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机に置くと、試験にパス。宮城・南三陸町名産のタコ(英語でオクトパス)をかたどった文鎮「ゆめ多幸鎮(たこちん)オクトパス君」が、累計注文数2万個を超えるヒット商品となっている。合格祈願グッズとして誕生したが、東日本大震災後に被災地支援のシンボルとして広く知られるようになった。製造元の「南三陸復興ダコの会」の高橋修会長(53)は「被災者は支援を受けているだけでは自立できない。地域に収入と生きがいをもたらしたい」と話す。(アサヒ・コム編集部 戸田拓)
「オクトパス君」は高さ5cm、約600gの鋳鉄製で1個1200円。見た目の感じよりもずっしりと重い。同町内陸部の廃校跡を利用したアトリエ「入谷YES工房」で、震災で家や仕事を失って「復興ダコの会」に雇用された被災者らが彩色している。
受験の合格祈願に加えて、就活の成就を願う学生など様々な用途で買い求める人たちが宮城県内外から工房を訪れる。「AO入試に受かりました!」「毎朝なでていたら内定が出た」などと報告してくれる人も。南三陸町民自身が支援物資のお礼として贈るケースも多いという。
南三陸町は2005年に2町が合併して新設された自治体。南側の旧志津川町地域は兵庫・明石と並ぶ国内有数のタコ産地として知られ、「荒波で引き締まった身に加えアワビを食べているため味も別格」と町の観光ガイドは記す。
「オクトパス君」は南三陸町観光協会が2009年から売店「汐風カフェ」で試験的に販売していた記念品だった。発案者は、町の産業振興課で観光協会の事務を担当していた阿部忠義さん(53)。素朴で愛らしい姿が評判を呼び、売り上げが増えてきたのを受けて今年2月に町の沿岸部に工房を拡張した。その2週間後に震災が襲った。津波で町の住宅の7割が流失。できたばかりの工房も観光協会事務所も売店も同じ運命をたどった。
だが、4月に現地を訪れた大正大学(東京都豊島区)のボランティア一行が、残された見本を見て「ぜひ復活を」と応援を約束。「オクトパス君」販売などを通じて被災者の自立を支援する任意団体「復興ダコの会」発足につながった。「オクトパス君」生産再開の朗報は多くのメディアで伝えられ、ネット販売などで大きな人気を呼んだ。
高橋さんと阿部さんは廃校となった入谷中学の同級生。かつての母校を仕事場に「オクトパス君」普及に励む高橋さんは、「町の中心的役割を果たしていた人の多くが亡くなった。残された者が何かをやらなくては」と話す。4月から近くの入谷公民館の館長になった阿部さんも、業務のかたわら工房に顔を出して活動を見守る。
タコが触手を伸ばすように「復興ダコの会」の活動は多方面に広がりつつある。伝統的な色彩の赤ダコから、ボランティア学生の意見を取り入れた虹色ダコ、金箔を押した黄金ダコなどデザインは多様化。特産の真ダコ1杯とバッジなどを付けた「タコ×タコセット」も売り出した。
アイデアマンの阿部さんは官民の補助金確保を算段する一方、「選挙の必勝ダルマならぬ必勝ダコはできないか」「タコ焼き屋チェーンに売れないか」と新展開に思案を巡らす。11月には大正大学からの寄贈を受けて、アトリエ近くの入谷八幡神社に巨大な「オクトパス君」のブロンズ像が奉納された。「ゆくゆくは観光名所にしたい」という。
阿部さんによると、アトリエの名称「入谷YES工房」は「決してNOとは言わない」とのモットーと共に「廃(ハイ)校」とかけたおやじギャグでもあるとのこと。高橋さんは、経営していた海鮮料理店兼自宅と共に津波で2km以上流されたものの九死に一生を得た体験を「家ごとサーファー」とちゃかす。食材を収めた冷凍庫が停電し「だめになるよりは」と高価なアワビやシャーベット状のメカブなどをただで配って食べていたエピソードも、笑いで振り返る。亡くなった知人は数多いが明るさを失わない。「震災直後、地域全体が一緒になって生きようとする姿はまるで家族のようだった」と懐かしむ。
「復興ダコの会」のキーワードは「希望」だ。「オクトパス君」の売り上げは、復興をあきらめない思いが全国につながった表れ、と会ではみている。高橋さんは話す。「津波によって多くの人が亡くなったことを、文鎮を見て何かの折に思い出してほしい。それがほかの街の教訓になるように」
鉄製の文鎮はいつまでも残る。「錯覚かもしれないが、伝えることが自分たちの使命と考えている。文鎮の重さを肌で感じていただければ」。高橋さんたちの願いだ。
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「南三陸復興ダコの会」のオフィシャルサイトはhttp://ms-octopus.jp/