カザフスタンとウズベキスタンにまたがる塩湖「アラル海」。かつて日本の東北地方とほぼ同じ湖面積があった世界第4位の大湖が、わずか半世紀で10分の1にまで干上がってしまった。旧ソ連時代に行われた、持続できないほど無謀な水資源計画のつけだ。乾いた湖底から塩混じりの砂が町村を襲う。漁村は次々と荒廃。建物は砂で埋まり、健康被害も出ている。人々の暮らしが脅かされている。「20世紀最大の環境破壊」とも言われる現場を記者が歩いた。[→さらに詳しく]


アラル海とは


USGS EROS Data Center、NASA提供

干上がった原因―持続不可能な開発

アラル海アニメーションかんがい農業用地とアラル海へ注ぐ水量UNEP資料から

 アラル海が縮小した原因は、中央アジアを2千キロ以上流れてアラル海に注ぎ込む2本の大河の水を、無計画で大量に使ったためだ。
 キルギスの天山山脈を源流とし、ウズベキスタンを通ってカザフスタンのアラル海北部に注ぐシルダリア川と、タジキスタンのパミール高原を源流からトルクメニスタンを経てウズベキスタンのアラル海南部に流れるアムダリア川だ。
 これらの河川が農業用水に使われた歴史は古いが、第2次大戦後、ソ連の政策で綿花や水稲の灌漑(かんがい)農業が大きく拡大された。アムダリア川から水をひく大規模なカラクム運河も建設された。キルギスなど上流の国では水力発電にも使われる。
 国連環境計画の資料によると、1960年からの約50年間で灌漑農業用地が約1.8倍に増えた。それと反比例するように、アラル海に注ぐ年間水量は5分の1以下になった。水の利用はアラル海の水量を保てる量をはるかに超えた。
 ソ連崩壊後に河川流域の5カ国が設立したアラル海救済国際基金で、カザフスタン事務所長を務めるボラット・ベクニヤズさんは「綿花は軍事産業にも使われる貴重な戦略物資だった。それと比べると、漁業は重要ではなかった」とソ連時代の状況を説明する。


漁村が壊滅、さまよう民

  • 環境移民、数万人規模か

     広大なアラル海の急激な縮小で漁場が遠ざかり、塩分濃度が上がって魚がいなくなった。各地の漁村は壊滅的な打撃を受けた。数万人規模の環境移民が生まれたと推測される。
     カザフスタンのアラル海北側にあるアケスペ村。かつてはアラル海に面した漁村だった。だが、いまは干上がった湖底から吹いてくる砂が積もった砂丘の村だ。
     屋根がなくなり土壁が残る民家が砂に埋もれていた。ジャクスィルクバイ・ジュバヌショフさん(86)の家族が住んでいた家だ。もともと25キロ離れたウシクル村で暮らしていたが、漁業ができなくなった。村ごと移転するためアケスペ村ができ、1959年に移住してきた。さらに、2年前、砂に追われるように2キロほど離れた新しい集落に引っ越した。「毎日、砂と戦い、取り除いていた。だが、すぐに積もってしまう。家の中から見ると、押し寄せた砂が窓のすぐ外に見えた」[→さらに詳しく]

  • 塩まじりの砂、吸い続け

     干上がった湖底からは、塩が混じった砂が吹き寄せてくる。近隣の村に砂丘ができるほど舞う砂は、人々の健康も害してきた。
     5月上旬、ウズベキスタンの旧湖底で砂嵐が起きた。ムイナク市も砂が覆い、街は黄土色にかすんでいた。
     アラル海救済国際基金やカザフスタン・クズルオルダ州によると、塩が混じった砂を住民が吸い込み、呼吸器や目の病気などの健康被害が出ているという。[→深刻な健康被害、地元知事語る]

  • 「魚が戻ってきた」復活の兆し

     10分の1に干上がってしまったアラル海。だが、カザフスタンは、北部の小アラル海の漁業復活を目指す。シルダリア川が注ぐ河口の南側にコクアラルダムが2005年に完成。20メートルほどだった水深は42メートルまで回復した。
     浜に張ったテントや小屋で、300~400人が寝泊まりしながら漁をしている。早朝、2人ずつ乗った木造の漁船が次々とこぎ出していく。ガミン・ジャイサンバエフさん(50)は8キロほど沖合に仕掛けた網を引き上げに向かった。「魚が戻ってきた。神様のおかげです」[→さらに詳しく]


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【動画】半世紀で10分の1にまで干上がったアラル海。漁村は荒廃し、乾いた湖底から吹き寄せられた塩混じりの砂が町村を襲う


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