

気候変動や飢餓、貧困や格差など、国境を超えた課題が山積している今日。課題解決のために、SDGs(持続可能な開発目標)を提唱する国連をはじめ、世界各国の政府から国際機関、NGOまでさまざまな組織が活動しています。
そうした国際的な協働に関心を持ち、複数の国際機関で分野横断的に経験を積んできた日本人がいます。田才諒哉さん(30)です。現在はNGOの職員として海外の現場に赴く一方で、国際協力に関心を持つ人々を結ぶオンラインコミュニティーを主宰するなど多面的に活動しています。田才さんが国際協力に関心を持ったきっかけから現在の活動に至るまでの考え方やキャリアの変遷について、話をうかがいました。
エチオピア、マリ…農業支援
——現在の活動について教えてください。
今は国際協力を軸に、大きく三つの活動をしています。
メインは、ササカワ・アフリカ財団という国際協力NGOでアフリカの農業支援をしています。今はエチオピア、ウガンダ、ナイジェリア、マリの4カ国を担当していて、定期的に出張して現地スタッフと農業支援の現場を見て回りつつ、東京本部でアフリカ全部の事業のマネジメントや資金調達のためのプロポーザル作成などをしています。
コロナ禍でも、2021年に入ってからは感染対策をしっかりした上で6カ国ほど視察しました。農業支援は報告書を読むだけでは現地の生活を想像しきれず、支援に間違いが生じかねないので、現場に行って確認できたのは本当に大きかったです。

国際協力サロン 若者ら170人
個人としては、「国際協力サロン」というオンラインコミュニティーを運営しています。2018年10月に立ち上げてから、定期的な勉強会やイベント、スタディーツアーなどを実施してきました。
メンバーとしては国際協力の仕事をしている人や、今後していきたい人、企業、NGO、国連、JICA、青年海外協力隊、学生など多様なバックグラウンドを持った人たちが、20〜30代を中心に170人程度参加しています。
普段は組織の一員として国際協力に関わっているメンバーにとって、サードプレイスになるような場所を作りたくて。セクターの壁を越えて、個人として国際協力にどう向き合いたいか、どういうことをやっていきたいかなど個人の「ウォント」を前提として関われる場にしたいという思いで運営しています。
もう一つ、2021年6月からはJANIC(国際協力NGOセンター)の最年少理事をしています。JANICは「国際協力NGOを支援するNGO」で、国際協力業界全体を底上げする活動をしています。
——国際協力を軸に、さまざまな活動をされているのですね。
一つのことを極めるスペシャリストよりは、ゼネラリスト的な存在のほうが向いているのかなと思います。さまざまな立場から国際協力に関わっていくことが結果的にどの仕事にもプラスになっていて。いろんな経験があるからこそ全体を見ながら事業を回せるというところで、今後も力をつけていきたいです。

大学時代 パラグアイで得た気づき
——どんな学生時代を過ごされたのですか。
高校までは目の前のことに精いっぱいでした。もともと学校の先生を志望するくらい学校が好きで、あとはサッカーとそろばん漬け。毎日、部活の後にそろばん教室に通って、読み上げ算の部門で全国3位になったこともあります。よくあんな忙しい生活をしていたなと思いますね。
一方で国際協力には全く関心がなくて。20歳まで一度も海外に行ったことがなかったですし、社会問題や国際情勢にも全く関心がなかったので、ずっと日本国内で生活していくんだろうと思っていました。
——どのようにして国際協力に関心を持つようになったのですか。
二つの気づきがあったと思います。
一つ目の気づきは、大学2年生のときに友だちについていって入った国際協力のゼミで児童労働や教育など途上国の課題を勉強して、自分の知らない世界があることを知ったこと。
二つ目は大学3年生のとき、学校のプログラムでパラグアイに1カ月間行ったこと。ネガティブなイメージばかりを持って行ったのですが、現地を見て発信されていないポジティブな部分もたくさんあると知りました。
そこから、国際協力をもっと知りたい、もっといろんな途上国の現場や現地の人の生活を見たい、という関心につながっていきました。

卒業後クラファン支援 また現地へ
——国際協力に関心を持ってから、行動に変化はありましたか。
もっと長く現地で生活したい気持ちと、当時やっていた教育支援を農村部の教育改善に生かせないかという思いから、大学を1年間休学してパラグアイに行きました。
そこで見た途上国の良い面を発信したいと思って、帰国後に横浜でカフェを借りて国際協力カフェを開催して途上国の料理や飲み物を出したり、エシカルな商品を売ったり、途上国で活躍されている人の話を聞ける機会を作ったり。国際協力サロンで今やっているようなことをオフラインでやっていました。
——大学卒業後はどのような進路を選ばれたのですか。
一度現場から離れて「READYFOR」という会社に入って、クラウドファンディングの伴走支援をしながら、国際協力団体のファンドレイジングを支援するプログラムを作りました。
国際協力団体、特にNGOは資金面で困っているところがすごく多いので、一般の人から寄付を募って、国際協力の現場で十分な活動ができるようにサポートするプログラムでした。
ただ、現地に行きたいという気持ちも強かったので、転職して医療支援NGOに入りました。スーダンに駐在して、診療所や井戸をつくったり巡回診療をしたり、WFP(国連世界食糧計画)と栄養改善のプロジェクトを実施したり。特に保健分野に関わる活動をさせていただいていました。

「国連で働きたい」 イギリスの大学院へ
——その後に、大学院に進まれていますね。
イギリスのサセックス大学大学院に進学しました。当時から将来は国連で働きたい気持ちがあったのですが、国連職員になるには修士号が必要とされることが多いです。そこで、英語で学べて、開発学の分野で世界一の評価を受けているサセックス大学大学院を選びました。在学中はキャッシュトランスファーという、現金給付による開発支援を研究して、修士号を取得しました。
——国連職員になりたいと思ったきっかけは何ですか。
スーダンでWFPと一緒に仕事をしたことですね。予算の限られたNGOで働いていたのですが、WFPはNGOと同じくらい現場の裁量に任されていながら、スピード感を持って支援をしていました。援助・支援に対するパッションも感じて、カッコいいなと思い国連に興味を持ちました。
大学院修了後の2020年からは、JICAの海外協力隊員としてWFPのマラウイ事務所で働き、貧困状態にある人たちに食料や現金を給付するプログラムなどを担当しました。
大学院の研究で、対象地域の状況によっては、食料を渡すよりも現金を給付したほうが、栄養状態が改善したり家庭全体のウェルビーイング(幸福・健康)が向上したりすることが分かっていました。オペレーションの面でも食料の運送コストなどが削減できます。研究したことが仕事につながって良かったな、と思います。

現地語が話せない…自分の強みは?
——WFPで働いてみてどうでしたか。
期待通り面白い組織で、楽しく仕事ができました。ただ、働く中で自分にできることが少ないと思ってしまって……。マラウイ事務所の職員の約8割を占める現地スタッフは優秀で、現地の言葉も話せます。農村部に行くと、現地語をしゃべれない僕にわざわざ英語で通訳してくれる。自分がいなくても十分に仕事が回る現場で、自分の存在は役に立っているのかな?と考え込んでしまいました。
そこから、自分にしかできないことはなんだろう、と考えるようになりました。当時マラウイ事務所で日本人は僕だけだったので、日本政府から支援をしてもらうために在マラウイ日本大使の方にWFPの現場を見てもらって、資金調達のためのプロポーザルを提出するファンドレイジングに関わりました。
世界的に見れば日本は経済的に余裕のある国なので、日本人であることは強みです。今後もそれは求められることなのかなと思います。

人を巻き込む インパクトを与える
——国際協力の世界で、これからやっていきたいことは。
二つあります。一つはプロフェッショナルに国際協力を突き詰めて現地にインパクトを与えることです。残念なことに、世界の飢餓や貧困などの問題は悪化の道をたどっているものもたくさんあります。気候変動による影響への対策も急ぐ必要があります。大国が何十年も大金をかけてきたけれど、課題は解決していない。より大きな変化が必要だと感じています。
NGOという立場だとできることも限られますが、幸いJANICのようなNGOを支えるNGOという立場にもいるので、民間企業や政府も巻き込んで途上国で成果を出せるような新しい仕組みを提案して作るとか、そういう業界のパラダイムを変えられるようなことをやっていきたいです。
もう一つは、国際協力にどんどん人を巻き込んでいくことです。国際協力サロンや国際協力カフェの活動がそうですが、あまり国際協力に関心がない人にも国際協力や途上国のポジティブな面も伝えて、国際協力に関わる人が増えていったらいいなと思っています。

国際課題への取り組み 加速させる
——朝日新聞DIALOGのテーマは「2030年の未来を考える」。2030年にどうなっていたいか、国際協力はどうなっていくか。予測と期待を教えてください。
SDGsや(社会貢献などの取り組みを重視する)ESG投資が急速に盛り上がってきていて、気候変動などの国際課題に対しても深刻さが認められてさまざまな動きが起きています。
人々の意識の変化もそうですし、政府の政策にもそれが少しずつ反映されている。そう考えると国際協力に関わる人は間違いなく増えていくと思うのですが、それを加速する必要があると感じます。
SDGsなどの盛り上がりがあっても、課題の深刻さが増すスピードを超えていかないと課題は解決しないので、もっと国際協力が盛り上がるように貢献していきたいです。
——国際協力の面白さ、若者に伝えたいことはありますか。
国際協力の魅力の一つは、自分自身がマイノリティーであると強く感じる経験ができることです。国際協力の現場では自分と異なる価値観や生活をしている人と対面していろんな衝撃を受けますし、だまされたり言葉が通じなかったりといったことも経験します。
でも、マジョリティーでないという経験をすることで、社会で隅っこに置かれている人の気持ちが分かったりもする。その経験を持って日本に帰ってくると明らかに視点が変わります。社会のことをいろんな立場から、優しい視線で見ることができるようになると思います。
軸は見つかる 小さなきっかけから
岸峰祐(DIALOG学生部)

「結構、行き当たりばったりで」
田才さんは自身のキャリアについてこう語ります。経歴を見ても、一つのゴールに向かってまっすぐに進んできたわけではなさそうです。でも実際に教育、農業、医療などさまざまな領域の支援に関わったり、自分が役に立っていないと感じる経験をしたり、とりあえずコミュニティーを運営してみて今まで続いて——。国際協力を軸にいろんな経験を重ねて学びを得てきたからこそ、やりたいことが明確になっていって今の活動につながっているのだ、という印象を受けました。
田才さんにとって、全く知らない国際協力の世界に飛び込むきっかけは仲が良い友人についていって入った大学のゼミ。きっかけは、時にほんの小さなことかもしれません。大事なのは、そこからどう自分なりに活動していくか、チャレンジしていくか。国際協力の世界に限らず、小さなきっかけから人生が大きく動いていくことがあると思います。
「気軽に国際協力に関わる人が増えてほしい」。田才さんの願いです。この取材をきっかけに、国際協力の世界ものぞいてみようと思います。
田才諒哉(たさい・りょうや)
1992年生まれ。新潟県出身。英サセックス大学 Institute of Development Studies修了(開発学修士)。ササカワ・アフリカ財団のジュニアプログラムオフィサーとして主にエチオピア、マリ、ナイジェリア、ウガンダの農業支援に携わっている。JANIC(国際協力NGOセンター)理事。これまでに青年海外協力隊員としてザンビアでコミュニティー開発、NGOの駐在員としてパラグアイやスーダンでJICAやWFPとの協働プロジェクトの実施、WFPマラウイ事務所で人道支援に従事。ニューズウィーク日本版「世界に貢献する日本人30」に選出。