
「声の力」プロジェクト
2021年01月14日公開カレーのおいしさも、アリの歩みも、声の力で、伝えられる——。
朝日新聞DIALOGは、2019年から企画「声の力」を展開しています。この企画は、視覚障害のある中学生や高校生たちが、プロの声優から声による表現方法を学ぶことで、自身の可能性を広げることを目指すプロジェクトです。2020年12月上旬には、声優・水田わさびさんが、神奈川県立平塚盲学校(平塚市)で特別授業をしました。舞台経験も豊富な水田さんの指導を受け、声による表現に挑んだ生徒たちの様子をお伝えします。
同校には、神奈川県全域から生徒が集まり、幼稚部から高等部に3歳から62歳までが在籍しています。特別授業に参加したのは中学2年生から高校3年生までの13人です。
最初は生徒たちもどこか緊張した面持ちでしたが、水田さんの優しく包み込むような声が聞こえた途端、表情が和らぎます。水田さんのあいさつに、生徒たちから「はい!」「よろしくお願いします!」と元気な返事が返ってきたので水田さんも安心した様子。「私、今日は笑いたいの。笑顔。明るく今日はいこう!」と教室の奥まで響く、水田さんの掛け声で授業スタートです。
今回は45分授業を2コマ。1コマ目は基礎編、2コマ目は応用編です。
基礎編では最初に「お名前は?」「好きな食べ物は?」という水田さんの質問に合わせて、生徒一人ひとりが自己紹介をしました。「イチゴ」「そば」「ギョーザ」「北京ダック」などいろいろな食べ物が登場します。ハキハキと答える生徒から、恥ずかしそうに答える生徒までさまざまです。それぞれの生徒の答えに合わせて、水田さんは「そばが好きなら、日本男児らしく、カッコよく、粋な感じで『そば』と言ってみよう」「ギョーザなら、パリッと肉汁あふれる感じはどうかな?」と、その食べ物を想像するよう生徒たちを促します。好きな食べ物を聞いたときの水田さんの「私も好き!」や「おいしいよね~」といった感情豊かな反応に、生徒たちからは笑みがこぼれます。
和やかに授業が進むと、水田さんに積極的に話しかける生徒も出てきました。好きな食べ物は「フライドポテト」と答えた男子生徒は、続けて「食べ過ぎてよく怒られます」と話しました。すると、水田さんは「おっ、かなりの量を食べているとみたぞ~! じゃあ、フライドポテトの量を増やしてごらん。今の声だとSサイズ。Lサイズの感じで『フライドポテト』と言ってみよう!」と提案しました。
水田さんから受けたイメージをヒントに、生徒たちは2回目の自己紹介に挑戦です。食べ物から連想される味や触感、匂い、見た目、温度、量などを思い思いに表現しました。すると、「イチゴ」と言う声は可愛らしく柔らかくなり、「カレー」と紹介する声は喜びに満ちたものに変わりました。他の生徒の発表を聞いて「うわ~!」「いいね!」と思わず感想を漏らす子がいるほど、声の変化は明らかでした。楽しい1コマ目は、あっという間に終わりました。
2コマ目では、水田さんオリジナルのテキストを使っての発声練習です。
水田さんは、練習を始める前に「『あめんぼ赤いなあいうえお』や『外郎売(ういろううり)』のような、お芝居の人がやる発声練習とは違います。私の授業は、楽しく笑顔で自由にがモットーです。それから、上手に読もうとしちゃダメ。読み方に正解はないからね」と呼びかけました。
続けて、具体的な例を挙げていきます。「『ありさん』は小さくてちょこちょこ歩く姿を想像して、高い声で読んでみるのもいいかもしれないね。『からすがカーカー』の『カーカー』は自由に鳴いてみよう。『さらさら』は葉っぱがサラサラ~ッてしているのをイメージしてみて」と話しました。
点字や墨字で書かれたテキストをもとに、生徒は一人ずつ、水田さんのテキストを読み上げていきました。ある生徒が「カーカー!」と元気にカラスの鳴き声を披露すると、水田さんからもみんなからも感嘆の声が上がります。水田さんは「今度は『かきくけこ』もハッキリ言ってみよう。『カーカー』の表現も大事だけど、言葉が相手に伝わるように話すこともとっても大事」と話します。
同じ言葉でも生徒一人ひとり、表現の仕方が違います。水田さんは「全員同じじゃつまらない。個性が大切」と話し、それぞれの生徒に「力強い声だった」「落ち着いた低い良い声だね」「笑って読んでいたから、ずっと笑顔の音だったね」「全部の行で表現を変えていたね」「一文字一文字、丁寧に読んでいたね」など、良かった点を挙げていきました。
中には「語尾が尻すぼみになってしまうんです」と自信なさげに話す女子生徒も。すると水田さんは「それはあなたの良さ! フェードアウトするのは、優しく聞こえるから良いことなんだよ。あとは、『うしろのほうの言葉も人に届ける』っていう気持ちをのせると、もっと良いよ」とアドバイスしました。
最後に、声の力プロジェクトを紹介する原稿を、全員が一言ずつ録音しました。様子を見守っていた水田さんは「みんな、最後は一番良い声で言えていたね」と、ほほえみました。
水田さんは「みなさん、とても上手だったので、指導するというよりも、むしろ私のほうが勉強させてもらいました。特に2コマ目の発声練習で聞いた、みんなのピュアで純粋な音が印象的でした。みんなの良い音を聞いて、声の力を感じました。音の元気は、みんなのつながりやテンションにとって大事だと思います。今は人と会えなかったり、距離を取ったりしないといけない分、みんなも声を力に頑張っていこうね」と締めくくりました。
授業の後、生徒たちは、自分たちで作ったレターケースと紙袋に全員分のメッセージを入れ、水田さんにプレゼント。水田さんも感激した様子でした。
新型コロナウイルスの影響で、距離を取って行われた授業でしたが、水田さんは教室の奥まで響く声で、一人ひとりとの対話に時間をかけて向き合い、生徒との心の距離はグッと縮まったように感じました。
教室では、水田さんの優しく明るい声、生徒の笑い声、個性豊かな発表がお互いに良い影響を与え合っていて、その場にいた私もワクワクしました。水田さんの優しさや真摯(しんし)な思いが声に乗って、生徒に届いたのでしょう。生徒の声はどんどん力が感じられるようになりました。また、ある生徒の表現を別の生徒がほめ、さらに良い声につながるシーンもありました。声には言葉を伝える以上のパワーがあって、それは響き合い、広がっていくのだと思いました。
平塚盲学校では、声の力プロジェクトを紹介し、特設サイトへ案内するPR音声を、参加したみんなで制作しました。水田さんから温かく、丁寧な指導を受けた直後の収録です。練習の成果を、ぜひお聞きください。
水田わさび(みずた・わさび)
声優、ナレーター、舞台俳優(青二プロダクション)。三重県伊賀市生まれ。高校卒業後に上京し、「劇団すごろく」に入団。趣味はプロ野球観戦で、広島カープの大ファン。2人の娘がいる。