
朝日新聞DIALOGは東日本大震災の復興支援に取り組むUR都市機構とともに、学生3人が被災地を巡るスタディーツアーを実施しました。訪ねた先は福島県浪江町。津波に伴う原子力災害で全町避難を強いられましたが、近年は新エネルギーの拠点として世界最大級とされる水素製造施設が整備され、建築家・隈研吾さんらによる駅前のグランドデザインなどでも注目されています。震災当時、小学生だった3人。歴史や文化を受け継ぎながら新たなまちづくりに挑む町を歩き、感じたことは——。

浪江駅に降り立つ ここに新たな街が
JR常磐線の浪江駅で3人を迎えてくれたのはUR都市機構で駅前の基盤整備を含む事業推進を担当する加藤奈帆子さん。「駅前の建物はほとんどが除染解体されてしまいましたが、再整備の工事はこれからです。まずは今の駅周辺を見て、どんな人がどんな思いでプロジェクトに携わっているのかを見ていきましょう」
浪江町は2017年3月に一部区域を除いて避難指示が解除されました。震災前に約2万人だった町内居住者は訪問時で1900人ほど。元町民のほか浪江町に移住してきた方もいて、少しずつ数が増えているといいます。駅前ロータリー周辺にはイルミネーションやアート作品が。人々の生活が戻ってきていることがうかがえます。

スマモビ・うけどん号 地域の足
一行が最初に向かったのは「浜通り地域デザインセンターなみえ」。スマホから呼び出せるオンデマンド配車サービス「なみえスマートモビリティ(スマモビ)」の拠点です。プロジェクトを担当する日産自動車総合研究所研究企画部の宮下直樹さんによると、2020年度に実証実験を開始。地域を支える交通基盤として訪問時は3台が運行中でした。「町の人の足として走らせながらも、利用が少ない時間帯は物流を担うなど、いろいろな活用方法を試してきました。今年から有償にして、いよいよ本格始動します」
町内ではスマモビのほか、周遊バス「うけどん号」も毎日運行。こちらは夜間、市街地や宿泊施設など主な施設を結んでいて、誰でも無料で乗ることができます。ちなみに「うけどん」は浪江町のゆるキャラで「お米の妖精」だそうです。

コワーキングスペース・水素ステーション…
駅近くにある、起業家や事業者向けのコワーキングスペース「ナミエシンカ」も訪れました。隈さんデザインのトレーラーハウス「JYUBAKO(住箱)」が4台設置され、内部は空調が効き、BGMも流せるリラックス空間です。浪江町企画財政課の佐伯雄治さんは「電車を待ちながら作業できますし、起業支援の情報なども提供しているので幅広い人に役立てていただいています」と話します。
さらに市街地を巡ります。駅から離れると、更地や空き家が目立ちます。駅前につながる道路上で加藤さんが「駅を降りた目の前に芝生広場ができる予定です。道路も幅を広げてフラットにした上で電柱をなくすなど、歩行者にやさしい環境に整備する予定です」と説明します。
鈴木優奈さん(大学4年)は「URの仕事は地図を変えていく仕事なんですね」と感心しきり。中司有沙さん(大学3年)も「震災前よりも飛躍的に便利できれいになれば、町に住んでみたい人が増えるのではないでしょうか」と話しました。

芝生と大屋根 県産木材ふんだんに
ゆっくりと、でも着実に歩みを進める町。どんな未来を描いているのでしょう。
浪江駅周辺のグランドデザインは22年6月に発表されました。国立競技場(東京)を設計した隈研吾さんらによるデザインで、駅とその周辺との一体的な景観をつくる大きな屋根「なみえルーフ」が特徴です。芝生広場を囲むように、緩やかな起伏に沿って住宅や商業施設が建てられます。
林業が盛んだった地域特性を生かして木材をふんだんに取り入れる一方、新しい環境モデルの構築に向けて浪江産水素の地産地消をめざします。
現時点の完成目標は26年。駅舎とともに東西をつなぐ自由通路を通し、人の往来を生み出します。町は駅前の用地買収を進めつつ、道路や宅地などの基盤整備や建物の設計を進めています。

水素エネの拠点 世界最大級
「こんなにたくさんの太陽光パネル、見たことがないです」と声を上げたのは久野俊紀さん(大学4年)。その数およそ6万8千枚。やってきたのは町北東部の棚塩産業団地です。
説明してくれたのはUR都市機構浪江復興支援事務所の櫻井健一さん。「浪江駅周辺の再整備に先駆けて、町とともに二つの産業団地の整備を進めてきました」
中心施設の一つは「福島水素エネルギー研究フィールド〈FH2R〉」。世界最大級となる10MW(メガワット)の水素製造装置を備えています。太陽光など再生可能エネルギーを使うことで、二酸化炭素(CO₂)の排出を抑えた「CO₂フリー水素」を製造。発電用、自動車用、工場用などに供給します。
1日の水素製造量で約150世帯(1カ月分)の電力を供給、または560台の燃料電池車(FCV)に水素を充塡(じゅうてん)できるといいます。
太陽光パネルから右に視線を移せば、大規模木造建築などに用いられる高度集成材の製造エリア(福島高度集成材製造センター〈FLAM〉)が広がっています。このほかロボットの研究フィールド(福島ロボットテストフィールド滑走路)も設けられ、すでに稼働しているそうです。

このエリアでは、地域経済の再生に向けて先端産業拠点の形成を目的とした整備にスピードが求められました。「元々ここは山林でした。すでに施設立地が決まっていたので、道路や下水道の整備と建物の工事を同時進行で行うなどして工期を短縮しました。この産業団地が町の発展の足場になれば、こんなにうれしいことはありません」(櫻井さん)
学生たちが宿泊した「福島いこいの村なみえ」にも、水素タンクや送電設備がありました。水素エネルギーは電力供給・給湯に使われています。「すでに利用されているんですね。環境にやさしいまちづくりは注目を集めやすいはず」と中司さんは話します。

奪われた生活 震災の「傷痕」
震災の「傷痕」にも足を運びました。震災遺構として残されている町立請戸小学校です。
震災直後、津波にのまれましたが、児童・教員は近くの高台に避難しました。天井も床も壁もはがれ、体育館に通じる鉄の扉は大きく曲がったまま残されています。
校舎の横には、震災後アスファルトの割れ目から芽吹いたという桜の木が、大人の背を超す高さに太く立派に育っていて、時の流れを感じさせます。

(左下)校舎の外も見学。校舎2階にまで浸水したと考えられている
(右下)避難時の状況を絵本のようにまとめたパネルが展示されている
じっと校舎を見つめていた神戸出身の中司さんが口を開きます。「阪神・淡路大震災の後に生まれて、私は復興した神戸しか知らないけれど、地元にはあの日で止まった時計などのモニュメントも残されていたから、少しずつ学べたと感じていて……」
校舎内には、震災当時この学校に通っていた人たちが寄せた作文なども展示されています。一つひとつに目を通した3人。鈴木さんは「ここに来ないと湧き上がらなかった思いがありました。震災の記憶を伝え続けることが、未来につながるのかな」
久野さんも「僕の地元の浜松は(東日本大震災で)少ししか揺れなかったけれど、同世代がこの日を境に暮らしも学校生活も奪われてしまったことに、今さらながらすごく衝撃を受けて。ようやく震災を知ったという気持ちです」と語ります。

(右)震災後アスファルトの割れ目から芽吹いたという桜
奇跡的に残っていた酵母 酒蔵の再出発
ツアーの最後は、復興拠点でもある「道の駅なみえ」。江戸時代に浪江町で創業した「鈴木酒造店」の新しい酒蔵を見学しました。
鈴木酒造店は「磐城壽(いわきことぶき)」などの銘柄で知られます。震災による津波で酒蔵を失い、山形県に移って酒造りを続けました。2021年、道の駅なみえ内に「浪江蔵」を設置。浪江の米と水を使った酒造りを再開しました。

蔵の内部を案内してくれたのは鈴木酒造店の専務・鈴木荘司さん。請戸小学校の卒業生です。
鈴木さんによると、津波によって酒造りに欠かせない蔵にすみつく酵母を全て失ったかと思われましたが、震災前に研究目的で提供していた酵母のサンプルが外部機関に残されており、これを使ってかつての味を再現することができたそうです。
震災後に山形県に移り、「執念で出荷を続けた」という鈴木さん。伝統的な銘柄のほかに、フルーティーな「フィトテラピーリキュール」など新製品の開発にも取り組んでいるそうです。県内のフルーツショップが手がけるハーブや果汁と、オリジナルの発泡日本酒「磐城壽 貴醸泡酒」をブレンドした地元愛あふれるお酒です。
鈴木さんは封入したばかりの小瓶を手に「地元の味を使いながら、健康意識の高い方が飲んでくれたらというチャレンジ商品なんです」。学生たちは「買って帰ります!」と応じました。
がんばる人たちの話 もっと
蔵の見学を終えた昼どき、道の駅の食堂には幅広い世代が集っていました。小上がりには団体客も。復興の途上にあることを忘れさせるほどの活気と笑顔にあふれる空間です。
学生3人は、極太麺と豚肉、もやしを使った地元の「なみえ焼きそば」を注文。濃厚ソースを味わいながら、2日間のツアーを振り返ります。そして、町の復興に携わるメンバーとのセッションを控えて「最前線でがんばる人たちの話をもっと聞きたい」と意欲を語りました。

(左下)なみえ焼きそば。甘めの濃厚ソース
(右下)「NAMIE WATER~なみえの水~」は飲みやすい超軟水