国境をまたぐアジアの大河で、新たな対立の火種が生まれようとしている。
チベットからインド、バングラデシュに流れるブラマプトラ川。「上流で中国がダムを建設中」とインド紙が1面トップで報じたのは、昨年10月のことだ。人工衛星で着工が確認されたのだ。
中国側は、5基のダム建設計画が進んでいることを認め、電力需要の増加に対応する水力発電用のダムで、常時放水するため下流域に影響はないと説明した。
しかし、中国側の思惑次第で水量をコントロールされてしまうのではないか、とインド側は懸念を募らせる。1962年に、国境紛争で戦った両国。インド国内の研究者からは「中国が水という武器を手にした」という論調さえ出てきた。
懸念はダムにとどまらない。インドのエネルギー資源研究所の水問題担当、アショク・ジェトリー部長は「中国はブラマプトラ川の水を、自国へ引き込もうとしているのではないか」と話す。
彼が指摘するのは、中国政府が進める「南水北調」計画。水資源の豊かな中国南部の水を、水不足の北部に送る大事業だ。現状では国内河川から取水する計画だが、国際河川からも取水する案がくすぶる。そうなれば根こそぎ水資源が奪われる、とインド側は恐れている。
英国国防省の2007年の報告書も「水問題は、軍事行動や人口移動を誘発する可能性を高める。中国がブラマプトラ川の流れを変えようとすれば、リスクは大きい」とこの問題を取り上げている。
中国外務省は「中国は責任ある国家だ。他国の利益は損なわない」とインドの懸念を否定している。
中印は、雨期に水利情報を交換する覚書を結んでいるが、インド外務省のゴータム・バンバワレ東アジア局長は「今後は中国との(開発問題を協議する)河川協定が必要になる」と語る。
中印のような構図は、インドシナ半島にも見て取れる。今春、一帯が大干ばつに襲われ、メコン川は過去50年で最低の水位を観測。流域国は農業や漁業などに被害を受け、タイやベトナムからは、上流の中国で相次ぐダム建設を非難する声が上がった。
タイ北部の町チェンコーン。7月下旬、メコン川の漁師(60)は渋い表情だった。雨期になっても水位が低く、漁獲は例年の半分以下という。
タイの環境NGOのジラサック・インタヨットさんは「少雨だけのせいじゃない。中国のダムが水をためているからだ。同じチベットから流れるタンルウィン川は、ダムが少ないから水位が高い」と主張する。
実際にメコン川上流の中国雲南省では、国内の電力需要をまかなうため、巨大ダムの建設ラッシュが続いている。茶の産地として有名な普●(プーアル、●は「さんずい」に「耳」)市では、大型の原発5基分にあたる550万キロワットの水力発電ダムの工事が進む。糯扎渡(ヌオツァートゥー)ダムの貯水量は、日本一の徳山ダム(岐阜県)の30倍以上。流域最大の発電所になる。
これを含めて15のダムをつくる計画で、10年後の総発電容量は2500万キロワット。世界一の三峡ダムを上回る。
ブラマプトラ、メコンの上流のダムが、下流に悪影響を及ぼすかは明らかでない。国際機関・メコン川委員会は「ダムはまだ本格稼働しておらず、今のところ影響は少ない」と話す。それでもダム建設は、上流国を非難する口実になりうる。
アジアには世界人口の6割が暮らすが、地球上で利用できる水資源の36%しかない。今後の経済発展や地球温暖化の進行で、水不足はいっそう深刻化するだろう。水問題は、アジアの安全保障の課題になりつつある。(竹内幸史、広州=小林哲)