは硬軟両方。上司には贈り物を持っていく。ごろにゃんこ、も必要です。
社会を変えていくには、何が大切か——。田才さん、市川さんのような若い世代に、安永さんからメッセージです。
「闘い続けるしかない。闘いをあきらめて妥協すると、変えられない。目的がちゃんとあれば目の前で妥協してもいい。仏教では柔軟な心も大切と説いています」
反発を受けながらも、お寺の改革を続ける安永さん。グロービス経営大学院大学でも「闘い方を選べ。闘いとは硬軟両方だ」と教えているそうです。そのときによく言うのが「上司には贈り物を持っていけ」です。
「今どき、お中元やお歳暮を持っていく人はほとんどいません。だからこそ『いつもお世話になっています』と言って持っていけば、大人は『コイツはオレを認めているな』と思うわけです。闘うにしても、いろんな手段がある。『部長、だからダメなんです』というのが闘いじゃない。自分の思っているほうに物事を動かす。世間のおじさんを味方につける。真っ向勝負だけだとダメ。向こうのほうがお金を持っていますから。時には、ごろにゃんこも必要なんです」
お金ではなく 絆でつながる
寺澤愛美(DIALOG学生部)

「お寺に来て楽しい!と思ってもらえるか、サービスの受け手、ビジネス的に言えばいち顧客の目線で常に考えています」。この言葉を聞いたとき、衝撃を受けました。「顧客」という言葉は私の中で「お金をたくさん稼ぐこと」とリンクしていたからです。
人の思いが交錯するお寺という場所とは、無縁な言葉ではないかと思っていました。安永さんが放つ「顧客」の裏には「訪れてくれると、うれしくなる相手」「丁寧に関わりたい相手」という意味が隠れていると感じました。みんなが気軽に訪れられる場所を守っていくために、変化を恐れず、考えを止めずに走り続けてきたからこそ、今があるのだと思います。
お話をうかがって、社会の荒波を乗りこなすための知恵を、安永さんから教わったような気がします。嫌なことに目をつむらず、腹を割って本音でぶつかり合う。新たな環境で、周囲からの風当たりが強くても、頭を柔らかく、向き合ってみる。そんな人との接し方ができるように、私もなりたいです。
安永雄玄(やすなが・ゆうげん)
1954年生まれ。三和銀行(現三菱UFJ銀行)に21年間勤務。本社での経営企画管理や、人事評価企画・研修から、国際業務戦略の立案まで幅広く担当する。外資系大手エグゼクティブ・サーチ会社(ラッセル・レイノルズ社)を経て、株式会社島本パートナーズの代表取締役社長として経営幹部人材のサーチ・コンサルティング業務に従事。2015年から築地本願寺宗務長として寺院の経営や、首都圏での新しい伝道活動に従事する。