「限界までやる」父との約束 夢について今、思うこと元プロ野球選手・黒田博樹さん:朝日新聞DIALOG
2022/03/19

「限界までやる」父との約束 夢について今、思うこと
元プロ野球選手・黒田博樹さん

By 久野俊紀(DIALOG学生部)

 プロ野球にあまり興味がない人でも、アテネ五輪で日本代表チームの投手として銅メダル獲得に貢献し、大リーグでも活躍した黒田博樹さん(47)の名前は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

 若い世代が各界の著名人と対話する「明日へのレッスン」。今回は元プロ野球選手の黒田さんをゲストに迎えました。

 インタビュアーは坂野晶さん(33)と伏見崇宏さん(30)。坂野さんは、脱炭素社会をめざす一般社団法人Green Innovationの共同代表。伏見さんは、社会課題解決プラットフォームICHI COMMONSの創業者です。社会課題解決をめざす2人が、黒田さんと野球との関係から、夢をかなえることについて聞きました。

広島カープ時代の黒田さん

高校で挫折 次のステージを信じて

 父に約束させられたのは、最後までやり通すこと。

 小学1年生から野球を始め、41歳になるまでプロとして活躍した黒田さん。「実は野球が好きでなかった」と言う黒田さんに、伏見さんは野球に熱意を持ち続けられた理由を聞きました。

 黒田さんは「話し出すと長くなるが……」と、前置きして話し始めます。小学1年生のときに友だちに誘われ、地元の少年野球チームに入りたいと父に言ったら反対された、と言います。

 黒田さんの父も、南海ホークスなどで活躍した元プロ野球選手。「父が昔、野球をしていたのを知っていたので、『野球をやりたい』と言ったときに、すんなりさせてもらえるかな?と思った」

 結局、野球をやらせてもらえることになりましたが、条件をつけられました。「約束させられたのは、最後までやり通すこと。限界と思うところまで、やり通さないといけないと思いました」

 小中学校では、野球が楽しくて仕方がなかったそうですが、高校で挫折を味わうことになりました。小さいコミュニティーでは技術的に引けを取らなかったものの、高校に入ると広い地域から多くの優秀な人材が集まってきました。

 「僕は3年間エースでもなく、大会でもほとんど投げたことがなかった」と言い、力のなさを痛感したそうです。「先輩・後輩という縦のつながりがある中で、ちょっとしんどくて、壁にぶちあたった3年間。イメージ通りの野球生活が送れなかった。楽しかった野球が、苦しみに変わった」

 そして、父と交わした約束を果たすべく「高校3年間は、嫌いになった野球でも続けないといけない。3年間が終われば、違ったステージで野球ができるかもしれない。その日その日をがんばろうと思った」と振り返ります。

坂野晶(さかの・あきら) 1989年、兵庫県生まれ。一般社団法人Green Innovation理事・共同代表。日本初の「ゼロ・ウェイスト宣言」を行った徳島県上勝町の廃棄物削減、循環型社会のモデル形成に貢献。2019年、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)共同議長に選出。2020年からゼロ・ウェイスト・ジャパン代表。2021年、脱炭素イノベーションのための人材育成プログラム「Green Innovator Academy」を共同設立。

諦めなければ夢はかなう?

 夢をシフトチェンジするのも大事。

 坂野さんは、黒田さんの「小さい目標を立て、コツコツとクリアしていくことに喜びを感じた」という話に共感します。「夢を持つこと、大きな目標を掲げることが大事だと言われています。一方で、目の前の小さい目標を一つずつクリアしていくことで結果的に到達する場所がある、ということが話されません」

 黒田さんは「諦めなければ夢はかなう、と簡単には言えない」と応じます。そして「夢は簡単にかなうものではないし、諦めきれないことで選択を間違ってしまうこともある」と指摘。若い世代を指導し、育てることの難しさを感じているそうです。

 「どうしたら夢を持つことができるのか」と聞かれることも多い、と言う坂野さん。「夢を持たねばならない」という考え方にも疑問を感じるそうです。黒田さんが高校時代、野球を続けるのがつらくなったとき、どういうことを考えて前を向いたかに興味津々です。

 「環境が変わるタイミングがチャンスだった」と黒田さんは答えます。高校には各地からプロをめざす選手が集まりましたが、途中から違う道に進む人もいました。大学に進むと、さらに優秀なアスリートが集まりましたが、そこでもまた目標を転換する人がいたそうです。そして、それは間違ったことではなく、新しい方向に進むことも大事だと黒田さんは語ります。

 「自分を信じていれば必ずトップのプレーヤーになれる、とは限らない。自分をしっかり見極めることが大事。夢をシフトチェンジするのも大事だと思う」。

伏見崇宏(ふしみ・たかひろ) 1991年、シンガポール生まれ。ICHI COMMONS創業者・代表取締役。米アラバマ州で幼少期を過ごし、12歳のときに日本に帰国。慶應義塾大学在学中に教育系NPO HLABの立ち上げに携わり、卒業後はゼネラル・エレクトリックに入社。同社のCFO育成プログラムで東京や新潟の工場で各事業部のプロジェクトを推進。その後、社会的投資の支援をする一般社団法人C4に転職し、同時に米系投資銀行でアレンジャー業務に従事。2020年1月にICHI COMMONS創業。

チームプレー エースとしての葛藤

 いろんな人の考え方を理解しないとダメ。

 広島カープが低迷していた2000年代、黒田さんはエースとしてチームを引っ張っていく存在でした。坂野さんは「どんなことを考えてチームメイトにアプローチしたのですか」と黒田さん流「危機の乗り越え方」を尋ねました。

 黒田さんは「まずは、自分が投げる試合で勝たないとチームとして上に行けない」と意識した、と言います。一方、野球はチームプレーで、自分一人だけがんばったところで勝てません。周りの選手に対して「みんなでもう少しがんばろうよ」と思ってしまったときがあったそうです。

 黒田さんはこう振り返ります。「チームの中で浮いていないかな?という怖さもあった。でも、プロとして、俺たちは勝たなければいけない。葛藤がありました」と打ち明けます。

 「同じプロ野球選手でも、考え方は人それぞれ。正解はない。『自分が、自分が』ではなく、いろんな人の考え方を理解しないとダメかな、と若いときに感じました」

「広島東洋カープから来ました」

 カープファンで良かった、と思ってもらいたかった。

 「Proud to be an American(アメリカ人であることを誇りに思う)」という言葉を挙げて問いかけたのは、アメリカにいた経験がある伏見さんです。伏見さんは、黒田さんのアイデンティティーに関心があるようです。

 黒田さんは2006年、FA(フリーエージェント)の権利を取得。翌年、広島カープから米大リーグに挑戦の場を移します。「広島を去る僕は、球場でファンの声援を受けました。大リーグを終えて広島に帰ってきたのも、昔、広島市民球場で1万人くらいしか入らなかったときに来てくれたファンへの思いが強くて……。カープファンで良かった、と思ってもらいたかった」と話します。

 カープへの、そして広島への思いは、大リーグに渡ったロサンゼルス・ドジャースの入団会見での言葉にも表れていました。

 「日本のプロ野球、広島東洋カープから来ました黒田博樹です」

 これについて黒田さんは「自分の中ですごく熱くなったのが、その言葉になったのではないか」と話し、カープファンの力に後押しされ、カープというチームから選ばれて来た、という気持ちだったと言います。

2016年、優勝報告会でサインボールを投げる広島の黒田さん

逆境をモチベーションに これからも

 マウンドに登るのが怖かった。だから準備をして対策した。

 次世代のリーダー育成の難しさを訴えるのは坂野さんです。アドバイスを求められた黒田さんは、野球以外の分野でのアップデートの早さに触れ、「責任がある以上は恐怖心との闘いで大変ではないか」と逆に問いかけます。

 坂野さんは「新しい考え方が周りでも生まれていくし、自身もアップデートしなければなりませんが、大事なことは一方的に教えるだけでなく、ともに学び合うこと。教える側も一緒に学んでいます」と言います。

 黒田さんは「教えるって怖くないですか?」と問いかけ、自身の現役時代に思いを巡らせます。「マウンドに登るのが怖かった。だから準備をして対策していた」。恐怖心がモチベーションになっていたと、引退して改めて思うようになったそうです。

 最後に、次の目標を聞かれた黒田さんは「野球を引退して5年。今、やることを探している時期。野球への恩返しも必要ですが、それプラス、野球以外のこともやってみたい気持ちがある」。その表情は決して暗いものではなく、どこか希望に満ちあふれているように見えました。

夢を追う 今を生きる
久野俊紀(DIALOG学生部)

 野球が好きな私にとって、黒田博樹さんのお話を聞けたことがとてもうれしく、貴重なものでした。

 「努力すれば夢はかなう」という言葉をよく聞きますが、私はこの言葉があまり好きではなく、この言葉を「夢をかなえるには努力するのが当たり前。努力したからといって必ずかなうわけではない」と考えています。

 私には、高校生のときから裁判官になりたいという夢があります。しかし、その夢は大きく、かなえるのに相当な努力が必要だと感じます。「諦めなよ」と誰かに言われれば簡単に諦めることができるかもしれない一方で、仮に言われたとしても、その夢をかなえてみんなを見返したいという思いもあります。

 また、以前から、私にとって夢はいつまで追い続けていいものなのか、いつ現実を見て見切りをつけるべきなのかという悩みを持っていました。今回の話を聞き、それに答えはないことが分かりました。

 黒田さんが「今、高校時代の自分に声をかけるとしたら」と聞かれ、「人生、どこでどうなるか分からない」と答えていたのが印象的でした。プロで活躍された方でもどうなるか分からず、その日その日に一生懸命であるならば、一般人である私は、より一生懸命に生きねばならないとも感じました。

 黒田さんの話を聞き、勇気をいただきました。夢を語るのも悪くはない。しかし、大事なのは自分と向き合うこと。自分と向き合った先に、何かが見えるのかもしれません。


黒田博樹(くろだ・ひろき)

 1975年、大阪府生まれ。小学1年生から野球を始め、専修大学から1996年ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団。2004年、アテネ五輪では中継ぎとして銅メダル獲得に貢献。2007年、MLBロサンゼルス・ドジャースに入り、2012年、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。2015年には、MLBの球団から高額オファーを受けるも古巣の広島東洋カープに復帰。2016年にセ・リーグ優勝を果たし、現役を引退。背番号の15番はカープの永久欠番となっている。広島市民賞(2回)、広島県民栄誉賞を受賞。

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