写真・文 武田剛
2009年9月11日
彼らに初めて会ったのは、朝日新聞の記者とカメラマンだった本多勝一氏と藤木高嶺氏だ。1963年に北極圏カナダを訪ね、イヌイットの狩猟生活や文化を51回にわたる新聞連載で紹介。その後、記事は本や教科書にもなり、多くの人に読み継がれた。
それから45年がたった昨年。私は朝日新聞の後輩記者として、念願の再会を果たそうと、現地を再訪することを思いついた。
でも、最初の取材から半世紀近くが経っている。本の主役たちは80歳前後になり、今でも健在なのか。そして、移動しながら狩猟生活を送っていた彼らは、その後、どこに定住したのか。そんな疑問が続々と出てくるのだが、北極やカナダの専門家を訪ね歩いても、確かな情報は得られなかった。
最後の頼りは45年前の写真である。私は藤木氏の自宅を訪ね、昔のネガとプリントを借り、主な写真をデジタル化した。そして、現地の行政機関や研究所に電子メールで写真を数枚送り、人探しをお願いした。
すると、すぐに反応があった。当時、ニューヨーク支局の特派員で、一緒に計画を進めていた同僚記者の元に、ホールビーチという町の役場からメールが入り、「写真の人物が何人かいて、昔、日本の記者から取材を受けたことを覚えている」というのだ。
ここまで分かれば十分だ。2008年5月、私たちは変色した50枚のモノクロ写真を抱え、現地へ飛んだ。
北緯68度。氷の海に面したメルビル半島のホールビーチは、人口650人の小さな町だった。到着早々、役場を訪ねて写真を広げると、緊張気味だった担当者が笑顔になった。「あっ、この人、知ってる。若いわね」。役場の職員が次々と写真に群がり、「写真の主たち」の所在はすぐに分かった。
その1人、45年前に先輩たちが住み込んだ家の主人、カヤグナさんを訪ねた。昔の記事では、生肉や汚物の臭いが充満する「異臭の家」で暮らしていたというのだが、今では4LDKの一軒家に住んでいる。そしてドアを開けるとビックリ。写真や絵できれいに飾られた居間で、老人が立派なソファに座り、42型のテレビを見ているではないか。聞くと、カヤグナさんだという。
1960年代に始まったカナダ政府による定住化政策で、カヤグナ家の暮らし大きく変わった。自給自足の生活から、大量消費の貨幣経済へ移り、狩猟では生計が立たなくなった。子供たちは学校や役場で働き、カヤグナさんは生活保護で受けている。そして、彼は言う。「たった一世代で、こんなに生活が変わるとは想像もしなかったよ」。
私には夢の再会だったが、その相手は意外にも悲しげだった。

あの極北の民は、今――。朝日新聞が1963年にルポしたカナダ北極圏の先住民たちを再訪した。世界で最も過酷な環境の下、独自の文化を紡いできたイヌイットを、近代化だけでなく、地球温暖化の風波が襲っていた。45年前のルポと比べることで、暮らしぶりの変化はくっきりと浮かび上がる。(ホールビーチ〈カナダ・ヌナブト準州〉=文・真鍋弘樹)
北緯68度46分。カナダ北極圏で、一軒の家を訪ねた。
緑のシャツにジーンズ姿の老人が、42型の薄型テレビをじっと見つめていた。放映されているのは、米国のドラマ。部屋に入った私たちに気づくと、ニヤリと笑った。
それが45年前、記者たちが1カ月半の間、泊まり込んで世話になったカヤグナ(自称70歳)との「再会」だった。
彼らは、この半世紀で、もっとも急激に生活様式を変えた民族のひとつだろう。動物を狩って衣食をまかなう狩猟社会から、賃金労働をしてスーパーマーケットで買い物をする貨幣経済へ。だが、それ以上に予想を上回る変化が、待ちかまえていた。
「出発して2日目の最低気温は零下21度」「二重の毛皮手袋をぬぐと、3分間で手が痛くなり、5分間でがまんができなくなり、10分間もたつと、しびれて無感覚になる」(本「カナダエスキモー」から)
ホールビーチを訪問したのは、45年前と同じ5月中旬。すでに夜のない季節に入っていたが、太陽が高い時間帯に気温は0度を上回った。気の早い子どもたちは、半袖で外を走り回っている。
カナダ環境省によると、同地区の63年5月の平均気温は零下11.2度だった。これに対し、今年は零下3.4度。年ごとに変動していることから単純には比較できないが、1カ月以上早く夏が訪れていることになる。
急激な気温の上昇は、この町と住民に様々な影響を及ぼしつつある。海氷が張る季節は年々短くなり、波と流氷で海岸線が浸食され始めた。海沿いの家が傾いて崩壊する危険があり、町は移転を計画している。
「海の氷は薄くなり、軟らかくなった。風の向きも強さも、昔とはまるで違う」。カヤグナは窓の外を見つめ、イヌイット語で語り始めた。「すべてのものは変化する。だが、たった1世代で、何もかも変わってしまうとはな。45年前には想像もつかなかったよ」(敬称略)
◆キーワード
〈カナダのイヌイット〉 朝日新聞の記者とカメラマンだった本多勝一氏と藤木高嶺氏が63年5月中旬から1カ月半、カナダ北極圏で先住民と暮らし、狩猟生活をルポした。「カナダ・エスキモー」と題して夕刊1面で51回連載、本にもなり大きな反響を呼んだ。その後、カナダでは「エスキモー」の呼び名が差別的だという認識が広がり、民族の名称に「イヌイット」を使うようになった。

朝日新聞編集委員。92年入社。03年末から1年4カ月間、第45次日本南極観測隊に同行して、昭和基地で越冬取材。帰国後、地球環境をテーマに「北極異変」「地球異変」取材班を立ち上げ、06年にグリーンランド、07年にネパールヒマラヤ、08年に北極圏カナダ、09年にアフリカ・チャド湖を取材。
著書に「南極 国境のない大陸」(朝日新聞社)、「南極のコレクション」 (フレーベル館)、「ぼくの南極生活500日」(同)。共著に「地球異変」(ランダムハウス講談社)。41歳。