【動画】熊本県知事・蒲島郁夫さんから受験生へ=戸田拓撮影

写真・図版蒲島さんは旧満州国から引き揚げてきた一家の生まれ。兄たちも世界的に活躍するビジネスマン、ピアニストなどそれぞれの夢を追い求めた。「貧しいながらも、気宇壮大な夢を抑えつけることはなかった」=2013年12月25日、熊本県庁、戸田拓撮影

写真・図版米ハーバード大学で特別講義を行う蒲島郁夫・熊本県知事=2013年11月(熊本県提供)

写真・図版ハーバード大学に出現したくまモン(熊本県提供)

写真・図版職員の発案で、くまモンと一緒に吉本新喜劇の舞台に出演してズッコケて見せたこともある熊本県の蒲島知事。「ふつう部下は『知事が転んでください』とまでは言い切らんのですよ」と愉快そうに振り返った=2013年12月25日、熊本県庁、戸田拓撮影

写真・図版くまモンは今年、「県民総幸福量」の向上を目指す「熊本県しあわせ部長」に就任した=2014年1月6日、森田岳穂撮影

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(初出・2013年1月20日朝日新聞デジタル。内容は掲載時点の事実に基いています)

 昨年11月、「くまモンの政治経済学」という講義を母校の米・ハーバード大学で行いました。先方からは最初「くまモンでなく、あなたの政治経済学を話してほしい」と難色を示されましたが、幸い、評価の厳しいハーバードの聴衆から拍手喝采を受けました。くまモンも連れて行きましたが、人類以外がハーバードの教壇に登ったのは初めてだそうです。

 18歳の頃、そんな未来が待っているとは想像できませんでした。高校の成績は220人中200番台。実家は極めて貧しく、大学進学など考えられなかった。ただ大きな夢は持っていました。一つ目は作家になること。二つ目はシーザーらを描いた「プルターク英雄伝」を読んで政治家に憧れました。三つ目は、阿蘇の大草原で赤牛を飼うことです。

■夢は持たざるものの特権

 高校卒業後、村の農協に勤めましたが、2年ほど経って「このままの人生でいいのだろうか」と思い始め、三つの夢のうちもっとも身近な牧場主への道に挑戦することにしました。アメリカに農業青年を送る研修制度に応募し、21歳のとき渡米しました。しかし、農奴のようなつらい生活を強いられて挫折。悶々(もんもん)としていましたが、幸いネブラスカ大学で畜産学などを学ぶ機会に巡り合い、ブタの精子の保存方法などを研究。学問の面白さに目覚めました。

 卒業したときは27歳。「大学院に残らないか」と言われて考えました。研究者は一生勉強しなきゃいけない。やるからには一生飽きない分野をやりたい。畜産学より本当に勉強したいのは政治学だ――。幼い頃の夢がまた盛り上がってきました。それがハーバード大学の政治学コースに行ったきっかけです。そして30年余りの研究者生活の後、61歳のときに熊本県知事になりました。

 夢の力は大きいですね。バーチャルな世界では、どんな大きなことでも空想できる。それは持たざるものの特権かもしれません。なまじ勉強ができると夢は見られない。落ちるところまで落ちると、あとは夢しか残っていないわけです。

■政治に役立った畜産の知識

 「人生というジクソーパズルに、無駄なピースはひとつもない」というのが私の信条です。政治家になるまで曲折がありましたが、なるとすべての経験が生きてくる。

 2010年に宮崎県で口蹄疫(こうていえき)が発生し、熊本にも危険が及んだとき、私は通常なら農林水産部長が担う対策本部長を自らに任命しました。畜産学を学んでいたので、口蹄疫の難しさは知っていました。宮崎から熊本に通じる道を掘り下げて消毒液を満たし、通行するすべての車を消毒しました。車がスピードを出すと危ないから、消毒の現場にはパトカーを配備したい。警察本部に協力してもらうには知事の権限が必要でした。拡散を防げたのは、ドラスティックな対策をとれたからだと思います。

 政治家は総合的な判断を要する地位。企業のトップもそうですが、経験が生きてくる職業は多いのではないでしょうか。

■挑戦から生まれた「くまモン」

 「皿を割れ」と職員らに言っています。もとは韓国のことわざで、皿をたくさん洗う人は割る枚数も多いが、何もしないと割らない。「リスクを恐れるな」ということがピンと来る言葉です。

 石橋をたたいても渡らないのが行政の文化。「どう管理、指導、規制するか」ばかり考えて継続性を重んじると、新しいことは何もやらない方がいい。でも私の目標は、県政のパラダイムシフトで県民の幸福量を最大化すること。冒険していいから必要なことにチャレンジしろ、リスクは私が取る、と言うとくまモンのようなプロジェクトも出てきます。

 くまモンを宣伝などに利用するためのライセンスは簡単に取れて、しかも無料です。くまモンのバーチャルな共有空間を熊本県が提供している、と考えてください。日本銀行熊本支店の試算では、くまモンが熊本県にもたらした経済効果は2年間で1244億円だそうです。人々を幸せにする公共事業のひとつがくまモンで、道路を造るよりはるかに安く、はるかに熊本県に大きな利益をもたらしている。

 政治学者として私は参加型民主主義を研究してきました。望ましいのは民主主義というひとつの空間の中で、みんなが自由に能力を発揮し合う社会。しかし、現実の世界では、国境や年齢制限、国籍など様々な制約があります。熊本から福岡、大阪、東京、アジア、ヨーロッパ、アメリカと広がったくまモンの共有空間は、参加型民主主義を超えたところにある社会ではないでしょうか。みんなくまモンを愛していて、くまモンを傷つけると自分の利益にならない。ゼロサムでないポジティブサム、ウィンウィンの世界。理想の空間かもしれません。

■大学≒くまモンの共有空間

 今考えると、大学というのはくまモンの共有空間に似たところがありますね。大学という場で、それぞれの学生が自己実現のチャンスを持ち、先生はそのために存在する。お互いがお互いに利益を与え合う。そういう意味で大学の役割は、チャンスを若者たちに与える場です。私はネブラスカ大学という空間に偶然入り込んで、がんばるほど学問の利益を得てチャンスをもらえた。大学はチャンスの宝庫なんです。

 誰もがくまモンの共有空間に参加できるように、自由に参加できてお金もかからない、言葉の壁などバリアーもない、そんな大学が将来できたらいいな、と思います。熊本県は今、中高生らに海外大学への進学を促す無料の「熊本時習館海外チャレンジ塾」を設けています。2、3年後にはかつての私のようにハーバードに挑戦する生徒が出てくる。そう願っています。(聞き手・戸田拓)

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 かばしま・いくお 1947年生まれ。ネブラスカ大を卒業しハーバード大大学院で政治経済学博士号を取得。筑波大、東大教授を経て2008年に熊本県知事当選。現在2期目。