筆者 藤田絢子
2009年秋に発覚した首都圏の連続不審死事件。別の詐欺事件などで逮捕、起訴された木嶋佳苗被告(37)をめぐり、疑惑段階から多くのメディアが連日報道した。新人の私にとっては初めての大事件だった。昼は周辺住民や木嶋被告が通ったとされる店への聞き込みなどをし、朝晩は捜査関係者の家を回った。木嶋被告は翌年2月、埼玉県警に殺人容疑で逮捕され、警視庁、千葉県警にも再逮捕された。
この間、途切れることなく報道が続いた。終わることのない取材。聞き込みでは「おとなしい、目だたない人だった」という声ばかりが聞こえ、「婚活詐欺女」として様々な疑惑があがっていた木嶋被告像との乖離(かいり)が気になった。捜査関係者から取り調べの様子を教えてもらっても、人物像が想像できなかった。どんな人なのか。報道をどのように見ているのか――。
接触できない相手には、手紙を送ることが数少ない取材の手段だ。いずれ初公判も始まる。昨夏、さいたま拘置支所に手紙を送った。「とりあえず出してみた」という表現の方が正しいかもしれない。実は、事件の関係者に手紙を送ったのは初めてだった。発覚から2年がたち、当初から取材していたのは総局で私だけとなっていた。
何を書けばいいか迷った揚げ句、自己紹介をして、素直に「生の言葉を通して事件について知りたい」と書いた。自分だったら、事件のことばかり書いた手紙をもらっても途中で読む気が失せると思い、読んだ本の話などを織り交ぜ、知人に出すような感覚で書いた。黙秘を貫いていた木嶋被告。返事が来るとは思っていなかった。「暇つぶしでもいいから、気が向いたら返事を下さい」と書き添えた。文面の相談はせず、送りましたと事件担当のデスクに伝えた。
年末になり、裁判日程が決まった。判決まで100日間という、裁判員裁判としては過去に例がない長期裁判だった。朝日新聞では、長期だからこそ一貫して1人の記者が傍聴することで、発言の変化や検察側の立証方法がつかみやすいと考え、私が担当となった。他社は何人かで交代するケースが多かった。
裁判に向けた木嶋被告の情報といえば、弁護側が「無罪主張」と発表しただけ。近況や主張の根拠もわからない。生い立ちなどをめぐって多くのメディアに報じられ続けた木嶋被告の立場で考えると、もしかしたら世間に向けて発言したいと望んでいるかもしれない、とまた手紙を書いた。ここでも、皆既月食や本の話を織り込んだ。
公判が始まると、週4回のペースで午前10時から夕方まで傍聴し、朝刊に出稿する日々が続いた。書き記したノート(A3判)は最終弁論まで35回の公判で9冊を超えた。
「100日裁判」と題した埼玉県版の傍聴記では、裁判員裁判を意識し、弁護側と検察側の主張を併記するスタイルを貫いた。双方の主張を意識して傍聴すればするほど、木嶋被告に迫りたい気持ちは強まった。例えば、公判では幼少期について触れていない。独特な考え方は生い立ちとは関係ないのか。婚活サイトになぜ行き着いたのかもわからない。疑問は膨らんでいった。木嶋被告は3月13日の最終意見陳述で改めて3つの殺人事件について無罪を主張した。
●判決まであわただしく手紙のやりとりを重ねる
その2日後。取材先から戻ると、机の上に白い封筒があった。丁寧に書かれた宛名。消印は14日。裏側の差出人名と、サクラの判子を見て驚いた。便箋には、最終意見陳述を終えるまでは連絡を控えていた、と書かれていた。
判決まで1カ月ない。すぐに返信した。報道のスタンスを説明し、「主張しきれなかったことがあれば教えてほしい」と記した。拘置支所で読んだ本の感想などに応えつつやりとりを重ね、やはり法廷での主張が全てではないとわかった。判決直後の夕刊で掲載するという条件などを伝えると、判決の6日前、6通目の手紙で手記が届いた。
刑事被告人の主張をそのまま掲載してもいいのか。便箋20枚にも及ぶ手記を手にして扱いに悩んだ。県警グループ、デスク、総局長の話し合いでは、被害者や遺族の感情はどうする、という意見も出た。社会部にも報告し、判決の前日まで議論した結果、事件の重大性を踏まえ、被告の法廷発言を理解する手がかりの一つとして掲載する、という結論になった。最終的に朝日新聞デジタルへの全文掲載と夕刊での出稿が決まった。
一方で気になることがあった。手記はあくまでも判決前のものだ。判決を受けて気持ちは変わらないか。一般市民に裁かれた被告の思いも聞いてみたい。そこへ、判決後の気持ちを聞いてくれないかと手紙が来た。判決直前の手紙で、判決日の午後に面会する約束を取り付けた。
4月13日。判決は死刑。何を聞けばいいのか。質問の仕方に迷いながら、総局からさいたま拘置支所に歩いて向かった。言い渡しから約3時間後の午後3時過ぎ。木嶋被告が面会室に現れた。落ち着いた様子だった。逆に心配が吹っ切れた。
単刀直入に思いを聞き、裁判員に裁かれることや今後の方針について質問した。はっきりとした口調で淡々と答える木嶋被告に動揺している様子はなく、控訴審に向けて戦うという意思の方が強そうだった。面会でのやりとりを朝刊で記事にし、朝日新聞デジタルに詳細を載せた。偏りがないように遺族の思いも掲載した。それまで取材お断りだった遺族も、手記の存在を知ると率直な思いを取材班に語ってくれた。
掲載後、朝日新聞デジタルのアクセス数は数十万に上った。予想外の数字に、読者が生の声を聞きたがっていたことを感じた。入社以来、できるだけ取材相手に直接接触するよう言われてきたが、その大切さを改めて感じた。最初から諦めるのではなく、挑戦することを忘れずこれからもやっていきたい。(「ジャーナリズム」12年7月号掲載)
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朝日新聞松江総局記者。1986年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2009年朝日新聞社入社。さいたま総局を経て12年4月から現職。
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