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歌手になるためニューヨークに渡ったのが18歳のとき。もう挫折の連続でした。
NYには歌がうまい人しかいないんですよ。ホームレスのおじちゃんも、電車の中で突然歌いだす人も、ストリートミュージシャンも、みんなめちゃくちゃにうまい。私が今でも「宇宙一歌がうまい!」と思っているのは、NYののど自慢大会で出会ったアマチュアのおばちゃんです。そして、ジャズが三度のごはんよりも好きなNYのジャズマン。ストイックにジャズに取り組む彼らを見て、「自分はとてもジャズシンガーを名乗れない」と痛感しました。
あまりにもレベルが違って、歌は向いていないんじゃないか、やめようかと何度も思いました。だけど、結局歌うことが好きすぎてやめられなかったんです。私にしか歌えない歌がどこかにあるかもしれない。そう思い直して、再出発しました。
でも一番大きな挫折は、日本でメジャーデビューして出したシングル2枚が全然売れなかったこと。2年間、何が正解か全く分からないまま、ひたすら曲を作った。何もかも不正解という気がして、ゴールのないマラソンをずっと走ってる感じ。きっと受験生も同じ気持ちなんじゃないかな。その中で全身全霊で作って、「これが最後のシングルです」とレコード会社の人に言われながら出したのが「奇跡を望むなら」(2007年度USEN年間総合チャート1位)でした。
私の通っていた高校では、1年生のときに進路を決めなきゃいけなくて。将来のことを真剣に考えたら「大学に行ったら、あんな道もあるしこんなこともできるだろう。でも、どうなっても私は絶対に歌を歌いたくなるな」と思ったんです。それで、1年生の最後に「進学せずに歌手になる」と思い切りました。
家族から一番反対されたのはそのとき。後のNY行きよりも反対されました。「大学での経験は無駄にはならない」「大学に行っても歌手になれる」って。その通りだし親心はわかるんだけど、「大学に行っても絶対歌手になるから、学費が全部無駄になるけどいい?」と言い切ったんです。そしたら折れてくれた。ただ「責任は自分でとること」と約束させられました。責任については、まあ、今思うと私の「安請け合い」だったのですが……(笑)。
NYで歌う中で、不安になることはしょっちゅうでした。まわりは誘惑だらけだし。18歳って親元にいる最終段階で、そこから解き放たれると、もう「フリーーーーダム!!」って感じですよね。私もそれがうれしくて、NYでたくさん寄り道しました。元々享楽的な性格だし、若さにかまけて色々なことをして。でも今思うと、あの頃にしかできない寄り道がたくさんあった。無駄なことは一つもなかったし、目的を見失うことも必要なことだったな、と今は思っています。
ジャズをかっこよく歌える「オトナ」にずっと憧れていました。でも、私はまだまだ大人になりきれてなくて「オドモ」という感じ。「本当のジャズを歌えるようになる」という最終的な夢にはまだまだ届きません。死ぬまでかかるかも。でも、夢は見続けていればいつかかなうと思っています。
18歳のころって、一番色々なことが怖い時期ですよね。私も「20歳になったら人生終わってるんじゃないか」とか本気で考えていました。だけど、歳をとればとるほど人生は楽しくなるんです。私も10代のとき周りに言われても半信半疑だったけれど、本当にそうだった。歳をとって、声のレンジもどんどん広がっている。自分で「大丈夫」とさえ思えれば、人間何歳になってもリミットなんてない、と今は思います。
だから、18歳ぐらいなんて、何回転んでも大丈夫。七転びどころか、煩悩の数だけ転べばいいよ! 108回! なにも怖がらなくていい、思い切ってやってください。(聞き手・天野友理香)