異彩を、放て 無数の個性がきらめく社会に松田文登さん:朝日新聞DIALOG

異彩を、放て 無数の個性がきらめく社会に
松田文登さん

By 阿部千優(DIALOG学生部)

 知的障害のある作家が描くカラフルな個性をまとった作品が、服やインテリア製品、街の電車にあしらわれ、世の中へ。そのコラボレーションは、たくさんの企業に広がっています。

 「障害=個性」。社会の認識を変えるためアートを武器に挑戦する、株式会社ヘラルボニー代表取締役副社長の松田文登さん(30)に話を聞きました。社会のゆがみを問う、優しく力強い言葉が並びます。

イノベーターセッション DIALOG学生部は、若い起業家やアーティスト、社会活動家など、明日を切りひらこうとする人たちを定期的に招いています。活動への思いや生き方、めざす世界を共有して、その果実をDIALOGウェブサイトで発信します。

——ヘラルボニーの事業を教えてください。

 アートに特化した福祉施設が日本各地にありますが、そのうち37の社会福祉法人とアートのライセンス契約を結び、主に知的な障害のあるアーティストの作品を様々な「もの・こと・場所」に落とし込む事業を展開しています。

 ヘラルボニーの目的は、「障害」に対する認識を「欠落」から「違い」「個性」へと変化させることです。

 異彩を、放て。これを会社のミッションとして掲げています。障害のある方の才能やこだわりを「異彩」と定義して全国各地に放っていくことで、「障害」の概念や、この言葉が持つイメージを変容させることを目指しています。

(左から)文登さん、翔太さん、崇弥さん

異彩を、放て。知的障害。その、ひとくくりの言葉の中にも、無数の個性がある。豊かな感性、繊細な手先、大胆な発想、研ぎ澄まされた集中力…… “普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う。僕らは、この世界を隔てる、先入観や常識という名のボーダーを超える。そして、さまざまな「異彩」を、さまざまな形で社会に送り届け、福祉を起点に新たな文化をつくりだしていく。

ヘラルボニーHPから

兄が記した 謎の言葉

——会社を立ち上げた経緯は。

 ヘラルボニーは双子の弟である崇弥と立ち上げました。現在は岩手と東京の2拠点に分かれて活動しています。きっかけは、自分たちの四つ上の兄(翔太さん)に先天性の知的障害があったこと。幼少期から、兄に対する「かわいそう」という言葉に違和感がありました。世の中には、「障害」という言葉だけでカテゴライズしてしまう人がいる。障害のある人も一人の人間であり、個性として捉えられる世の中にすることを事業の本質としています。

 「ヘラルボニー」という言葉は、もともと兄がよく記していた謎の言葉でした。障害のある方が面白いと思っていても、言語化できないことがきっとある。その思いを新しい価値として創出できるような会社でありたいという思いを込めて、会社の名前にしました。

 道の駅などで、障害のある方が手掛けた革細工が売られているのを見たことはありますか。それらの値段は500円ほどだったりする。買い手は親御さんや、施設の職員さん。とても事業として続けられる金額ではありません。

 私たちは職人さんたちと組み、障害のある作家の方々をビジネスパートナーとして捉え、適切な賃金が収入としてバックされる仕組みを作っています。ですから、私たちは「支援」「貢献」といった言葉は使いません。

「岩手」語り継がれるために

——拠点として、岩手を選ぶ理由はありますか。

 まず、岩手は私たちの地元だからです。また、岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」は、会社を立ち上げるきっかけにもなりました。障害のある作家の方々のアート作品に触れたときの感動や、そのときに感じたアイデンティティーやスタンスを忘れたくない、という思いもあります。

 ビジネスの規模や成長を考えると、東京に全てを集約することが理想なのかもしれません。ただ、私たちは5年、10年で終わる会社ではなく、世代を超えて続く会社を目指しています。東京のような変化の多い場所ではなく、行政と互恵関係を築き、観光資源と捉えてもらって「長く一緒にやっていく形」を目指すことができる、この岩手を拠点にすることにしました。

——岩手の方々とのつながりは。

 行政の方とは定期的にやりとりをしています。盛岡にある百貨店のカワトクさんや岩手の小岩井農場さんとのコラボレーションも、地元とのつながりの一つです。

——企業などとは、どのようにコラボレーションが決まるのですか。

 私たち側からは「追わない」と決めています。私たちが営業するということは、ある種、障害のある方の「支援」を助長させるからです。「一緒にやりたい」と思ってもらえる企業を増やすことが重要だと考えています。

「ダウン症 産むことを決意」

——会社を立ち上げて、どのような反響がありましたか。

 以前、妊娠中の赤ちゃんがダウン症だと判明した、という方から連絡をいただきました。「ダウン症の子を産むことは、本人や家族にとって、つらいことではないかと思っていた。しかし、ヘラルボニーを見つけ、産むことを決意しました」。私はこの連絡をもらったとき、責任を感じました。

 現在、出生前で検査で陽性が確定した人のうち、9割が中絶を望むと言われています。障害があったとしても、その子が暮らしやすい社会を持続させていくために、挑戦し続けないといけません。

同じ人間なんだ 作文が原点

——お兄さんの存在によって、文登さんの思いに変化はありましたか。

 両親は福祉に積極的でした。週末には家族で福祉団体に行くことが習慣で、そこには様々な障害のある方々がいました。ともに過ごす中で「存在していることが当たり前」と思っていました。

 私が小学4年生のときに書いた作文があります。タイトルは「障害者だって同じ人間なんだ」。自分の兄や障害のある方と外に出たときに、同年代くらいの子が指さして笑っていたことに、憤りを覚えました。「僕らと同じように見てほしい」。そんな思いをつづった作文は、私の原点になっているのかもしれません。

 一方で、私たちが今取り組んでいるのは、障害のある方への差別や偏見をなくすための啓発的な発信ではありません。アートとの出会いを通じて、作品や作家に対してのリスペクトが生まれ、認識がグラデーションのように変わることが理想です。ヘラルボニーを知ることで、潜在的な変化につながることを目指しています。

福祉施設 ぜひ足を運んで

——日常を過ごしていて、障害がある人との関わりに悩むことがあります。どう接したらよいのでしょうか。

 どう接するかではなく、一緒にいることを許容する。私たち一人ひとり性格が違うように、それぞれに思いやりを持つことが大切なんだと思います。

 コラボレーションする企業の方と福祉施設に行くことがあります。その世界はいたって普通で温かく、フラットに会話することもできる。ぜひ、この体験は、みなさんにしてほしいなと思います。

「障害」 言葉に違和感

——どのような人と仕事がしたいと考えますか。

 会社のバリューとして六つ定めており、その中の一番上には「じぶんが、主役だ。」とあります。「障害のある人のために」という動機だけではとても弱いと思うのです。もちろん、その気持ちは大切ですが、自分はどう思っているの?ということが一番大事。自分の言葉を持っている人や、芯が強い人と働きたいと思いますね。

——世の中と自分が見る社会。ギャップを感じることはありますか。

 「障害のある人は何もできない」と思っている人もいるのではないかと思います。「障害」の定義が広くなってきている社会で、障害の種類が正しく理解されていないとも感じます。

 また「障害」という言葉が今の時代にマッチしていない、とも考えています。「障害」という言葉が持つネガティブな力や先入観がぬぐえない。今でこそ、世界から日本の魅力と評価される「オタク」という言葉も、昔はとてもネガティブな意味を含んでいました。「障害」という言葉があることで、障害のある方がセーフティーネットに入れるなど、必要ではあるのですが、伝え方に違和感がありますね。

「得意」「好き」生かせる社会に

——文登さんが想像する、10年後の社会は。

 障害の有無にかかわらず人の違いにリスペクトが生まれ、加速していくのではないでしょうか。人の「得意」や「好き」に仕事がアジャストされていくイメージです。

 就労支援施設では、取り組む仕事が決められていて職業選択に自由がない、という現状があります。それぞれの特性が可視化されて、好きなことがやれるような社会になっていればいいなと思います。

——ヘラルボニーの10年後については。

 異彩を、放て。この「異彩」が拡張されていくと思っています。アートだけでなく、得意なところに仕事が回っていくような。「ベッドメイキングが得意」でもいいんです。

 今は社会側の目線を変えることを指標としてやっていますが、その先は、障害のある本人たちの幸せを追求していきたいです。

 経営がうまくいっていない温泉施設やスキー場などを、ヘラルボニーが「福祉で再生させる」といったこともやりたいなと考えているところです。

岩手をヘラルボニーの聖地に

——最後にメッセージをお願いします。

 今の社会は、場所にかかわらず挑戦できる点が魅力ですよね。地方で仕事をしていると、例えば東京に出たときに「岩手の会社なんですね」と声をかけてもらえたり、岩手の人からは「東京の銀座でやったの?」となる。どちらにも価値を感じてもらえるところに良さを感じます。

 将来的には、岩手というまちがヘラルボニーの聖地になることを目指したいです。そのためにも、多くの方と協力して事業に取り組んでいます。岩手に遊びに来た際は、ぜひ、ヘラルボニーを見に来てください。

はみ出してもいい もう恐れない
阿部千優(DIALOG学生部)

 学校という社会の中で大事だったのは「人と同じ」価値観であり、「普通」からはみ出すことを恐れる。障害のある子と「普通」の子たちの間には、隔たりがあったように感じます。

 そして先生は、その隔たりを埋めようと働きかけた。「普通」というボリュームゾーンにいる子が、抜け出して自分から歩み寄ることは難しかった。私の幼き、もどかしい記憶です。

 ヘラルボニーが目指すのは、障害のある人との隔たりをなくすことだけではない。弱者に手を差し伸べることでもない。ただ、違いを認め合う社会だと知りました。

 学校の展覧会で、障害のある子が作った刺繡(ししゅう)の作品に驚いたことを思い出しました。同い年とは思えない、細かく色鮮やかで、目を引くものでした。

 あのとき必要だったのは、この感情だけだったのだと思います。あの頃の私に会えるなら、「この作品を作った子に、すごいねって伝えておいで」と声を掛けます。

 人はそれぞれ得意なものが違って、好きなことも違う。そもそも、「普通」など存在しない。障害のある人にとどまらない、人の個性を認め合う世界が、なんだかとてもいとおしいです。


松田文登(まつだ・ふみと)

 1991年、岩手県生まれ。ヘラルボニー代表取締役副社長。ゼネコン会社で被災地の再建に従事。その後、双子の弟、松田崇弥(たかや)と共にへラルボニーを設立。4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、福祉領域のアップデートに挑む。ヘラルボニーの営業を統括。岩手在住。世界を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN 2019」受賞。

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