沖縄の未来 世代を超えてつくる本土復帰50年 地元メディア・市民活動の現場から:朝日新聞DIALOG
2022/06/18

沖縄の未来 世代を超えてつくる
本土復帰50年 地元メディア・市民活動の現場から

By 神里晏朱、徳田美妃(DIALOG学生部)

 第2次世界大戦後、米軍に統治されていた沖縄が日本に復帰して今年で50年。「沖縄を考える 沖縄から考える~復帰50年、そして未来へ」と題したシンポジウムが5月末、都内で開かれました。DIALOG学生部のメンバーが、登壇者の沖縄タイムス編集局長・与那嶺一枝さん(57)と、沖縄まちづくりファシリテーター・石垣綾音さん(32)にインタビュー。現在の取り組みと、未来への思いを聞きました。

沖縄の日本復帰 沖縄は戦後27年間、米軍の統治下に置かれた。東西冷戦下、米国は沖縄を軍事拠点化。1972年5月15日に日本に復帰したが、現在も国内の米軍専用施設の7割が沖縄県に集中している。沖縄県側は、基地負担の軽減のほか、米兵による犯罪に対して日本側の捜査に制限がかかる日米地位協定の見直しなどを求めている。

与那嶺一枝さん(右)とインタビュアー・徳田美妃(DIALOG学生部)

対話・コラボ 分かり合うために
沖縄タイムス編集局長・与那嶺一枝さん

——沖縄復帰に関わる情報発信で大切にしていることは何ですか。

 「復帰とは何か」「復帰前はどうなっていたのか」を知らない若い世代も増えてきたので、分かりやすい発信をより意識しています。また、これまであまり報道してこなかった問題の検証を大切にしています。

復帰したら雪が降る? 調査

——分かりやすい発信の例を教えてください。

 NHK沖縄放送局と一緒に「復帰検定」という企画を始めました。復帰前後のファッションなど、生活に寄り添った「やわらかい」情報から復帰について考えてもらおうという企画です。「復帰したら(沖縄にも)雪が降る」と言われたのですが、どうしてそんなうわさが流れたのかを調査して、新聞とテレビ番組で「復帰検定」として発信しました。

——検証ではどのような取材をされましたか。

 最も大きい検証テーマは、復帰後に沖縄に入ってきた自衛隊の問題です。沖縄タイムスとして米軍基地の問題は長年取材してきましたが、自衛隊については深く取材してこなかったという背景があります。しかし近年、(中国を念頭に置いた)自衛隊の南西シフトが進んでいます。与那国島や宮古島にはすでに陸上自衛隊の駐屯地があり、来年3月には石垣島にも配備されます。そこで、復帰後50年をさかのぼって自衛隊の問題について検証しました。

与那嶺一枝(よなみね・かずえ) 1965年、沖縄県生まれ。琉球大学を卒業後、90年に沖縄タイムス入社。ホームレスの生き方を見つめた連載「生きるの譜」で2010年貧困ジャーナリズム大賞。18年7月から編集局長。

他メディアとコラボ 県外へも発信

——実例を教えてください。

 辺野古に造られる基地は、自衛隊も米軍と共同で使用するのではないかという話がありました。沖縄タイムスには自衛隊担当記者がいなかったので、なかなか自衛隊側から「裏」が取れない(事実確認ができない)。長年自衛隊を取材してきた他メディアの記者に連絡を取り、一緒に取材することになりました。このようなコラボは、ほとんど例がありませんでした。今回はそれぞれの強みを生かして、埋もれていた事実を掘り起こし、昨年1月に「辺野古新基地に自衛隊常駐 海兵隊と極秘合意」という記事にできました。

——沖縄タイムスとして発信していきたいことは。

 一番はやはり基地問題です。現在、ロシアのウクライナ侵攻や台湾有事に関して、東京サイドから「防衛費2倍」「核の共同保有」など強い言葉が流れてきます。沖縄には、台湾有事となったら巻き込まれる懸念が強くあります。沖縄タイムスは、このような問題を県外へも分かりやすく発信していかないといけないと考えています。

強い言葉だけではなく

——沖縄の問題を、本土の人々も含めて話し合うために必要なことは。

 基地問題がなかなか解決しないため、沖縄のメディアはこれまで「不条理」や「構造的差別」といった強い言葉で批判してきました。でも、それだけでは、例えば東京の人たちにとっては腰が引ける部分があると感じています。安全保障は日本全体の問題です。だからこそ批判だけではなく、一緒になって考えていくことが必要だと思います。沖縄のメディアとして地元のことをよく知っている強みがあり、在京メディアは国の政治や行政、アメリカの情報などをよく知っています。それぞれの強みを生かしてコラボして、問題解決につなげられたら理想的だと思っています。

マイノリティーの視点 大切に

——若い世代に向けてメッセージをお願いします。

 興味のあるままに、遠慮せず、やりたいことをやってほしいですね。失敗して糧になることもあります。私自身、うつ病で半年間休職したことがあります。その経験からホームレスの問題を取材するようになり、マイノリティーの視点を意識するようになりました。そうすると、沖縄の問題に、福島などの被災地やウクライナ侵攻などとつながる部分が見えてきます。若い人たちにもマイノリティーの視点を持つことを大切にしてほしいです。

石垣綾音さん(左)とインタビュアー・神里晏朱(DIALOG学生部)

沖縄らしさ みんなの力で
沖縄まちづくりファシリテーター・石垣綾音さん

——現在の活動を教えてください。

 沖縄でまちづくりファシリテーターとして活動しています。住民とともにワークショップを開催したり、沖縄振興計画にパブリックコメントを書いたりといった市民活動をしています。

——パブリックコメントの提出について教えてください。

 昨年2月、市民有志の「沖縄未来提案プロジェクト」として沖縄振興計画の素案へのパブリックコメントを県に提出しました。20代後半から40代のメンバーとともに「食と農」などのカテゴリーごとの部会を結成して、パブリックコメントを書き出しました。感度の高い方が参加されていて、当初は想定していなかった部会も増えました。私は議事録を取って要約を作るといった事務局のような役割を担いました。

文化の継承 ハワイで学んだ

——なぜ、沖縄未来提案プロジェクトに携わろうと思ったのですか。

 もともとはハワイの大学院で、市民参加に関する研究をしていました。沖縄振興計画は10年、20年先の沖縄をつくる政策に反映される重要な計画です。市民活動をはじめとするいろいろな活動をされている方々の知見を、しっかりと入れたいという思いがありました。

——ハワイで都市計画を学ばれました。

 琉球大学3年のときに交換留学でハワイに行きました。そのときは、ハワイに移民として渡ったウチナーンチュ(沖縄の人)の研究をしていました。その際、ハワイで沖縄の文化を守ろうとしている人々や、ネイティブハワイアンの影響を受けて沖縄で文化を継承する活動をしたいと話す人々に出会いました。そして、沖縄で感じていた問題の解決策を考えていたところ、ハワイの人たちのまちづくり、土地の使い方、自然との共生、文化の使い方にヒントがあると思いました。それで都市計画をハワイで学びたいと思いました。

石垣綾音(いしがき・あやね) 1990年、沖縄県生まれ。琉球大学で社会学、ハワイ大学大学院で都市計画を学び、ハワイのコンサルティング会社で働いた後、2015年帰国。沖縄県の建築コンサルティング会社で都市計画策定業務に関わり、住民と行政をつなぐワークショップなどを担当する。2019年にまちづくりを考えるデザインラボ「こみゅとば」を立ち上げ、沖縄県内各地で活動する。

あこがれの沖縄に…なっている?

——石垣さんが抱えていた問題意識を教えてください。

 「みんながこんなに来たがっている沖縄に、私たちは本当に住んでいるのかな?」

 小学生のときに聞いた母親の一言がずっと気になっていました。

 そのころは安室奈美恵さんの全盛期で、朝ドラ「ちゅらさん」が放映されて、沖縄サミットも開催され、メディアを通して沖縄のイメージを見ることが多くありました。でも、今の沖縄の暮らしには、メディアで伝えられるような昔ながらの文化が反映されていないなと思って……。そこが引っかかっていました。

——ハワイ留学で、心境の変化はありましたか。

 沖縄についての問題意識や沖縄出身者としてのアイデンティティーはある状態だったので、ハワイでの留学生活は自分の核となるものを確認しにいくという感じでした。

防災×キャンプ 楽しさファースト

——大学院修了後、どのような活動をされていましたか。

 ハワイの都市コンサルの企業に勤務し、防災計画や小さな地域の土地の計画に携わりました。防災関連の仕事は、沖縄に戻った後の会社員時代にも経験し、今は「一般社団法人災害プラットフォームおきなわ」の運営に関わっています。

 那覇市のまちづくりに関わる仕事に携わった際、キャンプ好きの友人の発想を元に「防災キャンプ」というアイデアが生まれました。災害時は地域のコミュニティーの助け合いが大事になる。でも、避難訓練にも地域活動にも人が来ないため、お互いを知らないということが問題でした。

 公園でキャンプをすると、「楽しそう」と思った人が集まります。アウトドアの知識は災害時にも役立ち、地域の人も集まってくるので、お互いの顔を知る機会になります。何回かイベントとして実施し、現在は一般社団法人になりました。

——これからの目標を教えてください。

 持続可能性や環境問題を意識した、沖縄らしいまちづくりをしたいです。その一歩として、今は交通の問題にフォーカスしています。私一人で実現するのではなく、みなさんと一緒に考えたい。私の出身地ではない地域でも、その土地に住む人をリスペクトしながら、まちづくりをしたい。地域の人たちがそれぞれの立場の意見を言えて、それが行政に伝わるような活動が理想です。

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