2009年1月に移植したサンゴ。移植したときには長さ5センチほどの大きさだったが、直径15センチほどに成長した=17日、沖縄県北谷町、海の種提供
移植のためのサンゴを養殖している金城浩二さん。素焼きのピンの上に育ったサンゴの株を海中の岩に植える=沖縄県読谷村の「海の種」
田中律子さん=東京都港区、倉田貴志撮影
温かい海の浅瀬に広がる色とりどりのサンゴ礁。さまざまな魚や貝が住み、卵を産む生物多様性の宝庫だが、海水温上昇や赤土流入で死滅が進む。そうした失われたサンゴを少しずつでも取り戻そうと、移植の取り組みが広がりつつある。4月に公開された映画「てぃだかんかん 海とサンゴと小さな奇跡」のモデルになった沖縄のサンゴ再生の現場を、22日の「国際生物多様性の日」を前に訪ねた。
沖縄県読谷(よみたん)村の金城(きんじょう)浩二さん(39)が経営する「海の種」の水槽には、小指ほどの長さや直径数センチほどの大きさのサンゴが育つ。移植のために養殖している沖縄産サンゴだ。1株3500円。買った人に代わって金城さんやスタッフが海に植えたり、ダイビングする人が自分で植えたりする。小さいうちはかごで覆って保護する。そこには買った人の名前がつく。
北谷(ちゃたん)町漁業協同組合の協力で漁場に植え付けたサンゴは約7年で3万本ほど。最初に植えた小指ほどの大きさだった株は、直径70センチくらいになったものもある。「人間の手で壊れた自然は、そこに暮らす人間がかかわって戻していかないと」と金城さん。活動が評価され、日本青年会議所の2007年度「人間力大賞」グランプリを受賞した。
失われたサンゴ礁を再生する手法として、サンゴの移植は研究機関などでも行われてきており、環境省が4月に公表した「サンゴ礁生態系保全行動計画」でも、移植の推進が盛り込まれている。
1998年。海水温が高くなるエルニーニョ現象で世界的に見られたサンゴの白化現象が、いつも通う沖縄の海にも広がっていた。一緒にいたはずの魚や貝も消えていた。
開いていた飲食店や雑貨店を1店のみ残して閉め、移植のための養殖を始めた。
移植には海に漁業権を持つ漁業組合の協力が不可欠だ。いま一緒に移植している北谷町漁協の漁師も最初は「何を言ってるの?」という反応。漁網はサンゴをひっかけてしまうことがある。移植、保護は難しい、というわけだ。
だが、金城さんは何度も漁協に通いサンゴの価値を伝えた。組合長の座喜味盛康さん(52)は「サンゴ礁には魚が産卵して、小さな熱帯の魚がすむ。小さな魚を大きな魚が食べ、大きな魚を漁師がとり人間が食べる。サンゴが無くなると漁師は魚をとれなくなる」と改めて思った。「海人(うみんちゅ)(漁師)がサンゴを嫌ってどうする」。そう言って、漁を禁止して移植に協力する区域を決めた。03年のことだ。
翌04年、金城さんを紹介するテレビ番組でリポーターをした俳優の田中律子さん(38)は、赤字で養殖・移植を続ける金城さんを「NPOを作ろう」と誘った。06年、NPO「アクアプラネット」が立ち上がる。ここを通じて寄せられる企業や個人の寄付も、移植に使われる。
移植サンゴの産卵は05年以降続く。北谷町の漁師も「サンゴは確実に増えている。小さな魚が戻ってきている」。だが、「海の広さを考えれば移植だけでよみがえらせることはできない」と金城さんは言う。「自分のサンゴが沖縄の海にあると思ったら、海の汚染や温暖化を心配するようになるはず」と信じている。
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29日にはダイバーと一緒に移植するアクアプラネットのイベントが開かれる。イベント内容やアクアプラネットの活動については、ホームページ(http://www.aqua-planet.org/)に掲載。(神田明美)